「買物王」のテーマ/great white wonder

冷えた部屋で小汚い顔を使い古したブランケットにうずめ、都合の良い何かを期待しながらぼんやりして、少し寝て、少しぼんやりして、外に出ることにして、外出が決まると、とにかく気分は少し楽になる。

 たまの誘いも、たまの催しにも目を向けず、ほとんど歩いていける範囲で生活を行っていると、色々とどうでもよくなってくる。読んだり書いたりするには、家の中にいるべきなんだけれど、「どうでもいい」ままでいると、そんな気分にはとてもなれないのだ。どうでもいいまあmで、文章なんて読める/書けるわかがない。

 一応生活の中で節約のようなことはしていて、というかしなくてはならなくて、それで削ってきた物のツケが回ってきたのだ、と思った。特に服飾や美容に関する金は一番削っているかもしれない。てか男だし、まあ、いいっしょ、とは思っていても、あまりにも意識が欠けていると、それに気付いた時に自分の怠慢さに恥ずかしい思いがする。くせっ毛の人の為の、1000、2000、3000円のシャンプー。高いなあ、とは思うけれど、その位買えるだろ。美容院にもいかないで、汚く広がった頭で、普段よりも(さらに)安いトリートメントを使ったら、髪がさらにうねる。千、二千、三千が、本当に出せないのか、出さないのか。少しの節約が、心を貧しくする。数千円で「心」が、数日の気分が買える「かもしれない」ならば、安いものじゃないか?

 池袋に向かい、ディスクユニオンで12枚アルバムを買った。欲しいなー、と思って手にとっていたら、自然とその枚数になっていた。ジャズ、テクノ、ハウス。本当はヒップホップのCDが欲しかった、ていうか、俺はヒップホップに、ジャズ、テクノ、ハウス以上に詳しくないので、俺にとってヒップホップ(ラップ)はとても刺激的なリズムなのだ。

 気付けば似たようなものを繰り返してしまい、それは誰にでもあるような、別に咎めるようなことでもないけれど、それは時折気分の悪いものに転化してしまう。「なーんかいいことねーかなー」って気分とは、一緒にいない方がいい。それと前向きさが同居できるような人だったら、多分平気だとは思うんだけれど、俺が「なーんかいいことねーかなー」と一緒にいるのは、駄目すぎる。「いいことって何だよ、そんなのどうでもいいだろ」って、思ってるんだろ?

 帰宅してCDを聞きながら、これをどうやってipod(itune)に入れようか、と思う。数年前に買って、当時としては大容量だった30GBのipodでは、7500曲程度しか入らない。随分前から千、二千、三千(はないかも)、曲を削除して、新しい曲を入れていた。その為にアルバム全部入れて聞く、とかそういう「普通の」視聴方法を、特別なアーティスト以外しなくなった。古い曲を削除するのにも、慣れてきた。

 けれど、ipodに入らないし、何か消さなきゃいけないし、と思うと、音楽への関心は、やはり減退した。知らない曲でもたいして聞いていない曲でもガンガン入れて、ふらふらしている時に聞いていればいい、なんてことができなくなる。好きな曲、好きになりそうなものばかりを聞くようになる。音楽なんて、一番簡単に、いい気分にさせてくれるのに。

 160GBのipodは二万五千で買えるそうだ。保険に加入するなら、三万程度だろうか。三万で、新しい音楽への散財が約束される。でも、さすがに三万はきついなー、てか三万あったらwiips3が欲しい。でもそのゲーム機買っても、超やりたいソフトはwiiではファイアーエムブレムps3ではアトリエ位(あ、オブリビオンもやりたいけど)。ひとつのゲーム機に対して一つのタイトルしか思いつかないって! ていうか、それよりもアーカイブスで配信している昔の、スーファミとかプレステのソフトの方がずっとやりたい。ゲームに関しては、携帯機とオールドゲームで十分かもしれない。なんか、家庭用(携帯ゲームではない)ゲームで、テレビに向かう気力がわかない。一番最近の家庭用でスゲー熱中したのってP4? P4が一年前位に出たとすると、ここ数年はずっと携帯ゲームばかりして、ゲームへの熱も薄れているのかもしれない。

 けれど、ここ数年で、俺の生活自身が、ゲームじゃねえか、というあまり素敵じゃない、いや、面白いことを実感し始めてきて、だって、ゲームの中でだってゲームができるようにもなってきているし(メタとか関係なくね)! ゲームとして、自分の人生に責任を持たなくちゃ。「かっこよさ」のポイントが下がらないように、効き目の分からないシャンプーを購入する、とか、「気力」のパラメータを回復する為に、散財をするとか? リセット禁止と日々劣化するキャラクター設定の、結構シビアなゲームで、やり方によっては、かなり悲惨なことにもなる。言葉ではなく、どうしようもないのだと、実感できることもあるだろう。
 
 散財の後の、帰りの電車で買い物袋を開く、虚しさと小さな喜びは、俺の好みのような、そんな気がする。味気なさや居心地の悪さがないならば、買い物なんて、普通にできたりしない(日用品、必需品、の範囲は俺にとって買い物ではない)。綺麗な物に顔をうずめたいと思う、けれど、ブランケットよりも、ゲームが欲しい。小汚いブランケットをルームフレグランスでごまかし、綺麗なブランケットの夢を、稀に見る。明日は、買い物に出かけるだろうか?