サイボーグキッズの様々な陥穽の輝き

 タトゥーを入れるため昼前に店に向かう。その前に採血。針で皮膚を刺されるよりも、血管に針を刺される方がずっと怖いというか、気持ちが悪くなる。冷たい異物が自分の体の中に入っていて血が抜かれていくというのは、生命には問題がなくても、嫌な気分がする。

 だから献血が出来る人が信じられない! オレには無理だ! でも、タトゥーが入っていることを知られると(面倒だし自分から誰かに言ったりはほとんどしないのだが)、入っていない人から、痛くないのと聞かれることがある。箇所によると言うか、それでもまあ、耐えられる痛みだと思う。

 ただ、入れた後で面倒事は多いとは思うけれど。

 全開施術してくれたのと同じ彫師の人で、両手や鎖骨の間にもがっつり和彫りが入っていてツーブロックイカツイ感じの人だが、ものすごく物腰が柔らかい、というかこういう人って見た目とかで色々言われる事が多いせいか、きちんとしている人もとても多いと思う(でもそうでもない人も多いだろうし、結局彫り物してるかどうかって、あんま関係ないと思う…)


 針が刺される瞬間、顔をしかめてしまう痛みと共に、変な懐かしさのような物を覚える。痛いなあとか飽きたなあとか、楽しみだなあ、とか。飽き性で何かしていないと気がすまないオレにとって、上半身裸でひたすら痛みに耐えるのは、やはり退屈だし、身の置き所がない気分にもなる

 学生の頃、友人のモデルになっていたことを思い出す。ただぼーっとしているだけというのは意外と辛いのだ。でも、普通の仕事に比べればずっと楽のような、不思議な気分、そして、自分が役に立っているというのも、不思議な気分だ。

 そして、相手のフィルターを通った自分の姿というのがとても不思議な物のように見えるのが、面白い。作品とは依頼されていないのならば、要するにその人の美意識とか主観の集積であるから、相手の一部に自分がなったような、たまゆらの友人に情人になれた、かのような。

 そういうのって、悪くないなと思うのだ。

 でも、上半身裸で、一応身体が冷えないように電気毛布(?)みたいなのが敷かれてはいても、寒いというか、痛みをこらえてじっとしているのだから、彫られている方も結構消耗するのだ。

 ふと、あーなんかやばいなーって気持ちになる。心細いような気持ちだ。(上半身だけだが)裸で誰かと気持ちいいことしてるなんて、情事の最中にふと我に返るけれど、自らを奮い立たせようとする時みたいな、寄る辺ない思いに支配される。滑稽で意味がわからなくて、でも、それを続けてしまうのだ。繰り返してしまうのだ。

 途中休憩をはさみ、二時間ちょいで完成した。これから色が落ちたりして色味は変わるのだが、かなり出来上がりがいい感じで、鏡の前でにやにやしてしまうし、彫師の人にも素直にありがとうと言えるのが嬉しい。

 それに、もっと入れたくなる。どんどん自分がサイボーグになって、自分自身になっていくような、そういう夢想がとても楽しい。

 会計の時に数万支払うと、気持ちも財布も冷えるが、でも、嬉しい。楽しいなって思う。自分の好きな生き方してるなって、こういう細かいことの積み重ねで、オレが出来上がっているんだって実感がわく。

 新宿の街を歩きながら、久しぶりに、めっちゃ好きなニルヴァーナの曲をかける。オレにとってはカート・コバーンがキリストと同じくらいクールなヒーローだ。彼らが正しいとは思わないけれど、かっこいいと思う。かっこいいひとが好きだ。かっこいいひとのことをかんがえていけたら、かっこつけていけたらなと思う。

 最近ぼんやりしたり遊んでばかりいてしまうことがあって、もうちょっとマシにならなきゃなーと思っていたのだが、こんなんでも、俺の人生、オレは楽しんでいるのかなとも思えてくる。

 オレは信仰心がないけれど、それぞれの信仰の形態とか、神話とか物語というのはとても好きだ。それが生活のためであっても。ニーチェが神が死んだと言った、というのは有名というかたまに目にするが、それよりずっとまえにフォイエルバッハが神学とはつまり人間学なのだと喝破したほうがずっと残酷なように思える。ひりひりする。

 神の死を夢想ことすら許されていないなんて。でも、その禁忌を簡単に犯す。生活のために。或いはもっとロマンチックに、人間性を獲得するために。

 タトゥーと実用性の低い服で、見た目だけはサイボーグ気分になれる。サイボーグキッズ。ギターウルフの曲がダサくてとてもかっこいい。何度もサビを連呼する。たのしい暮らしのために、様々な部品やらを拾いにいかなくっちゃと思うと、胸がひりひりして、少し、にやけてくるのだ。