来るべきめまいの為に

 どうでもいいことが色々とあり、なんか物ばかり食べてしまう。元々胃腸が強い方ではないのに、油ものばかり食べてしまう。しかも夜中。夜中に油がっつり。近所に知らないご飯ややさんやスーパーがたくさんあるのも悪い。夜中に値引きするのも悪い身体に言い訳がないのに、ちょっとしたことで油ものや甘いものが食べたくなる。

 いいのか悪いのか、それでも全然太らない、から危機感が薄く。でもさすがにそんな生活続けるわけにはいかないので、ちょっとは改善しなきゃなと思う。疲れやすいのも短気なのも、食生活だって要因の一つだ。

 ちゃんと、物を口にしておいしいと感じることができないなんて、よくないことだ。

 数年前、N○Kの料理番組を、実家で親と見ていたときに、和食の料理人の人が、「お砂糖を入れると、なんでもおいしくなってしまいますからね。ちょっと、ひかえないと」

 といったような発言をしていて、はっとした。素材の味を生かそう、とかまあ、そんな意かもしれないけど、本当に、「砂糖」って色々なものに添加されている。お惣菜の「ポテトサラダ」にも入れられているのを知った時には、くらくらしてしまった。食品の後ろにある、原材料名というのの並びは含有率が多い順に記されているのだが、水あめとか砂糖、とか書かれている製品のなんて多いことだろう!
 そういうのが書かれていないのって、かなり少ないというか、まあ、お値段がするわけで。
 
 アメリカの低所得者の肥満率はとても高く、ジャンクフードの方が野菜類よりもずっと安いというのも大きな原因だそうで、食品ではなく、油と砂糖を食べるってのは、ほどほどにするべきだなあと思う。

 先日付き合いで人と陶磁器の展示を見に行ったのだが、ふと、青系統の食品ってほぼないというか、食欲を失う色として認識されているはずなのに、青磁翡翠色の食器の、食品との良き伴侶っぷりはすごいなあと思う。

 日本(中国)人に慣れ親しんだ感覚なのだろうか? もちろん色にこだわりはないのだけれど。でも国を問わず、一般に広く使われているのは、白い地に青い模様がさりげなく使われているものが多いような。

 あのすさまじい色彩感覚、というか、サイケ、さすがティモシー・リアリー先生を産んだ国だぜ! な色彩感覚のアメリカでも、食品のやばさ(見るだけなら面白いけど)に反して、食器のやばいのにはあまり目にしないのだが。つまり、

合理的ってこと? 

食べ物は油と砂糖と着色料デース!!  食器なんてものが乗せられたらあとはどうでもいいでーす的な。

 食品の伴侶としての食器の発達と考えると、アメリカ(着色料で添加された食品)は置いておくと、日本料理ってかなり色彩に富んでいる、こっているから、色々な調和というのも大切にされてきたんだなと思える。

 大好きなイラストレーターの森本美由紀が、書店で多くの本と一緒に並んだときに、すっきりとして見えるデザインがいい、と発言していて、本当にそうだなあ、と思う。彼女のあの墨で書かれた、少しつなぎ目のある身体、空間のある、空間を許容するイラストはとても魅力的な「イラスト」だなあと思う。クライアントと他の共作(文字)者
と調和する、何かの予感を与えてくれるもの。

 本の装丁で少し気になって、ふと見るとミルキィ・イソベ平野甲賀であることが多く、というか、この人らが仕事をしている人らの本を多く読んでいるのかなとも思うけれど。一つの商品、作品としても、確かなインパクトがあるのに、一歩引いた、おしつけがましくないデザインは本が電子書籍などではなく、書籍という形式でのこっていくものだと思うし、それは嬉しいことだ。

 何だか読んだ本の再読がちらほら。でも、金井美恵子の『軽いめまい』を読了して、そう、優れた作品は軽いめまいをもたらしてくれるなあと思う。筋とかいちいち説明するのも野暮で、しかし筋だけがすばらしいというような、技巧に走ったようなものでもなく、確かに始まり、納得して、しかし突然、終わってしまう。

  23歳のころの、ハリウッドデビュー前のイングリッド・バーグマン主演の『女の顔』という映画を見る。1938年のスウェーデン映画で

顔にある火傷で暗い少女時代を過ごした女性が整形手術で美しく生まれ変わるが、ある殺人事件が彼女を窮地に追い込む。

 といった内容で、バーグマンが出てるから見るかな、といつものように気のない理由で見たのだけれど、かなり良くできた、いい映画だった。整形、というかやけどの跡を治す、という感じ(というか当時では整形手術が一般的ではなかっただろうし)なのだが、包帯を取った後に演技をする、若いバーグマンはとてもきれいで、かわいらしくって。

