夏に決まり

今年最高の気温を記録したらしいけれど実感はなく、扇風機も冷房も稼働せず、家で本を読んでいた、のも数時間も続けば疲労だけではなく調子が悪くなり、周囲にひと気がないかを伺いながらたどり着いた郵便受けから取り出すアマゾンのメール便、をその場で開封すると、俺が注文したものは全て届いてしまった、ような気がして、扉の向こう側に戻りながら「どうしよう」と思った、が、それよりも溜まったものを片づけなければと思う。

 最近は引っ越しのことも考えていた。その時に頭に浮かぶのは数ヶ月前に転勤(っていうんすか?)で横浜に移った友人のことだった。当たり前だが会社がお金を出してくれるので、全くの他人事で「へーらっきーだなー」と感じていた。


 横浜に関する俺の貧弱なイメージは、主にいしだあゆみの『ブルーライト・ヨコハマ』と木之内みどりの『横浜いれぶん』で出来ている。歌謡曲の似合う、港町。あ、あと他にもあった。塩と風だ。

 砂浜や倉庫街等に近づくと、場所によっては駅から降りるだけで、塩の香りを感じる。塩の香りをかぐと、普段は「塩(海)」が喚起するものから無縁な生活を送っているせいか、なんだかテンションがあがる。それはきっと、New orderTahiti 80の来日公演の報せを聞いた少年のような気分に似ている、ような気がする。何度も塩の香りを嗅いで、確かめ、海の存在を、存在だけでわくわくしてくる。むしろもやしっ子の俺には海なんていらなくて、海のイメージだけが海のようなものを十分に享受させてくれるのかもしれない。

 数年前寒い理由で初夏、静岡から神奈川の海岸沿いを一人で歩いていた。電車に乗る金が無かったわけではなかったけれど、ガードレールの向こう側には海が広がり、方向音痴の俺でもただ真っ直ぐに進んでいけるような気がしたのだ。

 海岸沿いをしばらく行くと、白線で歩道側を示す幅が妙に狭く、また車としかすれ違わないことに気づき、いくら俺でも「ここは人が歩いちゃ駄目なんじゃね」と気づくが、高速道路ではないし料金所もなかったはずだし、いつものように歌いながら歩を進めていった。

 俺にとっての夏木マリは「もうぉ、いや! 絹のくつしーたはー」の頃ではなくて、小西がプロデュースした夏木マリになっていて、貫禄のある「女優が歌う」としかいいようのない楽曲は、かなり好みのものだった。

 寺山修司(のことを好きでも嫌いでもないのだが)作詞の「かもめ」という曲を夏木がカヴァーしていて、それが、その時の状況にひどく合っていた。大袈裟な、ミッシェル・ルグラン、のような「いい仕事」の歌謡ジャズに乗せて、俺も夏木と歌う

「おいらが愛した女は 港町のあばずれ ドアを開けて着替えして 男の気を引く浮気者 かもめ かもめ 笑っておくれ

 おいらの恋は本物で 港町の真夜中 ドアの前をいったりきたり だけどおいらにゃ 手も出ない かもめ かもめ 笑っておくれ

 ところが或る夜突然 成り上がり男が一人 薔薇を両手に抱き抱え 女のドアを叩いた かもめ かもめ 笑っておくれ

 女の部屋には薔薇の 花が匂って二人 抱き合ってベッドにいると思うと おいらの心はまっくらくら かもめ かもめ 笑っておくれ

 おいらは恋した女の 部屋に飛び込んでふいに ジャックナイフを振りかざし 女の胸に贈り物 かもめ かもめ かもめ かもめ 
 
 おいらが送った薔薇は 港町にお似合い 一輪ざしで色褪せる 悲しい恋の血の薔薇だもの かもめ かもめ 笑っておくれ かもめ かもめ さよならあばよ」

 他にも「二の腕」「私は私よ」「ローマを見てから、死ね」「いいじゃないの幸せならば」とか、「女優が歌う」歌(つまりずぶの素人でも楽に口ずさめるのだ)を歌いつつ、歩く俺、に近寄る車、そう、明らかに低速でこちらに向かってくる車があって、中から人が降りてきて俺の予感は的中した。少し怒られて車に乗せられた。そういえば小学生の頃も似たようなことがあって、後ろからトラックの運ちゃんに「馬鹿野郎!! 死にてえのか!!!」と怒鳴られたことがあった。「え? 死ぬのかな」と思いながらも「壁沿いなら大丈夫じゃん」とも思っていた。そういう問題じゃないんだよねー。

 次の停留所、みたいなところで下ろされ、すっかり醒めていた俺は電車に乗ることにした。

 大体、年に一度は「横浜」のような、塩を感じる場所に行くのだけれど、それは夏だとは限らないし、アマゾンが俺に「おくりもの」をしてくれなくても、もう、夏が来る。梅雨のことなんて頭にないんだ夏が来る。