ほくろも傷跡も刺青も星座にするのは

 売ったのに、また安かったから買ってしまった、pspホームシアター。星空の死シミュレーション。ガンダムには全然詳しくないし、特に見るつもりもないのだけれど、小学校低学年の頃、友達の家でやった、SDガンダムシミュレーションゲームは好きだった。(アニメの題名だったのかな?)そして、プレイする章の名前、「ポケットの中の戦争

 しょぼいのに、退屈してしまうのに(プラネタリウムだってそうだ)、なぜか惹かれてしまう星空を君の手に。pspひとつで、夜空は君の物。

 The Who のsell outの中に収録された、恋のマジック・アイ - I Can See For Milesを想起する。恋のマジック・アイ、って、かなりいい邦訳だと思うんだけれど。勿論アルバムのジャケも、曲も素敵だ。

http://www.youtube.com/watch?v=P7w8a4BwmYc&feature=player_detailpage#t=3


あとリヴィエラのI see the morning in your eyesも。ドイツの兄妹ユニットで、兄のローランドがボサノヴァに乗せて下手な英語で歌うのがとてもハッピーになる。


http://www.youtube.com/watch?v=7BySHXYCpmo&feature=player_detailpage#t=3

アイシィーザ、モーニン、インヨーアイズ って、イングリッシュを習いたてのティーンネージャーのように、甘い声で。

 安かったから、とかいう気のない理由で、リヴァー・フェニックスの追悼特集号の雑誌(他多数)を購入。特にファンというわけでもないのだが、写真の彼もフィルムの中の彼もとても魅力的だと思う。

 それに、昔の雑誌だとフォトショップで加工されてないのがないのがいい。リヴァー・フェニックスの顔にはニキビ跡が二つ、でも、そんなので彼の魅力が減ずることなんてないし、むしろそれを見つけた時に、少しうれしいとすら思った。君らのよくやる、星座探し。ほくろも傷跡も刺青も、指で舌でなぞれば、星座になることを、なんでみんな知っているだろう? なんでみんな、星座が好きなんだろう?



 以前日記に書いたのだけれど、マッギンレーとガスとの対談が美術手帳にあって、そのまま引用すると、





マッギンレーとガスはどちらも、アウトサイダーに惹かれることについて(記者に何度も尋ねられるそうだ)彼らを自分の起点として語るガス、ファインダーを通して彼ら自身になるマッギンレー。多少言葉を濁し、自分の大切なことについて語っていて、興味深かった。

 マッギンレーがナン・ゴールディン(やラリー・クラーク)と似た文脈で語られていて、でも俺としてマッギンレーの方がずっと、ハッピー・アウトサイダーに惹かれていたような気がする。マッギンレーは好みの素人を千枚も撮るそうだ。タフネス、ハピネス溢れる彼。瞬間を掴みたい彼。

 ガスの映画は割と見ている方だと思うが、毎回のように何だかちょっと気恥ずかしい気分になることがある。まるで、女性作家の描いたロマンチック・ボーイズラブみたいな。

 彼の作品の中で一番好きな作品は『ラストデイズ』で、これは本当にいい映画だと思った。主人公がカートに似ていないはずなのに、カートみたいなんだ。鋭い、痛みのような倦怠のような映画、ニルヴァーナのカートの曲に似ているなんて、なんていい映画なんだ!

 それとは対極にあるかもしれない、ロマンチックな、『マイ・プライベート・アイダホ』も結構好きだ。若々しさにあふれた、キアヌ・リーブスリヴァー・フェニックスの存在はとても大きいと思うけど。イケメン・アウトサイダーの為の、少女マンガの中の、不実でセンチメンタルな二人の王子様の為のような映画。



 俺はリヴァーの映画にさほど詳しくないけれど、この映画はとても彼の魅力を引き出していると思う。というか、リヴァーが捨て子のストリートキッズで男娼で勿論イケメンでその上ナルコレプシー(突然眠ってしまう難病)で、これだけですごいのに、御曹司の息子(キアヌ・リーブス)と友情で結ばれていて、って、これどこの夢見る乙女が書いたのって感じで、売れ線BLにありそうな(知らないが)設定で、俺はガスのロマンチックすぎる、感情移入を許すフィルムの中の余剰(風景を美しくゆったりととらえるとかカメラがなめらかにゆったりと動く)に気恥ずかしくもなるのだけれど(それと対極にあるのがジャン・ユスターシュだと思う)、それでも彼の映画が(俺にとっても)魅力的なのは、彼はロマンチックなことを信じているし、別にその美しすぎる繭の中で居直っているわけでもないということだ。

