嘘つき飛行士

 何本か書いていたエンタメ小説を書き終えた。でも、その続きは書ける。自分にとってのエンタメ小説とは、(一見)終わりのないような、お喋りやゲームをプレイすることに近いのだ。

 でも、今は文芸小説を書いているので、頭がそっちのモードになっている。どうにか散らばった欠片を集めて、無いような情熱や愛情や憎しみや吐き気を集めて、形にしなければならない。書き進めるたびに、本当に自分は同じ事ばかりかいているなあと思う、神 悪 美 。おぞましいもの、打ち捨てられるもの、喜捨と蕩尽は俺の中で同義だ。殺すのも殺されるのも傷つけられるのも傷つくのも、娯楽。本の中では、或いは。

 そんなんが好きだから、というか元からだが、身体が思わしくなく、本当にそろそろ自分でゴールを決めるのもいいかなと思う。本当はもがいて、書き続ける、美しい物を俺の身体を水晶体を刺すものを見続ける、というのがすてきなのだが、先のことは、あまり考えていない

 サンテグジュペリの『夜間飛行』を読む。高校生のころ読んだから15年ぶりくらい? すごいな。主役の飛行士とトップを話の軸に置きながらも、主役は行方不明で、名もなき飛行機たちがまた空へと旅立って行くという、無常でありながらもロマンチックな構成はとても魅力的だった。
 
 あとジャンヌモローが主役の『クロワッサンで朝食を』がモロー(当時85歳!!)目当てで見たが、中々良かった。エストニアに住む、貧しい女性は老いた母の死を見守りながら、それを待っている。そんな彼女が、元上司の言葉で、憧れのパリで、モローの家政婦になるのだが、モローの暴君ぶりがすごい。

 のだが、徐々に仲良くなる、というお決まりのストーリー、なのだが。モローの衣装がインナーは白にパール、ジャケットは黒と言うのがいちいち素敵だなと思ったらシャネルの自前だそうで、さすがですね。モローが家政婦に丈の長いコートを「私よりも貴方が似合う」とプレゼントするシーンも素敵。

 ただ、そも役中でも高齢なのに、「セックスはいつしたの?」とかいちいちあけすけなことを口にするのがさすがフランス映画というべきか。恋をしていなければ、生きてる意味なんてないし、一人きりでは、いや、愛が無い人生なんてつまらない、というのがこの映画のテーマの一つかなあと思う。

 映画自体はモローが嫌いにならなければ、気軽に楽しめる映画だと思う。

 文芸小説の為、フィリピンの資料を読み漁っている。行ってもいない人間が書くのかよ、と自分へのつっこみがあるが、主な舞台ではないし、色んな本(るるぶ系から、アングラ系から移住した人の系とか色々)を読むと、その国の景色と言うのが見えてくるし、作家、というのは嘘をついてなんぼだから。それに一回行ったから何が分かる、という気持ちもある。

 でも、最近風邪までひいてダウンしていたから、ちゃんと外にでないとなと思う。見知らぬ土地で、見る風景が、時折俺の身体を刺してくれる。その集まりできっと俺は文章を書けるのだから。