捧げ物でアーティファクト破壊

鏡越しに見つめるタトゥーは赤みが残っていて、何だかまだ見慣れなくて、嬉しい。ヴァセリンを塗って、ラップをつけてテープをはるのは、たまにはがれて面倒くさいのだが、たぶんそこまで神経質にならなくてもいいかもしれない。でもまだかさぶたができていない。

 特に行きたい、というわけでもなかったのだが、池袋の古代オリエント博物館に行ってみた。というか、途中乗り換えの新宿でまたドンキでビックリマンを十個買って、昼食を食べないから移動しながら全部食べてしまったのだが、自分で自分にちょっと引いた。おひるごはんびっくりまんちょこ十個。来月には三十歳です俺。

 欧米や日本の美術にはそこそこ親しんでいたりしたが、中央アジアの美術等にはさほど詳しくなく、興味はないということはないのだが、それなりに知識や関心が増してきたのはここ数年のことかもしれない。

 というか、調べれば必ずその土地土地の風習や文化やらの特色があるのが面白い。なんか入り口付近で客が誰もいないのにプロジェクターで教育ビデオみたいな内容のオリエントの歴史みたいなのが放映されていて、全部見てしまった。てか、好きなんだよね、こういうドキュメンタリーみたいなの。学校でもビデオ教材の授業はとても好きだった。それにしても平日の昼間から、タトゥーが定着するまで静かにしていようと、ぼーっとオリエントの歴史とか学んでいるのは、クズのヴァカンスって感じで、何だかほっとする。

 出土品の円筒印章という粘土に印をつける円筒型の印象は初めてみて、面白いなあと思った。小さな絵巻物が作れる、みたいで。

 あと住宅街では死者がその家に埋葬されていたというのも面白いなあと思った。信仰や呪術が盛んだった頃は死者も身近な存在だったのだろうか。そして、朱色に塗られた骸骨が全体のの三割ほど見られたというのも、その意味は不明らしいが、おもしろいなあと思った。

 あと、あのシタールみたいなびよーん、みたいな弦楽器の音色もいいなー。あとハープとか。昔は音楽、祝祭は神への捧げものってことだったらしく、今でも信仰が厚い地域ではそういった風習が残っていると思うのだが、詳しくないがケチャガムランデスメタル(!)とか、公園で、小さなスピーカーとipodで流してぼんやりしているとマジまったりできる。

 あ、アクトレイザーでもこういう音楽で民のいさかいを鎮めるみたいなのあったなー。てか、スーファミでこの音楽はマジクオリティ高いっすね。古代祐三せんせいマジすごいと思います。

http://www.youtube.com/watch?v=ASt7djqloZI


 そういえば、つぶれてしまったゲーセンの思い出、当時小学生の頃にビートマニアが出始めていて、仲のあまり良くないクラスメートがやっていて、やけにかっこよく思えた。この曲とか今でも好きだ。

http://www.youtube.com/watch?v=7agSmtxF-Us

 reo-nagumo - Do You Love me?


 こういうバラードがやけに大人っぽく感じられた、でも、そういうのを好んで聴き始めても、ちっとも大人になっていない俺。かといって子供でもないけれど、でも、好きな時にふらふらできるのは、先のことを考えないならばそれなりに楽しいことだと思う。

 3dsを買って、3dsのゲームをちらほらやっているのだが、ブレイブリー・デフォルトがすごく面白いというか、昔のゲームってよかったね、みたいな人こそ楽しめそうな感じだ。ff5の進化版というか。あ、ラジアント・ヒストリアもよかったなー。

 俺はレトロゲームとかドット絵が好きだけれど、昔ノゲームは良かった、みたいなのは何だか微妙な気持ちになってしまう。何でもそうだと思うが、昔は良かった、みたいなのを言う人って今のそのジャンルをどれだけ知っているのだろうかという気持ちになってしまう。いや、思い入れがそれなりの知識があるからそういう愚痴がでるのかもしれないが、それよりも楽しむ方が、自分の好きなものを探す方が建設的だと思うのだけれど、それでも満足できないなら、作ればいい。自分を満足させるのは自分だと思うから。

