肌の上の星座を
朝にふとVELVET UNDERGROUND - Sunday Morning を聞く。
http://www.youtube.com/watch?v=YuM3SteeAgY
本当に、こんなに幸せでいいのかなって錯覚してしまう気分になる。本当に好きな曲だ。好きなバンド、アルバムだ。
タトゥーのデザインは当日に決めた、というか前々から入れたいのが細かい柄
なので、もう少しシンプルなのをと思っていたら丁度読んでいる本の図柄がよかったので、少し変えてそのまま使うことにした。
結構な神経質であるくせに、取り返しのつかない場面ではやけに適当だったりするのがいいのか悪いのか、まあ、いいってことにして。
施術をしてくれたのは両手首までタトゥーが入っている人で、しかしとても物腰の柔らかい人。というか、一見怖そうな人ってそうでもない人が多いような気がするのだが。というか、怖い人なんて滅多にいない、面倒であったり一緒にいたくない人なら、きっと大勢いるのだろうけれど。
鏡の前に立って、位置を転写して、横になり針が墨が肌の上に刺さると、懐かしい痛みに妙な気分になる。こんな痛かったっけ、早く終われよとか思いつつも、何だか懐かしいような。それに、しばらくすれば慣れてしまって、針が肌を刺すというよりも針が肌を撫でると言ったほうが正しいような気がしてくる。
なんだか、少し飽きてきて、ぼんやりとした気分になれる。けだるいSunday Morningのような。
ふと、友達のモデルになっていた時のことを想起する。ぼんやりと立っているだけで、座っているだけで、それだけで十分に役目を果たせる、というのは結構怠け者の俺にとってはなんかラッキーな仕事で、終わった後にご飯でもおごってもらえるのも何だかとても得した気分になってしまう。
まるで、共同作業をしているかのような。短い間の、ささやかな共犯者。
共同作業というか、映画とか演劇とかの一員に自分がなれるとはとても思わないからか、瞬間の友人、という感じが心地良いし、他人の友人のフィルターを通った自分の姿が、何だか親しみがあるような他人事のような、変な面白さもある。
爽やかで、霧散する友好。ぼんやりとできる幸福。
マザーテレサの著作を読み返していて、俺が彼女のことを好きなのは、とてもパンクだからだ。彼女のことを思うと、沢山愛しなさい沢山忘れなさい、と思い、背筋がしゃんとする心持になる。まあ、彼女がそう言っているわけではないし、俺に信仰心はないのだけれど。でも、幸福なことだ。愛しなさい、忘れなさい。それを続けていけるならばきっと、自分の好みの生活をしているということなのだと思う。
掘り終えた刺青はガーゼで覆われて、しばらくは肌のために助平とかアルコールとかが出来ない(ということになっている)。たまにはしたいのにな、なんちゃって。
彫師の人にお礼を言って、街を歩きながらNirvana - Lithiumを聞く。
http://www.youtube.com/watch?v=pkcJEvMcnEg
カートは俺の、俺らのヒーローで、もう、好きとしかいいようがない。すごく好きなので(一時期ずっと聞いていたので)頻繁に聞くというものでもないけれど、でも、彼の声が言葉が好きだ。肌にぴたりと吸いつくような、刻まれたような。
アイムソーハピー コズトゥディアイファイマイフレンズ インマイヘーッズ
ドンキホーテでビックリマンちょこが20円で売っていて驚いた。今の定価は84円らしい。それが20円って、どんだけ在庫があぶれているのだろうか? というか、人気のない弾なのだろうか? (ビックリマンの価値、値段は全く知らない)
とりあえず二十個買って、歩きながら食べると、六個七個で気持ちが悪くなった。いや、このチョコウエハースね、結構おいしいんだ。でも味が落ちたのは気のせいだろうか、前はもっとピーナッツが入っていたというか、ピーナッツ感もあったような…。
とはいえ、ブームだった頃も別に集めることはなかったしもっと言うと幼少のころは何かを自分が手にする、という感覚が発想が無かったような気がする。それを考えると、好きな肌になっている今の方が楽しいような気がして。
その肌が見慣れてしまっても、また新しいことを。好きなことについて考える時間は何も考えない時間は、居心地のいいことで。