 結構ベタな演技というか役割がそれぞれの役者に割り振られているのだけれど、詐欺師の片棒を担いでいた彼女が顔を一新して、それでも詐欺の為に金持ちのちびっこに家庭教師という名目で接触し、二人きりになった時に、なんでも与えて貰える、愛を一身に受けたぼっちゃんに、口汚くののしりつつも、そんな経験がないであろう彼に「本当にそんなことするの?」と尋ねられると、「たくさん甘やかすわ」と態度をころころ買える様は、ある意味とてもリアルな感じがした。

 そう、彼女は犯罪者の家庭に生まれて、愛を受けずに育ち、火事で両親を失ったうえ、自身も顔にやけどを負って、ひどい生活を送ってきていたのだ。だからこそ、施術してくれた医者の良心で、ひとつ、何かを受け取ることにより、そのちびっこを始末できなくなる。

 その告白を物語のラスト近くに、恋仲になってしまいそうな、貴族の男性に、別れ際に手紙で告白する。そしてバーグマンは彼が「無理に自分と一緒」に生活するのではなく、自分自身の手で新しい生活を歩むことを選ぶ。

 ラストは仕事を紹介してくれた医師と、船の上の後ろ姿からの海の風景のショットで、いわゆる美男美女が二人のシーンで終わり、なんてものではなく、サスペンス映画でエンターテイメント性もありつつも、余韻も感じられる、多くの人が楽しめる映画だと思った。

 あと、バーグマン、というか昔の映画の流行りの、多くのスターがしていた、小さな帽子にウェーブのかかった髪にシンプルなデザインのドレスや毛皮のコートというスタイルは、本当に映画女優、という感じで素敵だなと思う。最近そういうのをみてなかったから、ちゃんとみなきゃなと思う。

 見ていない、といえば、最近アニメを見たい、けれど何を見ていいかわからないというか、ぶっちゃけちょっと見たら合わないなあ、と思ってしまうのも多いのだけれど、昔見た世界名作劇場の『ロミオの青い空』がむっちゃ見たくなって、しかし巻数が多いからとりあえず、好きだった主題歌のCDを借りると、なんと、曲紹介に最終回のネタばれが! 記憶がいろいろ曖昧だったのに! マジげきおこぷんぷんまるだよ! (ただ使いたかっただけ) 

アニメを見て思い出したかったのに、色々思い出してしまった。あーあ。ラスト近くを思い出すと、「ロミオ」の「青い空」って題名が胸にくる。今色々低視聴率だそうで、だったら世界名作劇場を再開すればそこそこ視聴率がとれると思うのだけれど。

 でも、アニメ商売は(詳しくないが)DVDやブルーレイを売ってやっと収支が合うらしく、難しいのかなと思う。てか昔のを再放送すれば、みたいな話になりそうだし。
でも、俺みたいな年齢の人間も子供も見られるアニメを放送してはくれないのでしょうか……。

 家の本を処分していたときに、continueというゲーム雑誌があって、初期のはとてもゲーム内容とかゲームにフューチャーしていて(とういうか、『超クソゲー』の執筆者とライターが同じ)とても好きだったし、コラムを書いていたり参加した人がナンバガ中村一義、パフューム、掟ポルシェとかとかなり豪華で、しかし途中からゲーム雑誌からアニメ雑誌になってきていて、購入は遠のいていった。

 この雑誌はもう休刊になってしまったが、エヴァの特集号を先日古本で何の気なしに安かったから、再度購入した。そこで庵野監督が12年ぶりにエヴァのリメイク作品が上映されるにあたってのコメントが引用されていて、
「中高生のアニメ離れ」や「この12年間エヴァより新しいアニメはなかった」
といった、気にはなるけれどアニメファンではない俺にはわからないようなことが色々と書かれていて、でも、彼がとてもアニメが好きで、作りたいんだなあという思いは伝わってくるのだ。

 俺は中学生のころアニメでエヴァを見て、面白いとは思ったが、特にははまらず、逆にはまりまくった人に多少の距離感を覚えていたし、何だか騒がれすぎていて、最近映画も見ようと思いながらも未だ見ずにいる。

 その号の雑誌では、テレビアニメとかのレヴューも書かれているのだが、ライターの一人がエヴァは神話の仮面をかぶったメロドラマなのだと思う、と発言していて、俺もそうだなあと思った(アニメ版は全部見た)し、(「本気で」錬金術だとか死海文書だとかにはまっているなら、受け入れられるはずがない)それだからこそ、コミュニケーション不全だからこそ、それでも生きていかねばならない、生きていきたいからこそ多くの人に受け入れられたという側面は大きいだろう。

 でも、俺ももっと気軽に、エヴァも見てみたいなと思う。簡単に借りられるんだし!
 
 だったら、借りなくっちゃ。砂糖の油の代金でレンタルできるじゃんか。栄養は、やっぱり好きなものから知らないものから、来るべきめまいの為に。