 とか考えていると、買い物欲とかが増していて、困る金銭的に。旅行人に向いている人は色事と食欲が旺盛な人だそうで、その二つはどの国にもあるかららしく、まあ、結構的を射ている発言だと思うのだが、自分はどうだろう。そこまででもないかもしれない。

 その代わり、ではないのだが、今年に入ってからか週に4、5本は映画を見ていて、まるで自分が映画好きの人みたいだなあ、とぼんやりと思う。映画は二時間近くもあるから、大抵途中で早く終わらないかな、あと何分だろうとか気になってしまう。でもよほど酷くなければ最後まで見る。見る、というか瞳に映る位が適切かもしれないが。

 豪奢でスクリーン一枚向こうの世界の、暇つぶし。それも、実生活のそれも、割と好きかも知れない。

 スクリーン、モニターの向こうの、といえばやはりゲームもその一つだと思って、特に最近は寝ながら出来るから携帯ゲームしかしていない。ポケモンの不思議なダンジョンの3ds版も買った。チョコボのもそうだが、ライトユーザー向けのぬるい感じではあるが、それなりに楽しい。てか、シレントルネコもプレイしたが、あの面倒くさい死んでクリアして、そうしたらレベルが一になる仕様はムキーってなる半面またプレイしたくなる恐ろしくダメ人間向きのシステムだと思う(褒め言葉)

 で、ポケモンの不思議なダンジョンでは人間の「ぼく」がポケモンになってしまった!ということで最初に性格診断みたいなのがあり、その結果でどのポケモンになるか決まるのだが、俺、過去の三作品で全部ピカチュウだったのだ。

 正直ブームの時に小学生だった俺は全然ピカチュウに思い入れがなかったし、初めてピカチュウになった時に(ヤバイ文章だな)「こんな弱いのになるのかよーてか地面タイプとかにダメージ通らないしやだなー」とか思ったのだが、自分でピカチュウになると、あれ、かわいいのな、ピカチュウ! ドット絵でぴょこぴょこ動くピカチュウ、マジかわいい。なんだろうこれ、変な生き物飼ったら、思いのほか思い入れが生まれた、みたいなこと? それに今は優遇されていて、当時はかなり使えないポケモンだったピカチュウも結構強いのな。


 友人に お前何ちゅう?、俺ピカチュウ!、って言って 「うわ」みたいな顔でシカトされたのもいい思い出です(じゃねーよ)

 で、今回も俺はピカチュウになれるのか、と思っていたら、なんと性格診断は廃止されていて、選択式になっていました。しかも五体の中からしか選べないという…。前は十以上あったような…

 これらの作品に共通しているのは、ポケモンが主人公だからか、かなりベタでハートウォーミングなストーリーになっていることで、主人公とパートナーで色んな事件を解決していくのだが、パートナーがいっつもちょっと頼りないのにまっすぐながんばりやでマジ癒される。普段はそういうのをしないせいか。マジ、大変きもいが、全部の作品で泣いた。今回も泣いた。なんだろう、動物ものとかに弱いとか、そういうことだろうか。

 つげ義春が短編集の解説で、貸本屋時代に金稼ぎに適当に描いたお涙頂戴ものの自作を読み返してなぜだか泣けてきた、みたいに書いていたことがあったが、それを想起した、いや、まあ、そんなひねくれたことを言わなくても、やっぱ素直な人(ポケモン、動物)って好きだし、いいなあって思う。

 何かに夢中になったら、他のことは全部いらない、みたいな感じが。

 ついつい居場所とかその後とかを考えるのは人として間違ってなんていないし、何も考えないで生きられるなんてきっとアレなひとだけだと思う。でも、まあ、他人に迷惑をかけないなら、好きなように、好きなものにはせめて人間らしく。