ラストバイブル

一日に何度も眠る。何もない、何もできない日々が続くと、不安と希死念慮が強くなる。建設的な行為ができない。友人も金も、様々な物が無い。それは俺のこれまでの人生のせい。人づきあいが苦手で(表面上は凄く上手いが)、一人遊びが好きな、ある人間の末路のパターンの一つ、であるかのように。

 一日十数時間寝てしまい何もできずに、甘いものと辛い物ばかり食べてしまう生活は、醜い。そういう生活。その合間になんとか読むことのできた小説と、書くことのできた、手慰みの娯楽小説。大した意味なんてない、けれど、何もないよりもましなのだ。

 ミシェル・ウエルベックランサローテ島

カナリア諸島のリゾートで過ごす快楽の一週間。現代の自由とカルトをめぐる物語。荒涼たる島を著者自身が撮影した写真80点も収録。


とのことで、写真集つきの短編になる。写真は、意外なことに(失礼!)結構センスがいいかんじでさらりと見れたり、迫力があるものもある。
 
 そして肝心の短編はと言うと、いつもの性とセクト、教団。そして虚しさのような、軽やかさ。といったものだった。この人は同じテーマを何度も考えていて、性は虚しいけれどそれを求めてしまうし、気持ちがいい、なのに、満たされない、ということ。
 
 それに加えて、新しい神のような物(それは彼の中ではきっと神、にはなれないのだ)を求める、組織。という問題。

 それは俺自身が書きたい、考えているものと似てはいるが、違う、でも、彼の本は面白い。それは、そう言ったテーマを扱っても、決して皮肉と冷静さ、自分自身に向けるナイフを忘れないからだろう。

 あと、たまたま借りた、ジュンパ・ラヒリ『別の言葉で』

40歳を過ぎて経験する新しいこと。文学と人生を語る初めてのエッセイ。夫と息子たちとともにローマに移住したラヒリは、たどたどしいイタリア語で秘密の日記を綴りはじめる。ベンガル語と英語、ふたつの「母語」を離れて得た自由。

 という、ことで、俺はこの人の小説を読んでないしイタリア語も分からないけれど、とにかく最後まで読み終えられたが、複数言語を使える、使わねばならない場面というのと、自分から自由に別言語に飛び込む、と言うことの喜びと苦悩が今市わからなかった。だから、著者のそのまんま、ただの「秘密の」日記帳にしか思えなかったのだ。

 まあ、俺とは相性が悪いのかもしれないが……


 あと、久しぶりにCDのレンタルをした。色々借りたが、女神転生外伝ラストバイブルのCDがなかなかよかった。というか、音源がゲームボーイというだけでポイントが高いのだけれど、自分が中学生くらいの時に、神様の名前もろくに知らないくせに、「ラストバイブル」という名前にひかれてプレイしたのを思い出させる。

 ラストバイブル。そんなものがもしあったなら。今、暇つぶしと言うか、習作というかで、アルファポリスと言う所で nero2 という名前で「真正儀典 悪童メシア」他幾つかの、エンタメ小説を書いているのだが、バイブルが、あればいいと思いながらも、いつもいつでも俺は様々な物に反抗していた。聖書、バイブルなんて、なんで信じられるのだろう。

 俺の書いてるエンタメ小説では、それを自分の好きなように、神々を殺した血をインクにして書き換える、といった内容なのだが(序盤は)。自分で造った神を信仰したら、狂信者になってしまうだろう。

 俺は寝てばかりいたくないし、頭がおかしくなりたくはない。その為には、本を読むのが、書くのが一番で、余裕がなくてそれができない時がとてもきつい。

 このままいつまでいけるのか、と何年も思っていて、結構もう、ガタがきてきた。でも、まだ、書く、読む、ことができたら。