ヴァーミリオン色の身体の君が

sfが苦手というか、さっぱり頭に入ってこなくてかなりスルーしてきた。俺がsfで苦手なのは専門用語とかがたくさん出てきて、それをいちいち理解しないと話が入ってこない感じというか、そういった描写に尺を取るために、必然的に人物の行動(単純に描写)がなんだか類型的に思えてしまったりとか…。

 でも、サイボーグとかロボットとかは結構、いや、かなり好きだ。サイバーパンク的な世界観も好きだ。世界崩壊後に、しぶとく生きる人間、みたいなのとか。シェルターとか。まるで、テクノポップのニューウェイヴの中の世界にいるような。ほんのりさびしくてがっかりしてしまって暖かくて心地よい、シンセの電子音の世界。

 メタルマックスシリーズの名言の一つ「汚染された海で取れたぴちぴちの奇形魚だよ!」

 某雑誌で紹介されていたゲームで、名前は失念した(検索したのだがわからなかった)のだが、アンドロイドの女の子の独白が印象的で(これも記憶違いがあるだろうけれど)、


「アンドロイドは電気羊の夢を見るらしいけれど、私はどんな夢をみるのだろう」

 という感じ、「実際の」アンドロイドが夢について思いにふけるみたいなシーンを思い浮かべて、俺も、なんだか少し、旅行に行けたような、意識が軽くなったのような気がした。

 俺は育成ゲームみたいな、パラメーターをちまちま上げる感じのゲームが大好きなのだが、モンスター的な物を除くと男か女を育てることになるのだが、圧倒的に女の子を育てるゲームが多いのは、ゲームの主要な(コアな)客が男だということを別にしても、アイドルの接し方を見ても分かるかもしれない。男はプロデュースしたがり、女は応援したがる。

 女の子(美少女)をプロデュース、育てる(ギャルゲーとかではなく)ゲームは多数あるだろうが、男を対象にするのは、ゲームっこの俺がぱっと出るので「ホップステップアイドル」「プロジェクトV6(アニメ画のV6をプロデュースする)「ディアマイサン(男の子の母親になる)」とか位しか思い浮かばない。

 って俺、男より女より、やっぱロボットをサイボーグをアンドロイドを育てたいわけで。

 psの初期に発売された『がんばれ森川君二号』とか。pitという人工知能にちょこちょこトレーニングをしてステージをクリアする、みたいなのだが、三歳児かお猿さんみたいな知能のpitの反応は可愛いけれど、割と飽きも早かった。もっと、高度なロボをサイボーグをホムンクルスを。

 
 それはきっと、俺が(一面において)完璧な感じな物における欠損に惹かれてしまうからかもしれない。というか、無駄と酔狂の極みという感じがする。科学の錬金術の粋の結晶が、出来そこないの人間だなんて、ロマンチックではないだろうか?


 サガフロンティアという数人の主人公から一人を選んで、近未来ファンタジーサイバーパンク的な世界で冒険をするゲームがあって、その中の主人公の中ではブルーとアセルスの話が特に好きだった。

 ブルーは双子の術師で、マジックキングダムという王国で育てられ、才能のある彼は術だけを学び、弟を殺せと言われる。彼は弟を殺すことと術を覚えることだけを考えて行動する。そしてそれを果たしても、故郷は崩壊していて、しかし彼は「ゲームの主人公として」戦い続ける。他のキャラよりも格段に高性能なブルー。キラーマシーンのような、しかし、彼も人間で。

 アセルスは人間の普通の女の子だが、妖魔の王の起こした事件に巻き込まれ死亡し、同時に王の生き血をたまたま受けて半分妖魔として生き残る。妖魔になった自分にとまどいつつも運命をうけいれるしかない彼女。永遠の生命を得ながら、美しさと恐怖以外には持ち合わせていない、興味のない妖魔の世界。
 
 そんなアセルスに王の寵姫(ちょうき、愛人)の一人、棺の中で眠りについていた美しく優しい「白薔薇姫」が彼女の教育係になり、二人は城を抜け出すのだが何度も追手が迫ってきて…

