彼岸過ぎ迄

 仕事やら人間関係やらがうまくいかず、さらに上の住人の騒音も解決せずにかなり腐っていたのだが、多少気持ちが切り替わってきたので、雑記などを

 調子悪いと色々どうでもいいわ、とかしてしまうのだが、一度それをするとその分のツケが回ってくるもので、日々の生活の積み重ねというのはやはり大事だなと思う。できているとはあまり言えないのだが…

 それでも、好きなことについて考える時間が俺を楽しい気持ちにしてくれる

 先日、文化村ギャラリー 幻想耽美
 
―現在進行形のジャパニーズエロチシズム

 のトークイベント

ゲスト:谷川渥(美学者)、空山基(イラストレーター)、恋月姫(人形作家)

 に行って来た。会場の作品は好みでもあり、見慣れたものでもあって、居心地のいい空間でありながらも、特に目新しさを感じるものでもなかった。でも、このトークイベントは楽しみにしていて、しかし前日上の騒音で四時に起こされて、腹立ちと疲れで憔悴して、朝起きたら整理券を並ぶ時間にはもう遅く、作品だけ見ようと思ったのだが、席の増設が決まったらしく、立ち見で参加できた。ありがたす すしですし

 トークはこの三人でどうするの? って思ったのだが、予想以上に空山が自由過ぎて(知らないものは知らないし、自分はただ作品作ってるだけだし、俺、イラストレーターで金もらってるだけだし)、谷川が荒木経惟を例えに出していて的確だなーと思った。というか、作家も勝手によくわからない文脈にこじつけられたり語られたり、大変だなーと思う。それに作者の多くは作品で語ろうとするものだし、

 恋月姫先生が淡々と質問に答えていたのも、あの恐ろしくも美しすぎる作品を作っている人の丁寧な受け答えという感じでいいなーと思った。質問コーナーでは俺は質問をさせてもらった。

 人形作家の作品集というのは、その多くが何らかの物語の中の人形を映す、というスタイルで作られていて、それはそれで魅力的なのだが、恋月姫先生みたいに生の作品だけでもすごく魅力的な作品だと、ただの簡素なライトで照らしただけの、エフェクトがかかってない、美術館で手に入るカタログのような作品集がみたいのだが、そういうものに興味はないのだろうか、と言う質問だった

 先生は出版社や撮影者の意向があり、自分自身ではスナップショットみたいなのを撮ってますよ、とのことだった。そのスナップショット的なのがすごくみたいな〜と思いながら、ありがとうございました。と質問を終えた。

 他の作品、(特に現代美術のインスタレーションコンセプチュアルアート)だと、実際の作品よりもポスターやら写真の方がよく見える(そしてキャプションで自立している)という本末転倒なことがしばしばある。先生の作品は人形でありながら、あまりにもクオリティが高いので、実物を見られる、ということに幸福感がある。

 それは素敵なことだと思う。

 以前川村記念美術館でバーネット・ニューマンの作品を見た時のような(もう売却されちゃったけど)。ほぼ、ただの赤い壁、<アンナの光>は、でも、その場で見られて本当によかった。何かを見て、美しいと思えることは幸福なことだ。

 先日友人の誕生日記念と久々にお茶でもということで軽く会った。原宿で待ち合わせをして、適当なカフェに入ったのだが、雑貨屋の二階がコンセプトカフェ(男装カフェ?)だったのにはびびった。まあ、サービスをうけないので普通のカフェでしたが…

 友人にプレゼントを渡すと、お返しに先日行われていた、ルネッサンス吉田の初個展の、豪華同人誌と図録を頂いた。高いし大体は読んだしなーと思って購入をしなかったのだが、本当はとても欲しかったのでものすごく嬉しいし、ありがたい。てか、誕生日プレゼントあげたほうがもらってどうすんだとか思ったが、また会った時に友人が好きそうなものを渡せたらと思う。

 ルネッサンス吉田。登場人物がジャコメッティの彫刻のように、エゴン・シーレの画のようにガリガリで、社会不適合で、グダグダしたり格闘したりしている。俺はこの人の商業デビュー作を読んだ時に、大好きだがあまり読めないかもなーと勝手に思っていたのだが、後で同人活動をずっとしていた人だとしる。

 あと、好きだけど、メジャーにはならないだろうなーと思っていた中村明日美子が今や超大活躍をしていて、さらにこの二人がとても仲良しなのがいいなーと思った。

 吉田先生の作品の登場人物は格闘している。負けてしまうこともある。それでも、書き続けている、物語が続いているというのが、俺にも元気を与えてもらえるのだ。この先生については前に結構書いたので、こんなもので。

 会期中の作品も、原画が素敵だった(人気なのはとうに売れていたが)
『茜新地』の主役三人が花を手にした画がとてもよかった。インクの滑らかな色気というか、原稿の上の生々しさというのは、単行本になったもの以上に存在感があったのだ。

 会期中先生に会える機会があった。ツイッター(ほぼロム専)での告知を見て行ったのだが、その日には先生はいなかった!(日付変わるくらいの明日は行きますなので何日かはわかりにくい笑)

 俺は自分が誰かに何かしても大したことがあるわけではない、と思っていて、例えば俺は超好きな人のサインとかもそれほど欲しくない。ipodに百曲以上入ってるアーティストが目の前を通りすぎても、何も言う気にはなれなかったし、そんなに感情も揺れなかった。

 それはよくも悪くも常識的というか、醒めている感じではあるが、やっぱり、自分の感情は小さなものでも形にしていきたいなーと、ふと、思う。

 ありがとうとか好きだとか、さっさと言葉にしないと、どうでもよくなっていってしまうから。

 そう思えたなら、多分これからもやることがちょこちょこあるわけで、まあ、やっていこうかなと。