酷いですねこれ

最近は、割と酷かった。部屋の中にいても電気がつけられないレベルで、同でもいい仕事が決まってもすぐに辞める、の繰り返しと、ベッドの上から全く動けなく、躁鬱が酷いし、何の為に生きているのか不明なのだがとにかくお金は減る。

 小さい頃、自分がぞっとするような恐ろしい美形ではないと知ってがっかりした。でもそれよりも、神様も悪魔もいなくて、ただ、死んで灰になるだけというのに何でみんなきちんと仕事を続けていけるのか、本当に不思議だった。

 哲学に明るいわけでもないが、ニーチェよりもヴィトゲンシュタインよりもキエルケゴールよりもレヴィナスよりも俺の心を貫いたのは、フォイエルバッハの「神学とはつまり人間学である」という本当に身もふたもない言葉で、しかもその上、悪人だっていない(言い切ることはできないのだが)、彼らはだってサラリーマンのように既得権益と群れをなして生活しているというだけなのも、虚しかった。

 初めて薬を飲んだのは高校生の頃。でも、きちんとしたクリニックに通ったのはもっと後で、断薬していた期間もあるが、7、8年薬を飲み、馬鹿らしい行為で気分を紛らわせて生きるのも、そろそろいいのではないかと、迷惑をかけた親に何が残せるかとか身辺整理とか、阿保らしいことを考えている。

 のだが、短編小説を久しぶりに書いていて、一本は描き終わり、もう一本も半分くらい書けた。小説を書くというのは、純粋に楽しいなあと思う。多分、自分がどれだけ他人にたいしても自分に対しても素直じゃないか、ということかもしれないけど。
 
 感情の起伏は激しいしけれども、俺はくたばりたいとはそこまでおもってこなかった。自殺を試みた時も、多分、その時とても辛かったからだと思う。

 ただ、最近は、いつ死んでもいい、と思って、だからか、気持ちが荒れているが、多少楽になった。

 俺は自由だってことだ。色んな宿題があるから、それを片づけたいが、ともかく、鬱から回復して躁転した際の、自殺するための少しの勇気、というものを労働(笑)や創作に向けなければな、と思う。

 当たり前だが、小説では人間が出てくる。愛情を持っている人も、いるかもしれない。俺も、愛情を熱情を持っているように向き合わねばならない。

 ひどく疲れる。出口なし、という小説の題名を思い出す。

 お金があったら、タトゥー入れたいな