 ロマンチックついでに、以前見た映画、『潜水服は蝶の夢を見る』の原作を読んだ。映画自体はちょっとベタすぎる表現もありながら、結構ユーモラスに、深刻に、家族で楽しめる佳作に仕上がっていると思う。

 ある日、『ELLE』の編集長が突然脳出血で倒れ、ロックトイン・シンドロームという、身体自由を全て奪われた状態になったら。しかし、彼には事故の前からあるまともな思考能力があり、また、唯一、左目の瞼だけを動かすことができたのだ。そして彼は左目の瞼のまばたきで人と会話をして、本まで書きあげてしまう。

 どうやって会話をするかというと、アルファベットの書かれたボードを見て読み上げる人が目当ての単語を口にした時に瞬きをする、という気の遠くなるような作業!

 並ぶアルファベットはabcdアーベーセーデ、ではなく使用頻度に応じてesarintu…と並んでいる。

 彼は世間が勝手にイメージするような有名ファッション誌編集長そのものだったらしい、つまり旅が好きでパワフルでユーモラスで、人から好かれるような(その分敵もいるだろうけれど)、自分で切り開いていく人物。彼は自分の病状を洒落混じりに表現したり、記載したりする。記載、だ。自分の悲劇を嘆くよりも、それについてのコラムを執筆するのだ。彼の体は潜水服の中に閉じ込められたようだが、意識さえ意志さえまともなら、いつでも蝶のように羽ばたけるのだ、いつでも、旅行に行けるのだ。って、ちょっと気恥ずかしい表現なのだが、彼は勿論本気だし、その態度はすばらしいものだ。

本書で好きなところを少し、


それは仏教を信じている旅行好きの仲間たちが、はるばる日本から持ってきてくれたお守りだった。他にも友人たちが何人も、旅のまにまに神に祈りをささげてはゆかりの品を持ってきてくれて、ベッドのまわりはちょっとした神殿のようになっている。世界中の様々な土地で、彼らは僕の為に、ありとあらゆる精霊たちに加護を祈ってくれているのだ。


 俺は神様の類を信じていない(つまりフォイエルバッハ的に、神様がいるとして、今の神様は人間化されているから)けれど、何度か重病人でもないのに、お守りをもらったことがあって、それはやはり、ありがたい、かわいらしい、面白い行為だと思うから。

 でも彼だって、専門家の意見を聴くために、パリの仕事場の近くを搬送された時には、周りが何も変わっていないのに、自分だけが取り残されているようで酷く感情的に景色に自分のいた「デスク」に思いを馳せ涙を流す。しかし、2回目になると彼はほとんど何もかんじなくなったと言い、パリの変わらぬ美しさを記すのだが、文末に彼は、

 何も、変わっていはしない。ただ僕だけが、いない。僕だけが、ここに、いない。

 と書き記す。

 以前アパレル会社の社長がどういう人をとりたいですか、という質問に「幸運な人」と答えていて、つまり自分のハッピーさをしんじられる、前向きに行動できる、という趣旨だと思うのだが、そう、組織は欠けてはいけないのだ。本来であるならば、かけてはいけない人々の集まりを組織だというのだ、けれど、実際そんなことは漫画の、フィルムの中の話で、悲しいことに嬉しいことに? 替えがきいてしまう、のだけれども、替えがきかない、しかし、あなたしかいない、というのがメロドラマのロマンチックの基本要素で、この身体のほくろも傷跡も刺青も、星座にして見せるのは自分だけだ、と思えるような、そんな繰り返しで、社会は回っているのだろう。


 俺は自分が幸運だとか不運だとか言えないというか、言いたくないのだが、先日また懸賞にあたったのだ! 月に2回も懸賞に当たるなんて、初めてだ! で、あたったのがスーパーの商品券500円分。いや、うれしいけどさ。500円って。ダブルチャンスか何か? あたったの、柔軟剤の香りのガム(二つぶしか減ってない!)と500円って!

 でも、まあ、あまり求めていない、しかし突然の贈り物というのはそれなりにいいもので、俺も、誰かに何かをあげたいな、あげなくっちゃと思う。