ブラック モノトーン

変わらずよろしくない状況で、体調を崩して、でもまあ、しっかりしなきゃなあ、と帰宅すると、国民健康保険の某万円の請求書があり、しばし呆然としていると、深夜に騒音の上の階の奴らが大声でケンカをはじめて、ぼんやりしながら、イヤホンをしたのだが、イヤホンをしていても音の切れ間に罵り声。

 正直かなり落ち込んでいたのだが、まあ、ここまでくると腹をくくるというか、逆に冷静になってきて、まあ俺でもまだまだできるじゃんかーとか本当にヤバイわけではないよねーとか思う、ことにする

 セルジュ・ゲンスブールの映画を二本見る。

ノーコメント by ゲンスブール

ゲンスブールと女達

 『ノーコメント』の方はドキュメンタリー映画で、ドキュメンタリーなのだから、セルジュのファンとしては特にいうこともないのだが、安定して楽しめる。やはり動いている彼は少しだけ物悲しく、滑稽でいて、でも、やはりダンディーなのだ。

 『ゲンスブール』の方は監督がバンド・デシネの人で長編デビュー作とのことだが、そうは全く思えない(セルジュの長鼻のドッペルゲンガーのようなコミカルな、アニメ的な表現もあるが)スマートでテンポの良い物に仕上がっていた。

 セルジュの役の俳優もいい感じだし、ただ、ジェーン・バーキンの女優の似てなさは…まあ、好みにもよるけど…それと、やはりファンだからこそ楽しめる点というか結構前知識がないと これ誰?的な感じになりがちかもしれないが…(まあ、2時間で彼<実在のスター>の濃い人生を表現するのはムリなのでこれはしょうがないことだけど)

 デビュー曲の『リラ門の切符切り』から、彼のシニカルでユーモアのセンスは溢れていると思う。



 そうして、彼は最後はピストルで自分の頭に穴をあけて、大きなあな(墓穴)に入れられるだろう、という。本当にクールだなあと思う。

 ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュとか、アニーとボンボンとかのイメージも強いのだが、最近たまたま繰り返しジェーン・バーキン
 yesterday yes a day
 を聞いているのだが、これすごくいい曲だと思う。セルジュが自分のパートナーに送ったことを考えると、そして離婚した後も仲は続いたことを考えると、何だか切なくなるのだ。




 彼らのことをかくと無駄に長くなるのでこのへんで

 今渋谷のBunkamuraル・シネマで『ヌーベルヴァーグの恋人たち』という、あの時代を中心とした、恋の映画21本を再上映しているのだが、プログラムを見て、いっぽん全く興味ない監督の以外の20本を全て高校、大学時代に見終えてしまっていたことに気づき、カスみたいな誇らしさや満足感なんかは即座に吹き飛び、何だか切なくなった。

 まあ、半分以上がトリュフォーの映画で、dvdで視聴もしやすいだろうということもあるのだが、気持ちがあの頃のままで止まっているような、新しいものをあの時の初めてヌーベルヴァーグの作品を見た時のように感じられているのかとか思うと、情けなさや切なさに、胸に何かが刺さったような気分になる


 けれど、俺は31で健康保険料を払わなければならない(笑)し、家賃だって滞納すればホームレスになるし、身体だって二十代の頃とは違う感じがする。

 たまに、幼いまま老いていくのだ、という事に気づき、慄然とする
 でも、俺は自分の人生が悪いものとは思っていないし、好きなものとか、感じることを忘れるわけでもない。

 多分、仕事というのは社会生活を送るというのは感性に蓋をするということと同義だと思うのだ。でも、それをこなしつつも、ちゃんと色んな事柄にリンクして、自分の人生を編集していきたいし、そうしないなら、生きている意味はないだろう。

 カードで、セールなので服を買ってしまう。お金がやばくて、ジュースを買うか買わないかで悩むレベルなのに。でも、やっぱり服を買うのは、新しい服を着て新しい音楽を聞きながら街を歩くのは楽しいなと思う。

 俺はダンディーでは全くないし、別に憧れているのでもないけれど、でも、かっこくらいつけていないと、人生つまらないなと思う。かltこつけられるなら、多分、良い人生なのだろうなと。