ホテルの無い人生なんて

蒸し暑くってけだるくってまどろんでいて、目が覚めてふと、汗のにおい。

七月も始めなのに酷い暑さで、少し外を歩くだけで汗ばんでしまう。出不精なくせに旅行記を読むのは結構好きで、感傷的な感じのは厭になってしまうが(どうせならセリーヌやジュネやベンヤミンみたいなのならいい)、明るくって軽い感じなのはつい繰り返して読んでしまう。その点で行くと、青山正明の『危ない薬』が一番の旅行記かもしれない。旅行と言うか、まあ、トリップ記だけど。

 どこに書いてあったのかは忘れたが、旅人に向いているのは食欲と性欲が旺盛な人らしく、それはどの国にも「見慣れない新しい」のがあるからだそうだ。そこそこあたっているような気がするが、どうだろう。

 でも、俺がぼんやりと憧れるのは寄る辺ないホテル暮らし。

 paris match の「アルメリアホテル」を繰り返し聴いていて、口ずさんでみたり。

 けだるくひんやりとした夏の歌って感じですごく好きだ。
http://www.youtube.com/watch?v=CcEhxoMTGKc

 初夏の日差し避けるかのように日除け下ろす
 秘密の部屋に

 禁じられた楽園に魅せられただけなら 
 あんな風にしたたかな女にならない
 二人が重ねてた彼にはいえない午後

 抱きしめてもすり抜けて漂うばかりで
 真っ白な海でも泳ぎ続けて戻れないの


 歌詞だけ読んだら、演歌調というか、メロドラマチックな突っ込みどころが多い歌詞ではあるが、曲としてのクオリティがかなり高いし、ボーカルのミズノマリの声がクールでかなりカッコいいし、というよりもポップソングの歌詞に突っ込みを入れるなんてアホな行為だ。阿呆になりたくって、気分をあげたくって、聞くもので、阿呆になれたならば聞いて忘れて、また求めてしまうのが最上のポップソングという感さえしてしまうものだし。

 「戻れないの」って、結構どきりとしてしまう言葉で、実際には戻れないのではなく、怠けているとか周りを見ていないとかどうしようもないとか、まあ、阿呆な感じのシチュエーションでしかあり得ない台詞だと思うが。

 ロマンシングサガ2というゲームの中でも似た言葉があった。このゲームでは皇帝の数百年間の闘いの歴史で、一応の目標は領土を広げかつての英雄を殺しまくるのだが、それとは別のイベントで、実は人魚である踊り子に会う為に、かなり面倒な手順を踏んで秘薬を作り、それを飲んで彼女に会いに行くイベントがある。

 そして最後には薬がなくなり、皇帝は彼女に「もう、戻れないんだ」と告げ、強制的に年代が流れ、別の皇帝に主人公が変更される。このゲームを小学生の頃プレイをしていて、「おめーさぼってねーで七英雄(敵)殺しに行けよ」とか思いながらも(でも操作しているのは俺)、すこしどきりとした。「もう、戻れないんだ」とか一回くらい言ってみたいものですね。気持ち悪いですね。

 小、中学生の頃は割とテレビアニメを見ていた方だと思うのだが、高校入学頃からか、さしたる理由があるわけでもないのに、一切アニメを見なくなっていた。その頃最後に見たアニメは何だろう。『無限のリヴァイアス』か『新世紀エヴァンゲリオン』だったような気がするが、覚えていない、というか、この二つのアニメは結構好きだったから記憶しているのかもしれない。どちらもへなちょこな男の子がロボットに振り回される(乗って操縦できない)話。

 漫画は大好きなのだが、俺が好きな漫画はほぼアニメ化されない。アニメ化されるのはロボ(SF的ガジェットのラノベ)と美少女(萌え)といったジャンルが多いようで、その理由はアニメは非常に手間がかかるし、資金を回収するには放映だけではなく、dvdを売らなければならないそうで、dvdを購入するってことはライトな一見さんではなく訴求対象の層に求められている題材でなくてはならない、ってことらしい。社会か個人による容認。容認、されたい?

