a dream goes on forever

 体調が優れずに、しかし結構前から約束をしていたので友人と遊びに行く。正直、会って三十分で、身体がだるくってしかたなくって、気持ちとは裏腹にもう帰りたいみたいな感じだったが、けだるげに、正直に体調を申告して、休み休み街に出ているとそこそこ具合が良くなって、頭の痛い話や頭の悪い話を結構出来て、やっぱこういうのっていいなって思って、近いうちにまた会いたいなとか思う。

 でも家に帰れば深夜なのに隣人は好き勝手に騒ぎ立て、そのせいでイヤホン耳栓生活を余儀なくされているのに、もう、我慢の限界なんてとうに越えていて、翌日何もしてくれない不動産や、管理会社に電話をして、近いうち引っ越すことと、初期費用を返却する要求をして、書面で回答してくれと告げる。

 一年以上も、十数回も苦情の連絡を入れているのに、あくまでクレーム処理事務作業を貫く担当者の態度には、もう本当に、こういう人間には関わりあいになりたくないと思うが、働くってことはつまりこういうことなんだ。大多数の話が通じない人間にお愛想を言ったりこちらが独り相撲をとることなんだ。

 最初こそ相手を信頼していたというか信じたくって、録音とかを怠っていた自分が悪いと思った。お金が戻ってくる確率はこの不動産屋が俺のことを気遣っている位低い。こういう相手こそ理詰めで証拠集めて闘うべきだ、と思うのだが、真剣に困っている相手に、面倒だけれど仕事だから表面上はちゃんとやりますよ的態度をとる人間にもう、関わりたくないな、と思う。でも、そんなこと言ったら、生きられないんだなと分かる。

 お金を借りれば一応引っ越しだけならできるだろうが、それを返したり生活を続けることを考えると先がぼんやりと、暗く。いつまでこんな生活を続けばいいのだろうかと思う。くだらない嘘を重ねて小銭稼ぎ、に耐えられなくなってうっちゃって、投げ出して、でもそれだけではいけなくなって、その繰り返しに自分でもちょっと疲れてきた。

 色々と処分をし続けていて、やはりまとまった金にはならずに、それでも捨て続けるのは、変な昂揚感がある。

 先日会った友人と『リアル』という漫画の話をした。走ることが生きがいだったのに、車いす生活を余儀なくされバスケ選手になる男の子と、健常者だけれど学校になじめずバスケもバイトも満足できない男の子と、自分が「Aランク」だと思い込んでいたけれど両親の離婚や車いす生活になり自暴自棄になる男の子、三人の主人公の話。

 この漫画は一年に一冊位のペースで刊行されているので、俺も友人も随分前から知っているし、俺も昔は全巻持っていた。でも、一冊以外売ってしまった。自分に気合を入れる為に、憧れの人に近づき、身近な人と向き合う為にタトゥーを入れる巻以外。

 こんな風に、一巻だけ売らずにとっておいた漫画は他にもあって、でも、そういうのもどんどん処分する。そうやって生きてきたし、俺は漫画を忘れる、それに、漫画は、すぐに買えるから。山ほどある結構欲しいものは、結構簡単に手に入ってしまう。

 良く見るゲームクリエイターの描いた四コマ漫画で、「僕はゲームクリエイター、僕にはゲームしかないから辛くてもがんばるぞ!」みたいな台詞があって、でもオチは「お前にとってはゲームがなくてはならないけれど、ゲームはお前がいなくても困らないよ」というなんともどうしようもない話。

 だけれど、こんなどうしようもなさを「しょーがねーよな」と思ってやりすごしたり、苦笑したりするする力を、作品や、キャラクターや、俺もきっと持っているはずなんだ。

 渋谷の千円カットで髪を切る、といってもすいてもらう程度、なのだが、数か月放っておいたので、かなりさっぱりした。いやあ、結構いいっすね。マジ。千円出し渋っていた俺が恥ずかしい。

 その足で近所の古本屋で、『リアル』を一気に読む。あーやっぱ楽しいなと思う。王道、って言葉が陳腐にならない、魅力的なストーリーとキャラクターの格闘。

 遠くの近くの、どうでもいい人がカッコイイ人が、犬死していく死に行く姿を、生き生きとしている瞬間を目にすると、やっぱり俺も頑張らなきゃなとか、頑張れるんじゃないかって、そう、錯覚することが出来る。


 こんな状況なのに割と構想だけは豊潤な、描いている途中の小説は、サイボーグ的武士道と茶道を求める男の子、そして十歳の頃のユダだった自分に固執する少年の話で、俺も一応、内容はアレだったりするが、ほぼ毎回少年漫画を書いているような気分で、小説は書いている。わくわくする為に、自分自身の為に、「彼ら」に恥ずかしくない自分でいる為に。願わくば、同じ戦場に自分もいることを想像して。

 働くことで、つまらない嘘を重ねて小銭を稼ぐことで、それでも守りたいものがあるのか、と考えると、正直俺は即答が出来ない。俺が根性無しなのだと自覚はあるのだが、そういった問題以前に、自分がそこまでして何かを得る、ということに対しての執着の薄さにぞっとすることがある。
 
 でも、もう少し悪あがきをしたいな、というか、そういう前向き(は?)な言葉で自分自身を説得しなければと思う。だって、俺は未だ知りたいこともやりたいこともあるから。何もかも投げ出すのはやっぱり未だ早い。いつだって、早いんだ。死も自死も生も、聖も、いらないよ本当だ本当だ、本当なんだ、多分。


涙が出そうになってしまうからあまり聴いていない、トッドラングレンの大好きな曲、

a dream goes on foreverを聴く。


数え切れない老兵が去っていくけれど
この夢はいつまでも終わらない
ぼくはここにひとりぼっちで 
言葉もなく
とても静かな夢の中にいる

 数え切れない真実の愛が
 生まれては消えていくけれど
この夢はいつまでも終わらない
たくさんの日々が駆け抜けていくけれど
この夢の中でぼくの時間はとまったまま

 希望と恐れの中で 毎日を過ごす人々
 ぼくもそのなかのひとり
でも人生を悲劇にとらえて
 涙の海に沈むことはないさ

 ずっと前に ずっと遠くに
 離れてしまったきみ
でもこの夢はずっと終わらない
いつかきっと会える 信じている
そうでなきゃ夢なんか見ていられない

 こんなやさしい歌なんて聴いていられない。でも、たしかに俺にだって、彼の歌はつかの間の元気を勇気をくれる。


 少年漫画の、青年漫画の主人公はほとんどが十代、二十代前半だ、けれど、彼らは幾つになっても傷つくこともできるんだって、教えてくれる。俺も血が流れ続けている限り、傷つくことができるのだと、そのことを忘れずにいられれば、きちんと意識していられたら、未だ、頑張れるような気がする。死ぬまで、血を流すことが出来るなんて、悪い話ではないはずだ多分ね。