 という話で、最終的に白薔薇語り部である御針子の女の子もさらわれてしまうのだが、恐怖と混乱と怒りから逃げ出したアセルスが物語の終盤で城に戻り、

「私はアセルス! 道を開けよ!!」 と宣言するのは胸に来た。

 あと、軽くマルチエンドになっていて、エンディングによっては妖魔の王になり、部下に「姫も100人でも200人でも集めてやる」とか憎んでいた妖魔の王のようになっているエンディングが胸キュンでした。普通にプレイしていればもっといいかんじのエンディングになるのだけれど、美しい、繰り返す悪夢のような光景はゲームにこそふさわしいような気がする。

 このゲームには魔法で「ヴァーミリオン・サンズ」というのがあって、ブルーが使えるのだが、巨大なヴァーミリオンの惑星がバラバラになるエフェクトは今でも好きだ。あと続編には「世界の合言葉は森」という魔法が出てきて、これも好きだ。名前も。

 というか、「ヴァーミリオン・サンズ」も「世界の合言葉は森」もSF,ファンタジー小説の題名で、それを知った時は粋なことをするなあと思った。どちらも気のきいた題名だと思うし、それに、好きなものを知った時に、別のものも好きになる機会があるなんて。

 学生の頃は洋楽のCDの短いライナーノーツを読んで、そのアーティストと親交のあった、影響を受けたアーティストを知って、その人たちも聴いてみるのが楽しみだった。知らないものを知ることができるという幸福。

 今はyoutubeがあるおかげで様々なものにアクセスできるし、俺もそれを活用してきた。大好きyoutube.それのおかげで出会えたものがたくさんあるから。

 でも、俺は買えそうにもないものとか、あまりyoutubeめぐりはしないようにしている。だって、無限に音楽は聞けてしまう。恐ろしいことに。情報が大好きな俺だけれど、毎時間知らない物を聞いていると思うと、頭がおかしくなってしまう。

 知らないことは知りたいけれど、俺の脳にはキャパシティがあり、また、俺はすべてを知ることも多くを知ることも無理だということだ。でも、やれることはあるし、知らないことを知るというのは、面倒だし金や体力がいるけれど、魅力的なことだ。


バラードの「ヴァーミリオン・サンズ」はアメリカの架空のリゾート地ヴァーミリオン・サンズに集まる妙な機械と芸術家の話だ。sf作家のバラードだと思うのだが、彼のこの小説は幻想小説に近いというか、sfが苦手な俺にも十分楽しめる。

 空気に彫刻をしたり 砂漠を舟で泳いだり 蘭が音楽を演奏したり 機械が自動手記で詩を書いたり 気分で形も色も変える洋服や家にほんろうされたり


そういったロマンチックな、役立たずの機械の作る未来。それに実在の芸術家の固有名詞が頻出するヴァーミリオン・サンズ。ずっと、読もうと思いながらも、この年までずっと読まなかったのはやりたいことは幾らでもあるけれど、結構俺は怠け者だからだ。それになにより、素敵なことは(俺の手に入らない、触れられないにせよ)
、山ほどあるのだ。youtubeも図書館も、俺は利用できる、みたいな感じ。

 でも、バラードのこの小説が俺にとって素晴らしくロマンチックなのは、役に立たない機械の中で、人間が滑稽に楽しそうに生きている感じがしたから。sfの多くは、俺には環境もそうだが、人物の考えとかが入ってこない。だって、ギャグみたいなアホみたいなのを描写するのってかなり力量がいるし、環境や世界観の説明からしなけれないけないならなおさら大変だ。

 でも、素晴らしい物語は作品の多くは、悲喜劇で、どんなものでも、くすりとしてしまったりしてしまう。アホなところを受け入れる度量がある。

 遠くに行けるような感じ。ありもしないがっかりする未来の胸キュン。そういうのがきっと俺の好きなスカスカな電子音の中にはあって、sfを多少でも読めるようになって嬉しい。好きな物を好きだと言えるなら、俺は多分幸福