鎖骨の中のヨーグルト



最近ヨーグルトしか食べてなくて、睡眠も細切れで、いやあこりゃまずい、ってことで久しぶりにご飯をレンジで温めてふりかけをかけて食べる、と非常に美味くって、やっぱり不健全さを守る為には、健康であるべきだなと思う。

 そのまま調子に乗って、2日ぶりにシャワーを浴びると、なんかゾンビが生き返るって感じ? みたいな昂揚した気分で、しかし湯に当てられていると、吐き気に襲われて、しばらく我慢していたのだが、たまらずシャワーを冷水に切り替え、身体に浴びせ鏡を見れば、鎖骨に溜まる水滴と意外にも上気した頬で健康そうな俺の顔。

 新しい仕事と棲家のことを考えると頭が重く、とりあえず物を売りまくりながらもその反動で買いまくって(それらも売る)いるのだが、特に引っ越しの時に困るのが雑誌類で、引っ越しの度にファッション誌はほぼ全て処分してしまって(お気に入りだけ切り抜きをしていたが、それもたまると結局処分していた)、でも美術系の雑誌、『美術手帖』『ART-it』『STUDIO VOICE』とかは、売っても結局古本で買いなおしてしまうので、毎回悩む。でもやっぱ、売るのも買うのも好きなんだ俺。

 あまり頭を使うのは見たくはない、というか単に100円だったからという気の無い理由で、世界遺産のビデオを買う。仏教遺跡、アステカ・マヤ遺跡、大聖堂。時間が一時間と短いのもいい。あまり画面を見ずに繰り返し流すにはもってこいだ。

 先日買ったフィリップ・ガレルの『内なる傷痕』も、時間は60分で、再見する気になる。だってさ、ガレルの映画二時間も見たくないよね。この映画の阿呆なコピー、「二つの歴史が出逢い、そして生まれた愛の産物」だってよ。マジかよ。薬でもキメてないと書けないぞ、そんなん。あ、でも『秘密の子供』は見たいな。

 白い砂漠で女(ニコ)がわめき、訴え、歌い、男(ガレル)は何も言わない。ひたすら彼/彼女は歩く。名前の無い子どもと、白い馬と、裸のキリストみたいな男と。そういう映画。

 体調が悪い時によく考えるのが、自分の身体がどれくらい自分の物なのか、という問題で、俺は「神からの授かりもの」だとかましてや脳科学なんて信じてないというか興味が無い。

 アルチュール・ランボーが言うように「私とは一人の他者である」ことを意識する瞬間が、その時々の気持の揺らぎが、とても興味深く、きっと俺がタトゥーとかロールプレイングゲームの主人公が好きで武装改造にわくわくするのは、自分の身体を取り戻そう、意識下に置こうとしているのかなとも思うが、逆に自分の身体なんてどうでもいいんだって瞬間の、しかし自棄とは言えないあの軽やかさに、救われるようなわくわくするような思いになる

 少年兵は修道士はロックマンは、こんな気分になっているのだろうか?

 とかどうでもいい事を書き散らせるくらいには回復していて、まだまだ俺平気じゃないかとか思ってげんなりしながらもにやついちゃって。