市場だらけの街の中

 動物園への約束を断られて、しかしもう動物見たくって仕方なくって、仕方ないから一人で行くことに。雑務をこなしてから、秋葉原でゲームを購入、それから御徒町の理科屋さんで物色。

 一応子供用の実験用具みたいなのが中心にうられているのだが、ちゃんとした実験器具もあるし、都内で理科の実験器具が買えるのって、ここだけではないだろうか、って、俺、実験しないけど!

 今の子供はアルコールランプを使わないらしい。この店で売ってるけど。たしか、危険だから、らしいけれど、危険か?

 あと、この店に来るたびに丸型フラスコが超欲しくなるのだが、これ、店頭に色々な器具と一緒に並んでいるから魅力的なのであって、実際家にあったら、扱いに困るような。しかも、なぜか丸型フラスコを固定するためのドーナツ型の、というかドーナツが、丸型フラスコの二倍の値段するのはなぜだろう。

 というか、丸型フラスコ自体が利用しにくいというか、昔の錬金術とかの挿絵では丸型フラスコを目にするような記憶があるが、三角フラスコの方がずっと使い勝手がいいとおもうのだけれど。どうやって使い分けをしているのだろうか。理科の先生に質問したい。

 ギャラリーをひやかし、上野で投げ売りされていたサルトル高見順の全集、(読んでないのもあったから)を買って、さらに林忠彦のバカでかい写真集も購入してしまう。だって、かなり安かったのもそうだけれど、「長崎、海と十字架」という題で、ステンドグラスの光を浴びた瑠璃色のマリアを見たら、買わずにはいられなかった。

 って、他にも色々購入しているわけで、グレゴリーのリュックが重くて仕方がない。本当はリュックってあまり好きではない(俺には似合わない)のだが、リュックってマジ便利だ。俺、手に物を持っているとなくすから。

 最近も旭山動物園の作り方、みたいな文庫本(とても面白かった。カラー写真もあるし!)を失くし、ずっと愛用していたメモ帳も失くしてしまった。物は、持たない方がいいね! 歩いてたら、忘れるじゃんか!


 秋葉原御徒町、上野、とそれぞれの特色で賑わっている町を歩いて簡単に行けるというのはとてもありがたいなあと思う。御徒町秋葉原をつなぐの高架下の2k540 AKI-OKA ARTISAN もとてもいい試みだと思う。こういう風にスペースを有効利用して、いろんな店が出店出来るというのは色々な人にとって有益であると思う。ここの一角だけ、下北や自由が丘みたいな雰囲気(客層も。アキバ戦士系の人はあまり見かけない)になっているのも面白い。色々な場所が、もっと雑多な町になっていけばいいなあと思う。


 最後に動物園に行ったのは三年位前だと思うのだが、さすがに一人で動物園に行ったことはこれまでないし、まさか自分の意志でいくとは思わなかったが、もう、頭の中が動物でいっぱいだったわけで。平日なら、未だ平気だと思ったわけで。ふれあい広場でこういうのが超やりたいわけで(無理です)

 http://www.youtube.com/watch?v=ZRd3lrukxu8&feature=player_embedded#t=1

 久しぶりに来た上野動物園なのだが、割と園内の様子には見覚えがあるというか、動物園ってずっと変わらない感じなのかもしれないのだが、家族連れや修学旅行生らしき集団に混じり、入口近くにいるパンダを見ていたら、まあ、楽しいわけで。

 なんで楽しいんだろう? おっさんが飲み屋でクダまいているだけじゃね?とか思いつつ、でも、可愛い。パンダ。

 他にも動物を目に映しながら、徐々に自分の中でテンションが上がっていくのが分かる。特に虎が良かった。思ったより、少し痩せた身体で、ガラスの中をうろうろとうごく虎がどういう心境(とでも言えばいいのだろうか?)なのかは分からないが、縞の模様がきれいで、見ていて飽きない。ライオンも見たのだが、ライオンよりも虎の方がずっと見ていて楽しかった。欲しいなあ虎。勿論、生きているのが。

 フライヤーで知ったのだが、原宿で参代目彫りよしの展示が行われているそうで、行きたいのと行きたくないのが半々というか、やはり刺青は人の肌に入れてこそ美しい、魅力的な人の肌にあるからこそ映えるものであるから、資料的な価値が先に出てしまうように思えて、うーん、たぶん行かないかなあ。剥製の虎の毛皮も、あまり欲しくないし。

 でも、ティガーは超欲しい。フフフフー! ってぴょんぴょんしてるティガー超クールだ! ティガーと生きてる「タイガー」欲しい。

 いくつか動物を見ながら、昔仲が良かった友人が「気分転換に、エスキースにいい」と言っていたことを想起する。

 動物園、いや、動物を見るのが面白いのは、ある程度の知能(大きさ)を有する動物は、骨格が複雑であったり独特であったりする場合が多く、骨格や筋肉の動きを感じ取れるというのはとても興味深いことだと思う。ゴリラもドールもテナガザルもトラもクマもサルもシープも、みんなその種族特有の生き方に身体に応じた構造と動きをしているというのは面白いなあと思う。

