君が真夜中の恋人なら

『こどものあそび』、という南Q太の自伝的なマンガがあって、とても好きだった、売った。そのマンガは彼女のマンガにしては珍しくエロさ控えめな爽やかなもので、そういえば彼女が大得意な性描写や女の情念部つけまくりなマンガよりも、『夢の温度』とか『ひらけ駒』とか、子供が主役でほのぼのとした漫画の方に惹かれている自分に気付いた。

 こどものように、というか、子供らしい発想で、宝野アリカ澁澤龍彦らが「現実の薔薇よりも書物の中の、イマージュの中の薔薇のほうが麗しい」といったような発言をしていたように思うが、彼らはもちろん薔薇が、花が大好きで、それでいてなお、理想化された、イマージュの中の花弁を愛する、ということを口にしたいのだと思う。

 現実も美しいし、理想化された、自分のイマージュをベールをかけた花々も、同様に美しい。優劣をつけるものではなく、どちらも大切にすべきことなのかと思う。

 ちょっと、元気を出したいとき、Crystal Castles 'BAPTISM'を聴く。めっちゃあがる。数分の<洗礼>、みたいな。叫び声がノイズが、俺の意識を素直に、静かにしてくれる。


https://www.youtube.com/watch?v=vStjmYxetY0



Brigitte Fontaine & Areski - Ragilia

https://www.youtube.com/watch?v=twHMXITnmcw


 フォンテーヌ(アレスキー)も、俺の意識を覚めさせてくれる。今日も寒々しくっていい天気だって、分かるようになる。音楽って、本当にすばらしい。簡単に、俺の意識をどこかに連れて行ってくれる。

 でも、久しぶりにcymbals - Highway Star,Speed Starを聴くと、ほんとに、わくわうしてくる。こんなにポップでかわいらしいドライヴミュージックなのに、メンバーの誰一人として免許を持っていないんだって!(CDの帯に書いてあった!)

 イマージュの中の、素敵なドライブ。真夜中の、ドライブ。


 真夜中には何か起きそうで何も起きない、あの感じが好きだ、でも、もっと好きなのは、暗がりに光る数々の電灯、流れ行く車のライト。



  ずっと南米の鳥のことばかり考えていたら、何だか気分が満足してきてしまった。考えすぎるのも、考えものかもしれない。俺はアホなキャラクターものが結構好きだが、飽きてしまうことを考えると中々購入することができない。

 あの、かわいくってしかたなかったものが、とつぜんどうでもよくなる瞬間は、どういうことだろう?


 でも、とりあえず友人と動物園に行く約束はこぎつけた。けっこうカタイ友人だし、ふつうは友達同士(しかも友達の少ない俺は、必然的に誰かと遊ぶときは二人きりだ!)で無理かなあ、とか思っていたので、テンションがあがった、な、いいじゃんか! 誰と動物園いってもさ!  ワーイ!

 でも、俺に年の離れた弟とかがいたならいいたい、「俺さ、動物園つれてってやるよ、お前にオーパーツ見せてやるけんね。水晶髑髏にサイクロプスいるけん。よかろ?」

「うわーにーちゃんすげー! やべーよ! アトランティスヒヒイロカネネクロノミコンだよ! XBOX初期型のディスクにつく傷も修復されるよ!」

 とかさ、そういうの、よくね? よくないですかそうですか。俺もいいとしなんで、たまには兄貴ぶりたいというか、俺、仲良くなった人とか遊び相手って大抵年上で、彼ら大抵(うわーこいつ大丈夫かよ)とか思いつつも、俺の行動をシカトしているので、たまには、したい! しょうがなくないのに、しょーがねーなーまったくよー俺、大人やけんなー大人っぽいもんなーとか言いたい。まあ、それは、老後の楽しみにでも。老後なんてなくていいけど。

 

 以前市民ギャラリーに勤務をしていたときに、夏の間にこどもの絵画展、という企画をして、こどものえを展示することになった。その時の俺は二十代の前半だったが、描かれていた、集まった子供の画を見て驚いた。俺の子供のころ、幼稚園児、小学校低学年のころに描いていた画ととても似ていたのだ。

 男の子の絵は、立体、球体をいくつかぐちゃぐちゃに配置したようなもので、女の子のはU字型の顔に目や顔がきちんと配置された平面的なもので、俺が小さいころに見た、描いた絵の記憶がそのままよみがえってきたのだ。

 脳の構造が、なんてことは興味ないのだが、それに加えて、傾向はあっても、多くの子供たちが、好きな色で形で 判断できないものを、好きな物を描いているのを一度に見られるのは、素敵な体験だった。

 以前も書いたが、イラストレーターの寺田克也の発言で「皆木を描くときに、画に描かれた木を見て描く、それじゃあ駄目だ、他人のフィルターが、手赤のついた表現がしみついているから。自分の目で見たものを、自分で感じたものを描かなくっちゃ」

 というような発言をしていて、本当にこれは、多くの画を描く人(特に学生さんとか)にとって、重要な発言だと思う。イマージュの為に。多くのことを知るために。

自分だけの表現とか個性とか、便利な言葉だけれど、それを本当に獲得している人って、本当にわずかだと思うし、それを獲得しようと格闘するならば、見ること触れること、そして、イマージュを大切にすることが大切なのだと思う。

 子供たちの絵は、成長するにしたがって、社会からの情報を基にした画に代わって言ってしまう。それがいいことなのか悪いことなのかは分からないし、学校に通う俺らは、いやおうなく社会化される存在なのだが、それでも、やっぱり、へんてこな光景をアホみたいな「キマイラ」を見てみたいなと思う。

 子供たちが純粋だとか、そんなことは思わないけれど、彼らはきっと、夜の、電灯の恋人たち。何かありそうで何もない、でも、少しだけわくわくしてしまう。


https://www.youtube.com/watch?v=lNu0j9pGyfU

 免許なんてなくても広がる、Highway Star,Speed Star