君も吸血鬼のクッキー

 ちょっと気分が落ちていたのは、身近な目標とかがぼんやりしていて、でもしなければならないことが山積みで。

 ふさぎがちでも、外に出るのがいい。外に出てただ疲れるだけであっても、音楽を聞きながら街を歩くだけでも、少しずつ気分がニュートラルに近づけるようなきがする

 シブカル祭、とやらがやっているが女子のお祭り、らしくって、俺には及びではないのだが、渋谷に行くついでにパルコギャラリーの作品を見に行く。

 正直、さっぱりわからない、というか、割りと失礼な感想を言うならば、どっかの元気な専門学校の卒業制作的な… 俺の感覚とは合わないだけかなあ、とも思うのだが、それよりも強く思うのが、多分、ここにいる表現者達は、昔の人の作品とか他者のものよりも自分、が大好きで見て欲しくて作っているんだなあということだ。

 これは多分、あたっているように思う。良くも悪くも批評性とは無縁の世界で、それが目新しさを生む、とは俺にはどうしても思えないのだ。浴びるように他者の作品をむさぼり読んで、見て、瞳に映して、考えて、感じて、そこから自分自身の表現が生まれるような気がするから。

 とはいえ、そういうアカデミズムに依拠した、良くも悪くも優等生的な考えかたにうんざりしたり、理解できなかったり、距離をおいている人には刺激的かもしれないし、いろいろな人が色んな物を作るのはいいことかな、とも思うのだ

 パルコの地下ギャラリーの愛・まどんなの作品の方はかなりよかった。この人の作品はポップでキュートだけれど、でもなんかサイケデリックというか、シャボン玉に映る姿のようなゆがみときらめきが少女たちに見受けられるのが、儚くも、奇妙で、可愛らしいと思う。

 特に顔が魚眼レンズ等を通して見たようなデフォルメされた姿の作品はサイケ度がましてファニーフェイスなのにかわいい、みたいな感じでいいなあと思った。

 ただ、彼女の作品の一部を着たモデルが(展示されていた)全て外国人なのがなんでだろうと思った…日本的なアニメかわいいグッズは日本人がつけたほうがいいとおもうのだが…(まあ、外国人モデルのほうが見栄えはいいけど…)

 あと最近秋葉原アトレでラスカルとコラボをしていて、ずるい。正直、俺は本家のラスカルの方がかわいいというか、キャラがどんどんあざくなるというか、これ、かわいいでしょ? みたいなデザインはちょいイラッとしたり。だって素朴なのがうりなのに、変にデフォルメしなくてもなあ、というか。

 そこいくとミッフィーとかマイメロとかキキララみたいなマイナーチェンジ(?)はすごくうまいなあと思う。作品、キャラの世界観を壊さずにちょっとだけ、顔をかえるのだ。


 って、でも、アトレコラボのハロウィンラスカルの人形のうち、吸血鬼ラスカルはめっちゃかわいいと思ってしまった。マントを羽織って、ちょい悪い顔をしているラスカル。めっちゃ欲しい。あと、なんか期間中に2000円以上買い物するとアイシングのラスカルクッキーがもらえるらしい、欲しい。でも自重します。大人だから、ではなく、家に色んなぬいぐるみがあるからです!!!! ひどい31才。

 でも、お菓子のラスカル欲しい。クッキーだと長持ちするし。

 あと、先日ブランド古着屋でディオールの黒のロングコートが売っていて、36マン位なのが半額以下だったのだが、当然買えず。ほっそりとしたシルエットでマジ欲しかった。かっこいい。吸血鬼ラスカルがそのコート(マントだけど)を羽織ってたらマジクールだと思った。今度はラスカル、ディオールとコラボして欲しい。買わないし買えないが。

 六本木のima conceptstore でアラン・レネの遺作、『愛して飲んで歌って』を見る

あらすじは

友人ジョルジュの余命がわずかなことを知った三組の夫婦は、彼の残りの人生を良きものにすべく一致団結するのだが、どうやらそれぞれに事情があったようで・・・。春、夏、秋と季節が変わっていく庭を舞台に繰り広げられる男女6人の嘘と真の駆け引き。そんな人気の的のジョルジュとは、いったいどんな人物なのか


 という舞台を映画化したコメディなのだが、正直俺は初期〜中期のレネが超すきだけど、それ以降は、あれ??みたいな感じで、彼の初期の刺さるような緊張感にあふれた映画以外のを見るたびに、好きだった分、勝手な失望も大きかった。


 今回は舞台の映画化ということで、舞台のようなセットの前で登場人物がすったもんだをするのだが、正直お金を削減したのかな、みたいな感想ばかり浮かんでしまった。だって、愛して飲んで歌って って題なのに、大して歌わないし、飲まない!てか、舞台の映画化という性格上か、美味しそうな料理もお酒もなし!! 背景も似たようなものの使い回しだし、見ていて正直最初の頃は退屈で仕方がなかった。

 でも、いつまでたっても登場しない余命僅かなジョルジュがかなりのプレイボーイで、夫婦の女性たちに粉をかけていたことが発覚してからのドタバタコメディは、さすがフランス映画、みたいな軽妙さで、正直ラストも予想がついた(その通りになった)けど、それでも結構面白かった。

 ただ、昔夢中になった監督の遺作かあ、と思うと、身勝手な感傷というか、すこし気落ちしてしまう。

 好きなものは、誰でも移り行く。生き方も作るものも。だから、その一瞬でも共有できたなら、幸福なのだろうと思う。

 映画の世界から現実に引き戻される。センスがいいことに、映画の前にはシャンパンの試飲サービスがあり、終わった後もお金を支払えば口にできるけれど、本屋をひやかし、外に出る。
 夜の六本木は、中心から少し離れると落ち着いていて、薄暗くて、少し寒い。こういう雰囲気がすきだ。

 駅に近づくと喧騒が帰ってくる。これも、わりとすきだ。

 寒々しい景色の中にいるのならば、自分のどこかを燃やしていかなければ、凍え死んでしまう。凍え死んだままでも、まあ、いきられうのだけれども、それは、嫌だなと思う。 また、無駄遣いとか、あともう少しの情熱を、とか。