南米の魔術師

割と外に出ていることが多くって、そこまで遠出をしているわけではないのだが、交通費がばかにならない。でも、家にいるなんてげんなりするし、(先日家で深夜二時に騒音がしたし。でもあまりにも騒音に神経質な俺は人に「じゃあ山に行けば」と言われた)

 でも、どこかに行くときの、あの音楽と一緒にぼうっとできる時間は好きだ。車内で本を読むと、いつもよりも集中できるような気がするし、そのせいで下りそびれたこともあるし。

 物を失くすのも割りと得意で、小さい頃、新幹線のチケットをなくしてしまったことがあって、親に「何で○○(俺の本名)に物を持たせるんだ!」とちょっとしたいざこざが起きた。その頃俺、一応十歳過ぎているわけで、そのチケット代は親に貸していた中から相殺されたわけで。何だ、このじんわりと嫌な気分になる思い出!

 でも、ちょこっとだけいい気分になれたのは、池袋のサンシャインシティでアマゾン展をしているそうで、アマゾン、にさほど興味はないのだけれど、あの鳥! 南米の鳥! 誰だって一度は何かの画像で見たことがあるはずの、オニオオハシが見られるのにはテンションが上がる。前に一、二度見たことがあるはずなのだけれど、それでもマジかわいい。天然であんなカラフルで大きなくちばしをしているなんて、欲しい。


 でも、さすがに一人でいくのは忍びなく、俺と同じようなテンションで心のアマゾンを燃やしてくれる奴(は?)いねーのかよ、と思うのだが、そんなん考えると俺の心が寒くなる。来月の閉展までには、なんとかアマゾン友達をつくりたい、それか友達のアマゾン心をひきだしたいものだが……

 母を訪ねて三千里の、アメディオも欲しい。スローロリスという目玉の大きな白いサル。正直、サルはあまりかわいいと思わないのだけれど、あのサルはスゲーかわいいと思う。熱帯の方が生き物や植物の色がカラフルなのが多いような気がするのだけれど、どういう理由からそういった傾向が生まれているのだろうか?

 あ、あとゲーセンのプライズのテレサのルームライトが欲しい。テレサが暗闇でひかんの。オニオオハシかスローロリステレサ。俺の家に来て欲しいな。

 でも、家はいつものように狭い空間に本が山積みになっている、人なんて絶対に呼べない有様で、しかも最近はいろいろとごたごたしていて消化も悪く、でも、外に出るお供で、軽いものを、軽い感想で。

 中学の時にマジックザギャザリングというカードゲームに夢中だった。アメリカで生まれた、トレーディングカードゲームの元、みたいなゲームで、二十年以上の歴史があり、ゲームデザインも優れているのだが、イラストもアメリカを中心にしたイラストレーターによって描かれていて、最近は似たようなリアルなCG塗りが多く寂しいのだが、かなりのクオリティで、新しいパックを開くとき、新しいカードを組み合わせるとき、デッキを使ってデュエルをするとき、本当に、自分が「魔法使い」になったような気分になれたのだ。

 カードゲームではこれが初だと思うのだが、世界大会、プロツアーというものが存在するのも、魅力的だった。国内の予選を勝ち抜き、世界の強豪と死闘を繰り広げられるなんて! 勿論賞金もやばい。ひとつの大会の賞金総額25万ドル! って! ゲームの賞金で生活するとか、マジ、超かっこいいと思うんだけど!!!


 でも、そんなひとは一握り、というかほぼいない。だって、将棋や囲碁とは違い、「ドロー」がある、幾ら堅牢なシステムでも、運の要素はかなりからむし、何より、ずっと勝ち続けるなんて、「プロ」プレイヤーの中でだって、どのくらいいるのだろうか?

