貧相な祝祭の後で

 最近結構荒ぶったりしていたのだけれど、仕事やめよう、と決めたら少しだけ気が軽くなったというか、前向きになったように思えてきた。

 適当に話を合わせたり、そういうくだらない嘘や我慢で小銭稼ぎ、と思うとゲロみたいな感じだが、こういう幼稚な、身も蓋もない労働に関する感想はどうしても変えようがない。変えようがないから、俺が場所を転々とすれば良い話だ。

 こういう根なし草生活は望んだものではないのだけれども、でも、まあ、さすがに慣れてはきているし、アントニオーニの『さすらい』の台詞を想起したり。

「逃れられない悪癖以外の全てから 逃れようとした。」

 これは映画のセリフだから、でも、まあ、俺の人生/生活も、それなりにうんざりしながらも、楽しい。楽しいと感じられるなら、それはいい時間だってことで。


 ファスビンダーの映画祭に行く。ファスビンダーの映画は本当にレンタルでないから気軽には見られない。dvd boxはいつ見ても高い! きちんと働いてないから、気軽に一万数千程度のものを買えないのはやはりげんなりしてしまうこともあるけれど、暇な分、ゆっくりと好きなもの、好きでもないものを考えることができる。それは、とても好きなことのように思えるのだけれども。

 『悪の神々』『リオ・ダス・モルテス』を続けてみる。いやあ、本当に彼の映画は好きだ。少し人により気味な構図とどうでもいいシーン、冗長で見ている方まで嫌になるような倦怠感を観客にも教えてくれるのはいらいら、にやにやしてしまう。

 会期中なので物語の詳細は書かないが、いつもの通り、誰も彼もが不安定で、愛してしまったものが、イニシアチブを握ったものが勝ち、という恋愛の、親密な関係における身も蓋もない真実に肉薄する様はうんざりしながらも、なぜだかとても心地よいものだ。

 彼が以前インタヴューで答えていたのが今も印象的だ。




彼がインタビュアーの「貴方の映画には繰り返し出てくるモチーフ、愛は力関係なしにはありえないのですか」という質問への回答が面白い、曰く。


「ぼくは……また……つまり、あの忌々しい話題にまた戻ってしまうんですけどね。つまり、僕らはそれがありえないような形で教育されているってことなんですよ。どうしても愛する者、より強く愛する者、その愛により執着する者、関係に執着する者は、弱い立場になってしまう。それは、愛の弱い者の方が力を行使できるということと関係している。当然ですが。感情や愛や欲求を受け入れるには度量の大きさが必要になってくるんですが、ほとんどの人間はそれを持っていない。というわけで、大抵の場合は醜い。僕は、どんな人であろうとその関係が美しいと言えるようなものを知りません」




 それなのにもかかわらず、彼の映画は濃密であり薄っぺらい人間関係に満ち満ちていて、どうしてもその面倒すぎる人間関係から逃れられなくて、つまり、愛の映画なのだ。センスの良い監督が撮るのよりもずっと、人間の愚かしさや陶酔について、ファスビンダーは表現できているように思える。


 たまに、俺の人生も、そうそう悪くないかなと思う。別に俺は悲観的でも卑屈になるわけでもなくて、色んな感情や気持ちを大切にできたら、そして何かあった時に恥ずかしくないような、参加できるような、気概があるのならば。


 貧相な祝祭の終わり、でもまた何か見つけて歩いて行くんだなと思うと、変に空元気が出てきて、

 Arts The Beatdoctor-The Anthem

http://www.youtube.com/watch?v=zR4Q0hs1_Y0






http://www.youtube.com/watch?v=vStjmYxetY0

Crystal Castles 'BAPTISM' //official video




哀しいのもみっともないのもユーモラスなのも、割と好きなんだ俺。


 お祭りの時くらいは素直にね。