最悪の年末 あるいはおわりはじまり

30日で仕事が終わりだった。簡単な短期の仕事、ということだったが、やはりそういうわけではなくて、へとへとになりながら仕事をしていた。薬を飲みながら、これで辞めたら後がないぞと思い、踏ん張った。

 来年のことは心配だけれど、とりあえずお疲れ俺。そう思って、緩んだ気持ちで、帰宅して、久しぶりにギャンブルをしてしまった。

結果、絶対に使ってはいけないクレカ払いの十数万の金を溶かした。

自分でも信じられないし愚かだし苦しいし、ショックで現状をちゃんとまだ理解できていない。少し前まで、ちゃんと貯金をしようとしていたのに。仕事も続けられるか分からないし、とにかくムダ金は使わないようにしていたのに。

なんで、ギャンブルを止められないのか。

三十数年生きてきて、今年の夏まではやっていなかった。それなのにいっきにはまって、貯金も失い大切な物も金に換えた。こつこつ貯めていたお金は、消えて不安と虚しさが残った。

 その上、小説も書けていない

 俺に、生きる理由がどんどんなくなっていって、自己肯定感とか、そういう単語の意味すら理解するのが困難になってきた。

 貧乏でも疾患持ちでも辛くても、小説が書けて誰かの作品に触れられたら良かった。

 そんな半年前の自分はどこかにいってしまったのか。

 ただ、愚かで辛い。このままア〇ムコースにいくのかな。行っても、俺は小説を書きたいって思えるのだろうか。

 自分を立て直すのは自分でしかできない。当たり前のことだ。焦りや不安や自己嫌悪で、薬を飲んで寝るだけの生活は嫌だ。そう言う期間があるのもしかたがないけれど、少なくしたい。

 何度もうまくいかなかった。ギャンブルでもやっぱりそうだった。辛いし愚かだ。

 でも、まだ、何かを残したい。働いて稼いだお金で本とかを買ったりして、自分でも何かを作りたい。簡単なことのはずだ。

 その簡単なことも、うまくいかない時期が続くと自暴自棄になり、何かに依存をした。今回はそれがギャンブルだった。

 自傷的な依存は傍から見たら愚かの極みで、自分でもその自覚はあるけれど、止めなければならない。

 俺は過去に愚かな行為に依存して、その報いを受けた。今の自分が生きているのは不思議な事で、余生のような物だから、とにかくやりたいことはやろうって思って暮らすようになってきた。

 それを新しい依存先が壊した。その責任は勿論俺だ。

 だが、まだ立て直しはできる。はずだ。金額もそうだが、今後の自分の生活に未来が見えないのと、何度やっても同じ失敗をしたり報われないという様々な要素がからみあっているのが、つらくて、目の前が真っ白やまっくらになる。

 それでも、いきていたい、まえにすすみたい、しょうせつ、また、書きたいって思うんだ。