綱渡芸人

 大学時代から十年近くの友人との縁が切れた。こちらからのたわいのないメールや連絡をずいぶんシカトされるようになり、そのことを告げると、縁を切りたいという旨のメールを貰った。

 お互い大学で近いものを学んでいたが、彼は今は家業を継ぎきちんとした生活をしているから、俺との色々な価値観がずれていくのは仕方がないとは思う。でも、俺は彼からの様々な人間関係やら個人的な病気やらの相談を、たまの電話で一時間以上聞いていて、愚痴だけを聞く相手となっているのは、自分でも自覚していた。

 でも、ショックだったのは、俺は友人なら、困っていたら助けたいし、楽しい時は祝ってあげたいとおもうのだが、相手にとっては、いつしか、それが利害関係で成り立っていたんだなと思ったことだった。

 人間関係で一番面倒でうんざりするのは、利害関係での付き合いを下手な芝居で慣れ合いながら維持するということで、つまり集団行動をするなら、社会で生活するならそんなことは当然のことだが、俺はそれにとても大きなストレスがたまって仕方がない。

 寂しいから、自慢がしたいから、自分より下がいることを知りたいから、欲求を満たすため、でも何でもいい。そういう感情自体はしかたがないことだ。でも、それを自覚しないようにして、他人を取捨選択したり、利用するのは、とても心の貧しいことだと思う。

 金がなくても困っても嫌な思いをしてもいいけれど(本当は嫌だけど)自分の心が貧しいと感じてしまうのは、いやだなと思う

 先日、風邪をひき、その疲れが溜まっていたのか、休みの日に気づけば20時間以上寝てしまった。自分で驚いたというか、時間を無駄にしたと思う反面、頭や身体は、そこそこリセットできたような気がした。

 友達、になるというのはとても難しいことだと思う。知り合いとかなら簡単かもしれない。一度会うだけなら、とかも。でも、それ以上続けるにはお互いに、何かがなければ会うのは難しいというか、会う口実を作るということになってしまう

 こういう時に短気で付き合いの悪い、自分はいろんなチャンスを潰しているのだなとも思う。 なんとなく、仲良くなっていくという人だっているだろうから。


これから新しい人に会ったり、今の少ないけれども、一緒に遊んだりしたい人に自分は何が出来るだろう、何をしたいだろうと思うと、やはり自分自身が人生を楽しんでいなきゃなと思うのだ。

 好きなモノを好きと言い続けるのは、何かを続けるということは簡単ではないけれど、どうせ死ぬのだし、それまでは好きな時間を沢山持ちたいなと思う。

 求めるなら、覚悟があるならきっと、そうやって綱渡りを軽々と。