 残念だが未プレイのラストハルマゲドンというゲームでは、グロテスクな悪魔やら醜悪なスライムやらが高い知能を備えた主人公で、「人間牧場」という施設を利用することになるのだが、今だとレーティングはどうなるのだろうか、というかCERO先生激おこぷんぷん丸だと思う。

 でも、18禁、パソコンゲームなら大丈夫だと思うのだが、日本で発売されているpcゲームの九割以上がエロゲーらしく、ちょっと残念だなあと思う。まあ、最近はそのエロゲーも売れ行きが芳しくないそうだが。

 でも、せっかくの残酷描写というか、規制がほぼないという利点を生かしているのが萌えキャラのエッチな画像にしか使われていない、需要がないというのはちょっと残念な気がする。萌えキャラのエロいのが悪いのではなくて、それしか選択肢がないというのは、ちょっと残念だ。

 女神転生シリーズはかなりプレイしているのだが、PC版の儀典・女神転生はプレイしていなくて、でもこのゲームはpcという規制の緩さを生かして、ヒロインが生きたままゾンビに食われる(ちゃんと画像もある!)とか親子で合体した悪魔とか回復施設での性交(密教とかではとても理にかなった設定だ)とか、大人向けのリアルな内容てんこもりで、すごくいいなあと思う。(プレミアゲーかつ現代のパソコンではバグでプレイが困難なのが残念だが)

 以前にも書いたが、俺はグロテスクなものや残酷描写に大して興味があるわけではないけれど、あるかないかでいったら、必要に応じて、そういう描写もあるほうがずっと自然だと思う。血の色を赤ではなく別の色にしたら発売していいですよ、って、おかしくないか? ちびっこ相手に売っている商品ならともかく、ちゃんとレーティングがある商品でまで過剰な自主規制はマーケットの縮小にもつながるように思えるのだが。

 って、一応人の入っている園内で、あまり容姿がアレなカップルがぴったりと抱き合いながら檻の前でのろのろ動き、人目をはばからずにいちゃいちゃしているのが視界に入ったり、修学旅行生が超ハイテンションでわーわー言っているのに気付くと、なんで俺一人で動物園で人間牧場とかに思いを馳せているんだろうとか思って、ちょっと家で眠りたいような気分になってしまうのだが、このくらいのことには耐えねればならない。檻の前でずっとぼんやりしている俺に、中学生くらいの女の子がぶつかってきて謝られても、「いや、ここにいる俺が悪いすから、俺の存在が悪なんだズラ(銭ゲバ)」だなんて思ってはいけないのだ!

 「自分は醜いから美しいものが好きなんだ」って、銭ゲバの台詞だっただろうか? この台詞を思い出すと、何だか不思議な気分になる。自分でどうにかできることもあるけれど、どうにもならないこともあるし、漫画のキャラクターだから、だけが許される言葉なのだろうか。

 というか、ふと、今日の俺のコース、ゲーム、理科屋、ギャラリー、動物園、って今さらではあるが、手軽な夢の世界というか、本当にガキそのままというか、現実世界で一応小銭を稼いでいるとは思えないお子様ランチコースで、十代の頃はこんな感じになるとは思わなかったのだが、まあ、なってしまったものは仕方がない。

 鳥の毛並みも違うのが間近で感じられたのもよかった。フラミンゴの羽は本当にふわふわしていそうだった。素早い猛禽類と歩くだけのエミューはとてもしっかりとした感じがする。

 本当に見ていて飽きないというか、一人で来る動物園もいいものだ。水族館も好きだけれど、あちらは生物的に、毛並みとか骨格とかに注視できないからなー。年間パスポートを買いそうになってしまった。四回分の値段で2400円って、二カ月に一回来ると思えば安いものだ、という気もするのだが、それよりもふらりと、気のままに行くのがいいのかもしれない。

 園内には当然カメラや携帯のカメラ機能で撮影している人がそこかしこにいたのだけれど、やっぱり、動物は人は景色は、その場が、動いているのを見るのが一番というか、作品として残すとかならともかく、何だか記念とかに写真を撮るというのが俺は苦手で、それで楽しんでいる人達と距離感を覚えてしまうこともしばしば。

 いや、俺だって芸能人のブログとかで様々な写真を見て楽しんだりするのだが、自分が色々な写真を撮るとか思うと、何だか居心地が悪いというか、やはり素敵な思い出も消え去るからいいものだと思うのだけれど。もし、それが寂しいならもう一度すれば、思い出せばいいと思う俺はきっと少数派だし、俺自身、こういった諸行無常に近い感覚を、どこかで持て余している。そういう種類の写真は、好きだが苦手な隣人のようだ。

 園内から出ると、帰り道には不忍池の弁天堂が見える。朱色の御堂が日本で広まったのはどういう理由なのだろうか。緑に映えてとても美しいと思う反面、決まりごとがあったとは思えないので、不思議な気がする。信仰心の無い俺だけれど、寺院に、教会に行くと、気分がほぐれていくのが分かる。肩の荷物がひどく重い。余計な音がない空間で、ほんの少しだけ静かな時間を得られるような気分になる。
 
 また、別のところに行こうと思う。好きな内に好きなことをしているなら、脳みそプリン・ア・ラ・モードでも、どうにかなってしまえるような気がして。