 ゲームだけで生活費を稼ぐ、なんてマジかっこいいと思うが、そんな人はほぼいない。職業「詩人」で食っていける人がほぼいないみたいに。大体有名になったら関係会社から声がかかったりして、ライターや広告塔的な存在になる。勿論それでも素晴らしいと思うけれど、現代の賞金稼ぎって、何だか憧れてしまう。寄る辺なんてしらねえよ、的な。

 部屋の中で山積みになっていた本のひとつ、十年以上前に買った、1998年アジア太平洋チャンピオン、中村聡の自伝的エッセイ。

 彼がマジックと出会い、夢中になり、銀行を辞め、のめりこんで、戦いに勝つ、みたいな、読んでいてさらりと読めるし、読んでいていいオチがつくような本だけれど、色々と考えるところもあった。

 世界中で一番遊ばれているカードゲームで、ひとつの大会の賞金総額25万ドル、となると、大会で「勝ちたい」と思うなら、もはやガキの遊びではなくなってくる。俺は友達とできればいいや、と思っていたし、その友達とも縁が切れたらやらなくなったのだが(カードや本は買っていたが)、

 とにかくこのゲーム、というか人気のカードゲームはお金がかかる。トップレアは一枚数千円、それをデッキ最大投入数四枚で、なんて考えると、トーナメントレベルのデッキは幅はあるにせよ、十万とか超えてしまう。レギュレーションによっては、もっと恐ろしいことになる。それに当然、ひとつのデッキだけを作る、プレイするだけでは勝てない。


 この本の中でもマジックを離れていった多くの人についての言及があった。人も、時間も、金も要求する。(マジックは普通の大会では、二年ごとに古いカードが使えなくなるのだ! (別のレギュレーションでは使える)活性化には素晴らしい効果があるが、金銭的な負担はとても大きい)

 だが、ガチではまった人たちは、チームを作り、そこでプレイとデッキの品評を重ねて改良していく。

 また、マジックではプロプレイヤーであったり、強いデッキのコピーが普通に行われている。ネットで見たレシピ通りのデッキ。勿論プレイングで差は出るし、メタゲーム(どういったデッキが主流かを見極めた上でのデッキ選択)を考慮したうえでの選択であるから、「勝つ」為には普通の行為なのだが、中村は高性能なコピーデッキを使うのを嫌った。

 彼は楽しみたいし、自分でデッキを作りたいということを語っていた。マジックの楽しみ、自分で作って、そして、勝つこと。しかし一時期はずっと負けが込んでいたそうだ。そう、強いデッキがあるのに、使わなかったから。いつしか、パックを開ける楽しみが薄れていたことに、彼は気づかされる。最初の内は、どんなアホなカードを使っても、負けても勝っても楽しかったのに、チームの中に入って勝つことを目指したことで、失うものはあった。

 でも彼は自分自身でデッキを作って、勝った。それはとてもかっこいいなあと思った。勿論、トップ・デッキレシピを自分流にアレンジして勝ち抜いている人だってすごいと思う。どちらも、きっと、自分の信念を曲げていないと思うから。それに、やっぱり、勝ちたいって気持ちって、そして楽しみたいって気持ちって、大切だなと思うから。


 中村は近年ではマジックプレイヤーというよりも、別のカードゲームのデザイナーとしての活動が目立っているようだが、彼のような人がいるというのは、とても素敵なことだなと思う。ゲームみたいな、「遊び」に一生懸命になれるって、素敵なことだ。
 また、中村は一緒にプレイしてくれる友人は大きな財産、みたいに言っていて、それは事実だと思うし、だから胸がちくりと痛んだ。

 そーだよな。俺も、一緒に遊ぼうって、知らない人に、気軽に言わなきゃなと思った。嫌なら別れればいいだけだし、もし、そうでないなら、それは短い時間であっても、幸福なことだと思うから。

 とにかく、金でげんなりしてしまってはいるけれど、鳥には会いに行こうと思う。不安よりもどうでもいいことよりも、考えるべきことは沢山あるはずだから。