カツ、カレー、たまに映画

かつかれーが食べたい。お店のじゃなくて、チェーン店のでもいい。微妙な衣のさくさく加減とカレーのとろみとかつの肉汁が、って想像しただけでよだれ出るわ。かつ=おいしい。カレー=おいしい。かつかれー=おいしいおいしい。やべーわ。カツカレー。イグノーベル賞級わくわくする。俺、カツカレーを手に入れる為なら、どんな犠牲も払うから……(なら金払えよ)

 とか思いながらといだお米を炊飯器にセットして、引越しして初のスイッチオン、ぽちっとな、としたら、何故か電源がつかない。引越しの後で冷蔵庫の冷凍の部分は元気なのに、冷蔵の部分が全く機能せず、汗のだらだら流れる真夏に、引越し屋に苦情を入れるわけにも行かず(規約で電化製品の内部異常は保障しないと書かれていた)、あせったし落ち込んだし、でも俺も諦めがつかずに何度も電源を抜き差しして本体をたたきまくっていたら、何故か翌日にはなおっていた。なんで?


 と言うことで俺は炊飯器をムツゴロウさんよろしく、「よーしよし、いい子ですね、バカ!」と撫で回すようにたたいていた、のだが都合よく復活はせず、おなかすいたのに米たけねえなんてがっかりだと思い、ふと、単にコンセントが入っていないことに気づいた。コンセントを入れ炊飯ボタンを押すと元気良く、聞き慣れた電子音が。

 てめえも男<メカの身体>なら電気無しで米くらい炊いてみいや!!!!!!!!

 もう頭の中で今月の支払いに頭くらくらしながら、さらにアマゾン先生で安い炊飯器を買う旅に出る自分を想像していたから。というか、友人と家電量販店に行った時に友人が商品だけ見て、「アマゾンのほうが余計な土地代とか人件費とかかからないから現物はアマゾンで買う」と中々の屑発言をしていて、確かに賢いは賢いかもしれないけれど、というか便利すぎて本とかアマゾンで買うようになっているけど、そういうことしてるから街の本屋さんとか潰れているし、青山ブックセンターでさえも一時なくなってしまったしなあ。

 というか、住んでいる街には本屋が一軒もない街だった。その新しく住むようになった街はファミリー向けの食べ物やとかは豊富で、人通りもあるのに。以前はこの街にも本屋があったのだろうか。

 でも、それよりショックだったのが、俺の区では図書館での貸し出しが本五冊CD三点までだったことだ。しかも、ネットで所蔵検索をすると、なんか酷くショボイ蔵書らしく、びっくりした。多分俺が知っている、利用している区の中で最低の図書館環境。

 俺は図書館では一回に十数冊借りるので、一気に借りる気が失せた。当然その借りているもの全てが面倒なものではなく、さっと読めるのを半分位とかで「活字を目にしたくない時用の活字」も結構借りるのだが、ここまで客に貸し出しをさせまいとうする意図が分からない。他の区では大体二十冊が上限なのに、なんで俺の区は五冊なのか、ショックだ。

 げんなりしてしまって、初日にカードを作って、まだ一回も利用していない。でも、時期に利用するだろうし、家の読まれていない本の山も片付けねばと思う。

 ネットが繋がったからオンラインレンタルでdvdやらを借りる。一週間以上映画を見ていなかったが、久しぶりに惰性で見る映画は、それなりに面白かった、物の一部。

 町田康原作、『けものがれ、俺らの猿と』。正直映画自体は一回見ればもう十分な、ちょくちょくあきがくるようなものだったけれど、メンツが永瀬正敏/鳥肌実/降谷建志/車だん吉  と微妙に豪華、豪華? あ、音楽がいいなと思ったらエルマロの人が担当だった。エルマロくわしくないけど、でも、ギターウルフもかかってたし。

 「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」皆大好き、ヘンリーダーガーのドキュメンタリーでありヴィヴィアン・ガールズの戦いの記録のドキュメンタリー映画で、正直映画の内容は目新しいものではないというか、ヘンリー・ダーガーの関連書籍とか幾つかの記事を読んだ人なら退屈してしまうようなものかもしれないが、映画自体はさらりと見せるドキュメンタリーとダーガーのキュートで残忍な画が交互に展開し、いい出来だったと思う。

 股間にペニスを生やしたコラージュやトレース(ダーガーはアートの教育を受けていなかった)の世界の女の子達と、大人たちの殺し合いの王国。知的障害があったから、引きこもり的なダーガーが女の子にペニスがあると思い込んでいた、という説もあるけれど、俺はそうではないと思う。また、『戦闘美少女の精神分析』の著者、斉藤環がとてもダーガーに興味を抱いており、何度か彼の言及を目にしたなあと思った。その中で、精神科である彼がアウトサイダーアーティストに対しての、病理に対しての敬意を表明している部分は結構好きだ。そう、病人を、人間の病理を「それなりの妥当性」で表す(仕事をして金を貰っている)ならば自らの病理を認識し、その責任を負う必要があるだろう。

 「狼の時刻(特別編)」。久しぶりにベルイマンの作品を見た、というか、開始数分で、ああ、俺はベルイマンが好きだけれどいまいち乗れないんだよなあ、という何度目かの感想を抱いていて、それは吉田喜重の映画のような、もっと直裁的に言えば芹沢某や堀某や辻某の文章のような、オサレヨーロッパみたいな所に白けてしまう箇所がちらほら、

