オートマチックオペレーション或いはイカとキリスト

最近知った漫画家の別の本を、書店で手に取ってみると、未発表の作品を集めた短編集で、そこに(出版された当時かな)一年位前に死亡したことが書かれていて、ちょっと驚いて、ネットで調べてみると首つり自殺だそうで、ツイッターで自殺をほのめかすというか、遺書によめないこともないつぶやきだけを残して、ひっそりと亡くなってしまったらしかった。

 好きな漫画家というわけではなかったのだが、何だか残念な気分になる。そういえば最近賢治が亡くなったことを知って、この人も俺はファンじゃなかったしゲームをしていたわけでもなかったのだが、こういう元気いっぱいビッグマウス系の人が亡くなるのは寂しいような気がする。

 ちょうど彼が活躍していた頃はプレステ、サターン、64の三つ巴ハード戦争的な時代で、マルティメディアで色んな世界が広がるんだよ(笑)的な、でも、見方によってはレトロフューチャー的な、楽しい時代だったともいえるだろう。

 ゲームは芸術か、とか遊びだけではないゲーム、みたいなお題目を挙げ、でもそれは実りを結んだというより、熱気に浮かれた大人をだまくらかしたみたいな感じがするのだけれど、でもそれだけ色んな表現が許されたり出てきたりしているのはいいことだと思う。徒花でも詐欺師スレスレでも、元気がいいのはいいこと、かなとも思う。他人事。

 図書館ばかり利用して、久しぶりに中目黒の古本屋に行くと外壁には閉店セールのポスターが張られ、中ではすっかり物が無くなった空間で、おじさんがほうきをかけていた。

 映画や美術、ファッション関係の本は結構ここで買っていて、それは高校の頃からだから十年の付き合いといってもよかったのだけれど、こういうのって突然なんだなあと、当たり前の事を思う。半年くらい前に、定価は高い本をまとめて売りに行ってもショボイ値段にしかならずに、なんだよとか思ったんだが、それでも採算はとれていないのかなあと思う。結果どんどん本は売れずにどんどん(一部の)本ばかり高くなる悪循環。

 近所の本屋で、HUGEがラリークラーク特集号みたいなのを出していて、でも中身はいわゆるファッションフォト的なフォトジェニックな青年たちで、悪い作品ではないけれど、彼の初期の作品には比べるべくもなかった。

 何だか色々と詰まっていると、どうしようもない気分になっていて、新宿で行われている清水真理の作品を見に行く。

 俺は人形とかマネキンとかアンドロイドとかが結構好きだ。でも本当にすごいと思える人形作家は天野可淡吉田良で、この二人の作品は恐ろしいと思う。好きだけれど一緒にいられない感じ。あたかも人形が自立している、かのような感じだ。人形は自分のものになってしまうから、それを拒むような人形に惹かれる。

 正直清水真理のファンというわけではないし、軽い気持ちで行ったのだが、中では撮影も許可されているし、彼女の20周年記念展ということで多数の作品が並んだ会場はとても見所が多く、良かった。

 絵画でも立体でも、正直雑誌やウェブで閲覧するので十分、というようなものもあるけれど、彼女の作品を見て、本物を見られて良かったなと思った。人によってはかなりグロテスクだと感じるだろうが、俺の感覚ではひたすらキュートでかわいらしい作品ばかりだった。

 そういえば人形作家は男性なら男性の像を、女性なら女性の像を作る傾向にあるような気がするのだが、それを自己との対話、とか言うと安っぽいけれど、案外それに近いような意識があるように思う。俺も人形、というかキリスト作りたいな。その前にゲッソー作らなきゃ。結局布も綿も買ったんじゃけんほうちしとるんじゃボケカスいかキュート。

 でも何にせよ、俺は物作りをしている人が好きで、特に自分の好きなジャンルはそうだが、大人数で制作を行っている人の話は面白い。俺は短気なので人と何かを長期間にわたって成し遂げられる人をすごいな、と思う。この年になって、すごいな、とか言ってる場合かよとも思うが。

 最近好きな漫画で『大東京トイボックス』という漫画があって、これは大人たちがどうにかして自分の好きなゲーム作るぜ! 漫画で熱い感じなのだが、実際結構漫画的というかご都合主義的な場面もある、けれど大人向け少年漫画みたいなノリでとても続きがきになる漫画だ。

 この漫画は主人公が大会社で問題をおこして辞め、新しいゲーム会社を立ち上げるが、古巣の大会社で勤務を続け上りつめてそれなりの地位にいる親友兼ライバルとの縁が再び生まれ、彼との共闘と戦い、みたいなのが主軸にあるのだが、大人数で行動をしてしかも金を稼がなくちゃいけないというのは本当に大変だなあと思う。だからこそドラマが生まれるのだけれど。

 エゴがなければいいものは生まれない、しかしエゴが強すぎると誰もついてきてくれないし、売れなくて皆の生活が壊れてしまったらもともこもない、次回作も作れない。

 回想シーンで、かつて同じ会社でゲームを作っていた二人は土壇場の状況になって、主人公は「魂が違っているもんを 世に出すわけには いかねえ」と言うがエリートのライバルは「給料もらっといて アーティスト気取ってんじゃねえ」と返す。

 俺は自己中な方なので(だから大人数でどうこうとか考えないのだが)「給料もらっといて アーティスト気取ってんじゃねえ」の台詞は胸にきた。マジ、これはそうだと思う。でもエゴなくしていいものなんて生まれるわけがない、と思う(実際のところは誰にもわからないし)。

 そしてこのライバルは袂を分かった後も、主人公のパートナーでもある女社長に向かって「お笑いになるかもしれませんが 僕がこの地位までのぼりめたのは」
「もういちど 太陽(主人公)が作った ソードクロニクル(会社の看板連続作品) を遊ぶためなんですよ」

 と告げ、主人公がタフな独裁者でいられるようにと頼む。

 この女社長はもともとは別の大手企業のバリバリのキャリアウーマンだったのだが、色々ありこの主人公の会社に関わる(というか飛ばされ)ようになり、最終的には自分で太陽たちのいる会社という選択をすることになる。

 強引で優秀で、自分の力でのしあがってきた女性は、皆で物作りをする会社を、太陽を知って自分は変わったから、会社を守ると言うが、ライバルはそれに静かに怒り「あなたは何のために ゲームを作っているんですか」と問う。しかし制作者ではない彼女は答えられない。

 俺がよく読むゲーム制作者の人のブログで「時代を切り開くのはキチガイとそのパトロン」というような感じの言葉があって結構共感するというか、やっぱりエゴを大切にしなきゃというか、それをないがしろにしたら、やっぱつまんねえよと思う。その制作者の人は以前に、誰かが現場で無理をしなければ絶対にクソゲーになるといったことも言っていて、制作現場は知らないけれど、重みのある言葉だなと思った。

 前述の方を引き合いにするわけではないのだが、エゴを押し通して、あるいは折り合いがつかなくなって自殺してしまった人がいるとするならば、それは悲しい事だと思う。でも、とにかくテンションをあげて、やることやらなきゃなと思う。

 色んなはしたない、はしたなくないやり方で生き様で、生活を続けていけるような気がして、それは多分いいことだと思う。