ヘヴィーライトハードボイルド

ライトノベルもどきを書いてから、ほんもんはどないでっしゃろ、と立ち読みをしたり借りたり買ったりしたのだけれど、普段目にしない表現が多数出てきてびっくりした。超適当だけど、



「わたくしにお任せ下さい♪♪ おにぎりでしたら一分で百四十個位握れるんですのよ。純君。私の愛ですぐにお腹いっぱいにしてあげる♡」
「えええ! ナナちゃん嘘つきですぅ!!! 人体の仕組み的に言って、そんなに握れるわけないんですからぁ!!」
 キラリ。ナナの瞳が満月のように輝いた。それを見たささらは大きな口をあけてあんぐち。なんと、ナナの輝く指先からは無限におにぎりが生み出されて行くのであった……。


 みたいなのとか、


 彼女がおにぎりを握ろうとした、それはいいだろう。でも俺はおにぎりの中でもたらこおにぎりしか認めていない。それもお米がきちんと立っていて、焼きたらこの塩味がそれを引き立てるような組み合わせのものだ。俺は米と具材の相乗効果に無情の喜びを覚えるような男なのだ。残念なことにナナはそこの所を勘違いしているようだったのだが。まったく。やれやれだ……。

 みたいなのとか、

 しかし自体はそんなことに構っていられなかった。突然訪れた轟音と共に、窓硝子を打ち破る旋風、その匂いで俺は「奴ら」が性懲りもなく俺を狙いにやってきたことを知る。俺は皿に握り飯を置いた。右手が贖罪の熱を帯びて疼く。
「早く隠れろ!」
 俺が放つ獅子の咆哮に怯えながらも、彼女達は机の下にもぐりこんだ。割れた窓硝子の前に立つ、忌龍の外套を纏う、禍々しい顔に、俺は苦笑しながら言った。
「よう、随分なあいさつじゃないか」
 奴は俺を蛇のように睨むと凍てつく声で言った。
「時は満ちているんだ。悪ふざけはここまでにしようか」


 みたいなの、とか。三つ書いちゃったけど、要は最初に書いた「萌え文章」と二番目と三番目の「ライト・ハードボイルド文章」みたいなのが主流みたいなんね。多分。てか、正直言って、その大部分が読みきれなかった。もしくは、立ち読み(拾い読み)で十分だった。本によっては一冊1時間かからずに読めるんだけど、なんでだろ、と自分で考えた。

 萌え、「萌え文章」に関して。俺はすぐに、色々なものに可愛いと思うけれど、それだけなんだと気づかされた。好きならば、「可愛い」を所有したりしたくなるものなんだと思う。可愛いな、で、終わり。だから単純にこの文章きついだろ、ってのを割引いても、「萌え文章」に没入したりしない。

「ライト・ハードボイルド」に関しては、「かっこうよすぎてついていけないっす」なんだと思う。俺はいつから「カッコよすぎ」から距離を取るようになったのだろう、と思い返すと、多分何か色々なことがどうでもよかったり駄目だったり、そう気づいた16の頃かな、とおぼろげに感じた。

 でも、その16の頃って、しょぼい「ライト・ハードボイルド」気分だったのかなと、今になって思う。青臭いカッコつけと、自分のルール。そんなのを処世術ぶって、おっかなびっくり、甘い世界を渡って行った。

 てか、ライト・ハードボイルドを「読もうと思っても読めない」なんて言っている俺の場合は明らかに、対象との距離が取れていないのが没入を妨げている原因なのだ。普通に生活で来てれば、気にならないか、消費出来ているだろう。

 昨日、阿部和重の『ミステリアス・セッティング』をようやく読んだ。携帯小説のサイトに連載されていた小説で、予想と読了後の感想に大きな開きはなかった。

 けれど、少し前に、可愛らしいうじうじ少女マンガ系男子の漫画からもらった、「愛が無いのを自慢するな」というメッセージではなく、あー元気いっぱいだな、という感慨を受け取った。多分、リハビリではなくて、皆好きな物を作っているんだな、と思った。俺ももうちょっと素直にならなきゃ、と思った。お前中学生日記かよ!

 てか、ガチ中学生日記なのは前述した16の時で、それからもう十年も経っているけど、人って良くも悪くも変われないものじゃん、と思う。あの頃は小説を書くなんて発想がなかったけれど、今、書きたいことがあるなんて幸せだ。突っ込みよりも、「ライト・ハードボイルド」の方が楽しそう。好きなこと書けばいい。俺は神様と芸術家が好きです。