 理にかなっているが、傍から見ると同じような物ばかりが繰り返し流れているように見えてしまう。まあ、傍から見れば似たような、ってのはどのジャンルでも詳しくないならそうだとは思うが、それにしても視聴に二の足を踏んでしまうのは、アニメの説明的ご都合主義的な展開と、アニメ特有のあの声にもある。

 エンターテイメントにおける、ある程度の説明的な台詞や記号的なキャラクターは必ずしも瑕疵とはならない、だって限られた尺で表現しなければ、消費されなくてはならないのだから。でも、あの媚びたような、日常生活ではあり得ない声は、長時間聴くには適していないように思う。アイドルソングは大好きだが、アイドル自体にはあまり興味が無いのだ俺。てか、興味無い人から過剰に反応されても皆困るだろう。阿呆になれない、醒めてしまう。
 
 声優と言う職業が成り立っているのは日本だけだと思うが、不思議な職業というか、文化だなあと思う。外国では未だに俳優(志望)の小さな仕事なのだが、日本で発売されたゲームが外国で発売されて、外国人が当てた声を聞くと日本版とのギャップに驚いてしまう。特に女のキャラクターが、日本アニメでの「おっさんボイス」的な素っ気なさで喋っているのだ。それが自然なのは分かるが、過剰な演技というのも、「ありえなくって」、興味深いものだ。

 個人的にはアニメと近しいものとして舞台が挙げられると思う。どちらも説明的でありながらとても過剰であるということだ。それを楽しむ作法が分かる人以外にはおいてきぼりになってしまうような。

 正直どちらも自分には向いていないのかなと思いながらも、どちらも知りたいなと思っていて、でも、舞台は金がかかるし、アニメは何時間も見るのは難しく、大した付き合いはしていなかった。他にも好きなことがあるからごめんな。

 とはいうものの、最近は一年に一、二本位はアニメを見ていて、「坂道のアポロン」と「タイガー&バニー」はとても面白かった。それぞれジャズと青春恋模様、二枚目半のおっさんとクールな二枚目の戦隊系バディ物で、こういうのってあんまり放映されないのだろうか。こういうのなら見たいんだけれど。あり得ないけれど、あり得そうな感じで、騙してくれる物を。

 とか思いながら、またアニメを見ない生活を送りつつ、先日ニコニコ動画で一気に全話放映されていた「ローゼンメイデン(の二期)」を見た。こういう一気に無料ネット配信というのは非常に助かる、でもニコニコ動画のアニメ放送の日程とか調べ方は全く分からない。調べようともしていない。

 元々このアニメは原作を読んでいたから、それで見たというのは大きい。よそ者にとっては、見知らぬアニメを見ると言うのは結構敷居が高い。

 何百年も眠りと闘いを繰り返す、人形師「ローゼン」の娘「メイデン」である七人の少女たちは「アリスゲーム」という闘いの中で至高の少女である「アリス」になることを求められる。ゴスロリ人形少女の萌え漫画的ではあるが、一応、バトル物でもある。
というか、闘っているからこそ、俺はこの漫画が好きだ。

 一応その放映は全部見たのだが、途中で見ながら携帯ゲームをプレイしていた。ストーリーは知っているのだ。そのくせ、途中のシーンで何度か涙を流していた。涙を流しながら、俺は結構簡単に泣くなあと思っていた。

 引きこもりの少年の元に突然「真紅」という名前の赤いドレスをまとったドールが届く。彼女は闘いに巻き込まれたひきこもりの少年に向かって「生きることって、闘うことでしょ」と告げる。

 彼女は闘いを望んでいるわけではないが、ローゼン、「お父様」に愛される為に至高の少女になる為にアリスゲームに参加しなければならないと考えている。


 そんな彼女は闘いの中で片腕を失ってしまう。引きこもりの少年は彼女をなぐさめるのに、「腕が無くてもお前はお前だろ」と「学校に行けなくても……」と家族に言われていたような言葉をかけ、喋りながらも自分自身で戸惑いを覚える。

 そんな少年に彼女は言う「でも私は完全でなくてはならないのよ それはあなたが人間で私は人形だから ジャンクの人形なんて誰もいらないもの」

 元々俺は、この物語の主役でもある、球体間接人形がとても好きなのだが、本当にすきな人形は、吉田良天野可淡の作品のような、所有できないような、恐ろしい人形だ。

 多分俺は何かを愛玩するという感覚にかけているのだと思う。家でネコを飼っていた時はもう本当にかわいくって仕方が無かったのだが、あれはネコが自分の物ではなく、触れられる友達だからこそ好きだったのだと思う。

 美しすぎる、カスタム出来る人形は、理想の自分、半身、恋人になれる存在で、理想化された自己愛の受け止め身という感じがしてしまう。誰にも傷つけられないセルフイメージ。内なる小宇宙。

 それよりも俺は、ふとした時に思う、薫る、体臭とか痣とか微笑みの方が好みで、何より、闘っている感じの人が人のような存在が好きだ。俺は「キャラクター」ではないし生きることは闘うこと、というよりも逃げたり闘ったりだらしなかったり、といったものだが、不完全な、阿呆になれることが、やはり楽しいし、そんなこんなで夏も変わらずに過ごしていくのかなと思う。

 できればもう少し、アニメとか他の物にも触れられたらなと思う。