ひとりでできるもん

家に一人でいる時には、料理をしないし食事もとらないと、以前母親が言った。俺もその気持ちは分かる。

 料理は時間が掛かるし、考えることが多くて面倒くさい。特に一人暮らしとなると、上手く残り物を消費しなければとか考えてしまう。いしいしんじ町田康のエッセイに「外出しても頭の片隅には冷蔵庫のシマアジの残り」みたいな内容があったのだが、読みながらすごく共感した。

 第一そこそこ見栄えのいいものを作ろうとすると値段もかかる、てか、俺がきちんとした料理を作れるわけがないし。冷蔵庫も今家にある正方形のヤツじゃあ小さすぎる。材料もスキルも金もない。これでも自炊する意義は?

 と考えていたのだが、たまーに肉とか野菜とか焼いて御飯と食べると、俺の腕でも、コンビニやファーストフードのものよりはるかに美味しくしあがるのだ。まあ、何時間も置けるように薬品付けの食材よりもましなのは当たり前かもしれない。心なしかお菓子の食事よりも身体のだるさが緩和されたような気もするし。

 料理をしているとそこそこパズルみたいで面白く感じる瞬間もあるのだ。俺の場合はえらくピースの少ないパズルになってしまうのだが。何より、自分自身の身体の為に行っているという事実が、不摂生人間には「俺も真人間かも?」とか勘違いできて嬉しい。

 そこで、だ。ニートやひきこもりの人は自分の食事を作るべきなのだ。そして、出来ればグループで料理を作れればなお良い。食べることに関してなら、まだ敷居は低いはずだし、自分で何かを作れるのは自信回復にも繋がるし。いいことづくめ!料理!このモチベーションを下げない為には、モノを焼いただけでも一応料理ってことにしたり、周に何回は自炊とかのルールを決めないことが大切だ。モノを焼いて食べてイエーイでオーケー!敷居は限りなく低く。いや、ね、俺自身のことも考えて、ね。

 参加条件は駄目人間の、料理オフとかをしてもいいかもしれない。オフ会!ナウイ!チョベリグ!最先端!(斉藤環の本で、重度のヒキコモリの人はネットすらしないってことを今思い出したが忘れよう)

 あー!料理について考えただけでこんなに建設的になれるなんて。三日もしないでピラティスは飽きたけれど、自炊は飽きてもまたするべきだ、というかするはずだと思う。(そこそこ)美味い物喰って、うまいと感じるのは大切なことだ。無気力系の人にこそ、必要なことだ。