目かくし手当 ゆうやみめくら

 吉祥寺に森山大道の展示を見に行く。引っ越しをしてから、吉祥寺には初めて行く。大して詳しくもないしたまにしか訪れないのだが、下北と中野と大山(とても長い商店街がある)が合わさったようなイメージがある。とても住みやすそうな街だ。

 電車の中で本を読んでいると、ふと、別のことを考えていて、というのはいつものことなのだが、なぜかMTGというアメリカ産の世界一売れているカードゲームのことを思い出していた。このカードはアメリカの実力のあるイラストレーターを使い、画がとてもいいのだ。

 その中で俺のお気に入りのイラストレーター、rebecca guay の「 Bandage/目かくし 」というカードが、ふと、頭に浮かんだのだ。特にお気に入りの絵柄でもないのだ。

横を向いた男の顔に包帯「Bandage」での応急処置がされている画だ。このカードも少しだけ傷を軽減する効果がある。でも、Bandageの訳として応急処置とか治療ではなく、包帯で目を覆ってしまって、「目かくし」とするのはとても訳がいいなあと思う。(というかこのゲームはセンスがいいのだ)

 映画で言うとセルジュとバーキンのロマンチックでどうしようもない出来の映画、原題がカナビス、大麻なのに、それを「ガラスの墓標」と日本語版は訳するのはそれはそれでいいなあと思った。あと、個人的には映像はとても優れていると言わざるをえないのに、センチメンタル過ぎてどうも嫌な気分になる(でも優れた映画監督だから見てしまう)ヴェンダースの中でも一番嫌な映画『ベルリン・天使の詩』の原題が「欲望の翼」だと知って(カーウァイの映画と同じじゃん!)ちょっとだけ彼を見直した笑(なんて上から目線だ笑)。だって、あんなしゃらくさい(でも出来の良い)ロマンチシズムにぴったりの題名じゃないか。

 手当をされるというよりも目かくしをして欲しい、ような倒錯した気分を想起する。そう、カンディンスキーが自分の製作中の抽象画を、別の角度で見たときに「感銘を受けてしまった」という痛ましい(多くの人にとっては馬鹿らしいと思うだろうが)そして真剣な告白、あるいはバルザックの小説の中にある完成されることのない『知られざる傑作』。

 目かくしをしてもらえることの、めくらになれることのロマンチシズム。

 森山大道の展示を見るのは一年ぶりで、昨年見たのは、新宿のグッチで小さな展示をしていたものだ。世界初(らしい)シルクスクリーンの技法を取り入れた光沢のある艶めかしいモノクロームの写真はとても美しく、ハイブランドのファッションフォトにとても似合いだった。正直、他の通常の彼の仕事から見るとそこそこ(それでも十分だが)といったところでも、それでも素晴らしい。マットな質感は、写真集で見るのでは味わえないものだ。

 実物(現場)でしか味わえないものもあるのは確かで、しかし現物が見られないものでも、十分に楽しめるものは数多い。原書講読をしなければ、その本の意味が分からない、なんて思えないし。感性と頭の問題が多分に含まれるだろう。

 ただ、少しでも近づきたいってのは素敵なことだ。よりよくなれる、より、感動できますように。


 吉祥寺の小さな美術館の中にある大道の展示は、その多くが見知ったものではあるが、もちろん作品は素晴らしいし、やっぱりあの展示の空間というのは好きだ。ひと時だけの建国、あるいはキッチュな聖域。

 その中で俺はぼんやりとできる。これはきっと、多くの人が無神論者でありながらも、寺院や教会に行くとなんとなく厳かな気分になれるのに似ているかもしれない。俺は神様は信じていないが(好きだが)、アーティストは、彼らの作る作品は信じられる。

 彼らがしてくれる めかくし あるいは 手当。ふと、意識が軽くなるような。神秘的体験だなんて大げさな物ではなく、ただ、現実のいくつかはとても美しいのだと恐ろしいのだと再確認する契機となってくれる。

 まるで俺がゆうやみにめくらに。