 でも本当にオサレヨーロッパだと思っていたらこんな当てこすり文章なんて書かないし、作家は置いていおいて、ベルイマン吉田喜重も好きな監督ではあるけれど、好きであるからこそ色々気になる点、ぎりぎりのところで感情に「転んで」しまっているように見えるだとか、イラストレーターの描いた漫画(流れの視線誘導の、ページの概念がある漫画のコマに美しい「イラストを配置する」という感覚)のように、構図はきれいだけれど、どこか生き生きしていないカメラ。

 そういえば蓮實が以前ベルイマンの『さけびとささやき』をその年のワーストに選んでいたなあと思い出す。まあ、俺もちょっと気持ちは分かるけれど、でも、『さけびとささやき』は結構好きな映画だ。(モノクロの一番好きなのは『夏のあそび』で蓮實と一緒なのだが)

 けだるい、腐臭を放つような、甘ったるい映画、『さけびとささやき』。

 そういえばヘルツォークの『アギーレ・神の怒り』もワーストに選ばれていて、でも彼が選ぶベストは見れない映画か見たくなる映画か面白い映画ばかりだった。俺は彼のいい読者ではないけれど、でも、彼みたいな「映画狂人」は素敵だと思う。

 この『狼の時刻』も少し狂った人たちのミステリードラマで、最初こそ少し疲れてしまっていたのだが、飽き性の俺には珍しく、中盤、後半から物語りも動き出し、引き込まれていった。

 町田康の『けものがれ』は頭がおかしい人や頭のおかしい人よりたちの悪い一般人満載のパワフルで滑稽な笑いに満ちていたが、『狼の時刻』はあくまでミステリーであり、少しずつ秘密が暴かれて、映画に人間の君の悪さに肉薄していく行く様は、モノクロの映画特有の美しさをたたえていて、見入ってしまった。

 あと題名で借りた『廓育ち』が見ごたえがあった。主演が三田佳子で、正直俺はテレビでちらと見た彼女のあまりうまくない演技のイメージがあったのだが、23歳の頃の、親に売られて廓で育てられ客をとらされるようになった勉強ができて向上心のある女性の役はなんかはまっている役だと思った。少し棒っぽい演技でありながらも、どことなく育ちがよい雰囲気のある、お嬢様っぽい青く固い感じが良かった。

 あと、じんわりとえげつない廓の感じが。要するに公認児童買春推奨所みたいな、えげつない感じを、ドラマチックではなく、さらりと描く所が。(作中で売春防止法みたいなのが可決されそうで、でもえげつないやり方や癒着で延期になったとかの描写もきちんとある)

 「新しい母親」、つまりやり手ババアは十二歳の少女に爺の客をあてがい、「たたないから大丈夫」とか言ったり、ババアが少女に講習をして、布団の中で「おとこはんの重みは、そのまま札束の重みや」って。で、売り上げは当然ババアの懐の中なわけで。

 そんで爺は生娘に嬉々として、ババアに「5日にいっぺんぐらい仕込んで、『女』引き出したる」とか報告したり。いや、現実だって十分えげつないわけで、ベテランの嫌な気分のする名演技とそれを周知のことのようにさらりと流して進行していく所が。

 主人公のたみ子はそんな自分が、廓が嫌で逃げ出そうとして、勉強をしっかりして、そして塾の先生である医学部学生「梅宮辰男」(!)と恋を添い遂げようとするのに、それもずるずると続いたまま。 強要されお座敷に出たことが知れて学校は退学。ババアは寝たきりだが悪態をつき続ける、

 と書いたらきりがないのだが、二人もいい年になり、しかしまだ縁が続いてしまっている恋人がそれを生産しようと、たみ子がウィスキーの携帯ボトルに劇薬を仕込んで会うシーンが印象的だ。

 二人、心中しようとして飲んで別れておしまいにしましょうという三田に、優柔不断で結局は自分の保身しかない、恋人をきつく振る優しさも持っていない男が(自分に)やさしく「偉い人に娘を紹介されたから結婚する。だって将来に関わるから、でも君も好きだった」と口にして、たみ子は心中する気がなくなったことを男に告げ
 

 「あんたもしょせん廓の人間だった。みんな廓の人間ばかりなのに、偉そうにして。所詮私は廓の人間、それなら廓の女として居直ります」という趣旨の言葉を口にする

 そして彼女は捨て鉢になり、ちょっとしたきっかけで、使われなかった劇薬を飲ませる事件を犯し「とうとう廓から出られる」と口にする。

 それを告げたのが、妹分の、カタギの男と結婚する、孤児で器量はあまりよろしくないが家事好きの妹分で、話は前後するが、たみ子が結婚する彼女にきれいな着物と、ためていた通帳をそのままあげるシーンで、ぼろぼろないてしまった。

 誰よりも、金を貯めて外の世界に出たかったたみ子は、器量は良くてもぼろ雑巾のような心から純情をふりしぼっていて、ああ、これに感情移入して泣くなんてキモイな俺、とか思いながら、自分が映画を見て簡単に泣くことを思い出し、気分が戻ってきた。そう、俺は簡単に泣くし、泣くのは健康にいいってことを思い出す。

 カツカレーが食べたいと思う。でもご飯はたいてしまった。新品の、セラミック製の切れ味のいい包丁が未だにダンボールの中なのか、見つからない。お惣菜でも会に行こうかなと思う。