来年とチョコレート

 部屋の掃除をしていたら、ペット(pspの)が喋った言葉をメモした紙が見つかった。俺が言葉を教えたペット曰く、


「純粋な魂」と「人皮の聖書」の心の奥底ではどちらが大切か!
リサとガスパール」に聞いてみよう!

 今日は疲れたから家に帰って「ヘロイン」のむにゃ

 人間が賢くなるのは
 「ブルジョア」によるのではなく「ブルジョア」に対応する能力に応じてである。
by バーナード・ショー(?)

 警察に「モヘンジョダロ」に連れて行かれて無理やり「指つめ」させられるにゃー

 「人肉市場」の「八ッ橋」おいしいピョン!

 「間引き」していても「即身仏」の時も油断すると眠くなる。

 

 ラリった感じで、いいなあ、と思う。俺もペットほしいなあ。電子のもいいけれど、生きているのもとても素敵だ。


 昔のゲームはバックアップメモリー(みたいなの)がなくて、コンティニューの際はパスワード式だったのだが、ドラクエのパスワード、「ふっかつのじゅもん」(当然文字の規則はあるが意味不明な羅列)が沢山メモされたノートを親に見つかって家族会議になった、というネタ投稿を思い出した。

ティーンの子供が「ふっかつのじゅもん」に意味不明な文字を書き続けていたら、まあ、やばくていいなと思う。

 映画の消化。

 ウェス・アンダーソンダージリン急行


父の死をきっかけに絶縁状態にあった3兄弟が、インド北西部を走るダージリン急行に集結。旅を通して再び結束を取り戻していく。


 という、いつもの、というかウェスの映画はほぼ全部家族の話なわけで、家族ものなんて特に好きなわけでもないのだけれど、ウェスが好きなので楽しめた、のだが、個人的にはウェスの映画の中では一番「ふつう」というか、彼の映画の中にはどこかしら胸にくるというか、ぐっとくるダサさがスタイリッシュな悪趣味なユーモアがあるのだが、この映画ではそれがあるにはあるけれど弱かったというか、金持ちの道楽、(他の映画でもそういう要素はあるにせよ)みたいなのを強く感じてしまった。

 まあ、金持ちのロードムビーなのでそういう感じにはなっているのは仕方がないのだけれども。

 彼らは職についているのだが、先ほどpsp内のペット、『どこでもいっしょ レッツ学校』を久しぶりに起動して、ペットに言葉を教えているときに「高等遊民」という言葉を教えて、ふと、この言葉が死語になったのはいつだろうと思う。

 要するに趣味のいいニートなわけで。でも学問への芸術への漠然とした期待があった時代には「わけわからないけれどすごい」みたいな価値観がぼんやりと共有されていて、その時代特有の牧歌的とも言っていいような阿呆な空気は好きだ。

 森鴎外がおまんじゅう茶漬けをしていたり漱石がジャムを直接舐めていた話をふと思い出す。あ、安野モヨコのエッセイで臨時のアシスタントのこが「バターがおやつ」と言ってびっくりした、という話も思い出す。すごいな。俺も甘いもの好きだけれど。甘いものを食べると、マジで脳内から何か出ている感じがして好きだ。でも俺、目の前のものを全部食べてしまうので、バラエティパックとか大入り袋は買わないようにしている。ずっと食べてしまう。チョコレート、脳がとろける。


 
 クシシュトフ・キェシロフスキの『おわりなし』を見る。

  
 
夫を亡くした妻と、死後の世界から妻を見守る夫の哀しい現実を描き、至上の愛へと昇華させた

 というコピーがキェシロフスキの場合そんなわけがないわけで、子供がいるのに夫(パートナー)をなくす、ということのぞっとする感じ寄る辺ない感じなんとか自分を奮い立たせようとする感じ、といったような混乱状態が恐ろしいほどに伝わってくる。

 特に全然楽しそうではないセックスシーンのあの、交合の瞬間であっても我に返ってしまう、貪ってしまうというリアリティ(を淡々と描写する)には多少目を反らしたくなった程だ。


 人間が生きるというのには情熱だけでも失望だけでも不十分だというのが生々しく伝わってきて、キェシロフスキの映画はとても好きだ。

 ラストで夫に会う、自殺してしまう女性は、しかしその(見守るけれど何もしないできない、みたいな描写がほんのすこしだけあった)夫と視線も重ならず、大した言葉も交わさず。ただ、歩いていく。「おわりなし」という題が胸にくる。

 安直なカタルシスがないということがこの監督の美学で、クソ真面目で、好きだ。でも、クソ真面目と言ってもユーモアだってそれなりに持ち合わせているのだ。だって、それがリアル(に近い)な人々の生活なのだから。


 ただ、残念なのがウェスもキェシロフスキの映画も多くを見てしまったということだ。簡単に素晴らしい監督の映画を見られてしまうと思うと、何だか寂しくなる。まあ、見ないより見た方がいいに決まっているのだけれど。好きな物のことを考えて暮らす時間が長い方がいい。そういう生き方の方が好きだ。

 とはいえ、ずっと同じ監督のものを見続けるなんてできないし、毎食チョコレートだなんて、ありえないわけで。

 久しぶりに黒沢清の映画を見た、のだが、これがもう、酷かった。TVドラマの映画化(?)というか単にテレビドラマらしいのだが、これがもう、酷かった。俺はあんまりただの悪口というか、そういうのは口にしないようにしているのだが(だって好きな物が沢山あるなら、嫌いな物だって沢山あるはずだ)、それにしてもこれは酷くて五分も見ていられなかった。

 一応言うと、俺は黒沢清を好みではないけれど才能のある人(便利な言葉ですね!)だと思っているから書いているわけで、予算が限られていてしかもテレビだからなのかもしれないが、それにしてもなんであの人がこんななにもない物を撮るのか撮れるのか、不思議だった。

 来年になって何がある、というわけでもないけれど、それなりよ予定も予感もしたいことがあって、まあ、それなりに元気よく。ごきげんよう、お元気で、俺もね。