幸福な朝に

 年末やら年明けやらに、人に贈り物をする。数千、としてもそれが続くと結構な金額になるわけで、いつのまにかかなり金を使っていてびっくりした。
ずっと買おうと思っていて、お正月に買おうとしていたps vita(二万弱)はまた先になりそう(子供か!!!)。

 でも、まあ、あげられる人がいるというのはありがたいし、そういうのがいいなと思う。

 少しづつ、宿題のような借財のようなものを溶かしながらの生活、も悪くない、かのような。

 正月に実家に帰る。とはいえ、引っ越ししまくりのオレは、大体実家に一時間程度で帰れる場所にしか住んでないのだが…そう思うと自分の行動範囲が繁華街や本の中にしか無いかのような気がしてくる。まあ、大体あっているけれども。

 正月の朝起きると、親が金箔の乗った、干菓子の羊を見せてくれた。身住まいを軽く整えた後で口に運ぶと、和三盆糖の甘みが舌の上に広がる。齧られて半身になった羊は、歯型が付けられて、唾(つばき)に濡れて蜜色になる。緑茶を口に運びながら、こうやって迎える朝はいいものだなと久しぶりにそう思う。

 父は出張が多く、息子も家を出てしまい、母はよく「一人でいると何も作る気がしないし、食べなくても平気なの」と口にしていたがオレもそうで、一人だと何を食べてもたいして美味しいとは思えない。いや、美味しいものを食べたいとかいう欲求がまるでわかないのだ。

 美味しいものを食べてぼんやりする、或いはゆっくりと食事を楽しむということは素敵な時間だと思うのだが、そういう時間をオレはとれていない、取ろうとしていない。それが哀しいことだとは、まだ思えない。

 家の元日に作るお雑煮がとても好きで、聞くと良い鰹出汁を使っている、らしいのだが、口にしたそれが味が少し違っていて指摘すると、本当に違う出汁らしく今までも言われたのだが

「お前は料理人になればいいのに(いいかげんまともな職につけ)」

 料理人はとても素敵な職業だと思う。知り合いにもいて、それを知った時その人の素敵だね度合いがなり上がった。個人的には(自分ができないから)料理と楽器が出来る人はかなり素敵だと思う。

 でも自分ではさっぱりやる気にならない。不思議だ、けれど。そういう時にふと、学生時代、ある程度仲良くなった批評家の教授に「なんで先生は自分で作品を作らないのですか?」とクソ意地の悪い質問をしたことを想起する。

 したいことができなくなってしまったり、目だけが舌だけが肥えて、生み出す力や熱情が失われてしまったり。

 でも、それでも、また別の惰性が情熱が、生き長らえさせてくれるのだ。惨めなのか幸福なのかはわからないけれど。

 最近知り合いになった人が紅茶のスクール(?)に通っていて茶葉の匂いを嗅ぎ分けてどうこう言っていて、それは素敵な商売だと思った。匂いを嗅ぎ分ける商売、って犬というか軍人というか、こういうプリミティブな能力ってかっこいいなと思う(実際は違うだろうが!!!)。

 その人は硝子の内側をなぞって音を出す楽器を(名称を忘れてしまった)持っているそうで、テレビとかでしか見たことがないのだが、それは素敵だなと思った。ああいうのとかテルミンとかゆるい感じというか、高性能な玩具みたいな楽器にとても惹かれる。

 でも、この歳になっても、オレの生活は、頭のなかはおもちゃのことばかり。ぞっとするし、それなりにワクワクする。

 人のにぎわいもありながら、シャッターを下ろした大型店もあり、また、肌寒い正月の繁華街を歩く感じにも似て。

 日本では一番好きなバンド、great3 そのボーカルで作詞作曲担当の片寄明人が最近コラムをネット上に書いていて、この人のことがオレは多分好きすぎてあんまり情報を入れないようにしているというか、ちょっとずつ情報とかを入れるだけで満足してしまえる。

 高校生の時はピチカート・ファイヴ小西康陽がそれで、彼の紹介する音楽やら映画やらはかたっぱしから聞いた見た買った。すんごく楽しいが、オレは彼らに、誰かになりたいわけでも、誰かのファンクラブに入ったこともない。

 オレのipodには二万曲以上曲が入っていて、でもその多くが(当たり前だが!)適当に好きなモノをぶっこんでいるだけだし、強迫観念にかられているからでもある。新しい音楽を!! 素敵な音楽を!! 

 自分には情熱が欠けていると思う時がたびたびある。いや、ずっと熱狂はできないのだという現実をどこかで受け入れられていないからかもしれない。そして、そんな生活を維持したり、或いはそういう気質で社会生活を送るというのはとても難儀なことだ。

 片寄明人はそのコラムでベルベット・アンダーグラウンドのファーストについて語っていた。ティーンの彼がヴェルベットの音に触れた時の感覚と、その後について。オレはgreat3も大好きだが、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドも超好きで、特にファーストが一番繰り返し聴いている。

 彼らに共通点があるとすると、それは様々な豊かな音や感情を表現できている、内包している稀有な存在だということだろうか。一番の魅力は多分、荒々しさの中のみずみずしい感情。

 ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのファーストのオープニング。sunday morning は本当に、こんなに素敵な朝があっていいのかなと思えるくらい、ドリーミングでポップなロックナンバーだ。


Velvet Underground-"Sunday Morning" from "Velvet Underground and Nico"
https://www.youtube.com/watch?v=3qK82JvRY5s


 人が多いのか少ないのか街が起きているのか起きているのか分からない、三が日の繁華街。どこまでもいけるような、どこまでってどこなんだろうとか、考えなくても、多分平気な、アホみたいに幸福な時間。アホな散財。実用性の低い洋服と、ぬいぐるみやゲームソフト。

 great3のマイクロマシーンの歌詞、




 

 ってのがとても好きだ。感覚だけでは生きられなくても、でも、ほとばしるそれがあってこその人生。かっこわるくても、カッコつけられない人生なんて。

 ふと、色々な物が不必要だと感じてしまっても、この時代に生きているならば、アレクサンドリア図書館或いはボルヘスの夢想のバベルの図書館が身近にあることを感じられるだろう。ネットもあるし、(どこでも区外貸出で国立国会図書館の本を貸し出してくれる。頼めば。時間かかるけど。)図書館もある。

 寄る辺なさを受け入れるならば、惨めさを受け入れるならば、きっとキミも僕も魔法使いになれる。簡単なことではないし、狂人一歩手前、みたいな感じだろうけれど、

 まあ、狂人の何歩手前であっても、いい時代だと、今いる場所を道程をすきになっていけたらなと思う。いい年にしたいし、するのは自分なわけで、また、阿呆なことを色々と