幸福について

 買い物ばかりしていた。買い物は大好きだ。でもウィンドーショッピングでも十分楽しめるし、好きなモノを買っていたらきりがないから、普段ならセーブしているのだが、丁度セールの時期で、洋服がバカみたいな値段になっていて、バカみたいに買った。バカって楽しいなー。

 洋服はとても好きだけれど、それを職業にしたいとホンキで考えたことはなくって、それと、洋服を来たり作ることって、基本的にとても健康に根付いている行為だと思う。健康な生活や生活基盤があってこそ、無駄な、高価な服飾に金やら情熱をかけられるのだ。

 だから、調子が悪い時は店にも行きたくないし、服だって適当なのだし、洋服の事なんて頭から完全に除外している。誰かと会うときとか、特別なときだけ少しおしゃれをする、みたいなのが普通かもしれないし、それでいいとも思う。

 でも、オレがめっちゃテンション上がるのは、実用性のない、バカみたいな洋服たちで、そういう服は高い。バカみたいに高い。でも、すごくどきどきする。

 そういう服は古着でしか買えないのだが、セールの時とかはそういう服がバカみたいに、安くなることがある。そういう服はデザインがやばかったり、サイズが大きすぎたり小さすぎたりする。

 1月でドルガバのダメージジーンズを二本買った。定価は一本五万。勿論かなり安くなっていたから買ったのだが、デザインが好きで買ったにせよ、こんな安くてに入るというのが、楽しくもアホらしい。

 オレは身長が187センチあって、オレの足の長さでも丁度いい長さのパンツ。(丈詰めればいいけど)しかも派手なダメージ加工がされていて、どこの誰がこnパンツを欲しがっているんだろう、と思うとバカみたいな気分になって、でも、それがとても愛おしいと思う。

 バカみたいな値段のブランド品。ちゃんとした所得があって買っているわけではないけれど、でも、オレは高級ブランドと言われる洋服がとても好きだ。好きだ、けれどきちんと買えていないからそれなりに引け目を感じるし、多分オレは大好き、にはなれないのだろうなと思う。

 高級ブランドに恋をしてしまったら、その人はどうするのだろう?

 先日友人に銀座のエルメスでタダで映画が見られるよと教えてもらって、エルメスの服もカバンも一つも持っていないのに予約をした。一応名目上は古い映画の修復や文化への貢献ということで、まあ、広告費という側面もあるだろうし、オレみたいなのでも、見てもいいのかなと思っている。

 シンプルなワイシャツの大体の値段。裏原とかセレクトショップのが一、ニ万前後で、ギャルソンとかアンダーカヴァーとかユニフォームエクスペリメントとかがもうちょい高くて、セカンドラインが三、四万で、エルメスとかヴィトンとかになると、六万を超えたりする。シンプルなデザインの、ほぼ、ただのシャツなのに! 


 勿論細かい違いはあるにせよ、その細かい違いのために数万を支払えるのは、服好きというより、本当のお金持ちだろう。アホらしい、のだが、そういうのって、馬鹿げていて素敵なことだと思う。ブランドという魔法にかかることができるなんて。


 paris match のoliveという曲がとても好きで、たまに聞いている。(youtubeにないが!)


 


 という歌詞で、しかしジャジーで軽快なメロディーに乗せて歌うそれは、とてもからっとしていて、また、色っぽい。それに、





 とか歌っておいて、大丈夫、他の曲ではすぐに、グラマラスで虚しい輝きの中で歌っている彼女を容易に見いだせるだろうから。

 日々、虚しくも、楽しい。というか、そういうのが本当にオレは好きなんだろうなと思う。たまに、自分が人よりずっと薄情だったり、情動的だったりして、我ながらぞっとしてしまうことがある。でも、好きなことは中々変えられない、止められない。

 中学の頃、アメリカ産のカードゲーム、マジック・ザ・ギャザリングにかなりはまっていた。イラストも色んなイラストレーターに依頼していてとても綺麗だし、ゲームはかなり奥が深いし、とにかく質が高く、それが証拠にオレが大人になった20年以上もこのゲームは現役で多くの国の人に楽しまれている。プロツアーなんかもあって、(ごく一部だが)賞金で暮らしているひともいるほど。

 古いカードになると数万、ではなく数十万にもなり、デッキという60枚のカードの束で対戦をするのだが、古いカードを使う戦いだと、冗談ではなく、百万越えのカードの束で「ゲーム」をすることになる。

 とはいえ、勿論安価でも楽しめる。最近のカードだけ使うのならば、数千〜一万円くらいでもそこそこ戦えるデッキが作れるだろう。でも、最近のカードを使う「大会」レベルのデッキになると、それなりに高いカードを使うはめになり、安くても3万位かかったりはする。

 カードの束に三万、勿論それだけで済むわけではないし、他にカードを買い足したり変えたりするし、戦うデッキが一つだけとは限らない。趣味に掛けるこの値段は高いだろうか? オレは高いと思ったから辞めた。それに高校生になって、やる友達もいなくなったし。

 でも、最近やる友達ができて、十数年ぶりに復活した。それにはやっぱり値段が安く済むこともあげられる。ネットで底値が簡単に調べられるようになって、通販で買うと驚くほど安い値段でカードが買えるのだ。

 オレが中学生の頃、ショーケースの中で千円前後(そういう値段のカードを何十枚と買うのだ!!!)だったカードが百円二百円になっていたりして、マジでやばいと思った。当然当時の数倍のカードもあったが…。

 昔はショーケースに飾られているのを見つめるだけだった。でも今はそれがチョコレート一つの値段なんて! バカみたいに買った。ここニ、三ヶ月でバカみたいにデッキを作った。残骸もあるが、出来上がったので、10もデッキを作って友人と空いた時間で戦い続けた。
ほぼぶっ通しで7時間くらいしていたこともあった。バカみたいだ。でも、すごく楽しいし、飽きることがない。

 で、オレはふと、ここ二、三ヶ月でまあ、一万二万くらいは使ったのかなーと思っていたのだが、デッキは十個で、それ以外にも出費はしているわけで、どう考えても8万だかそれ以上の金額をマジックに費やしているのに気づいて、マジでバカだと思った。
気軽に遊べたらなーってのが、二、三ヶ月で八万? 勿論それ以上使っている人はざらにいるが、そういう人はオレみたいに「ゆるく遊びたい」のではないから、比較にはならない。


 というか、月に二三千円くらいで遊びたいな とか思っている人間が月にニ三万くらい使っているという頭の悪さ…

 ふと、紙の束がゴミになる瞬間がある。マジックを止めるときもそうだったし、これはゲームでも遊びでも仕事でも、そういうものなのだと思う。そういうのがない人はとても幸せ、いや、幸せも不幸もないような気がする。

 遊びは、楽しいし、虚しい。

 バカみたいに夢中になれるって、アホくさくても気持ち悪くても幼稚でも身を滅ぼしても、とてもいい時間なのだと思う。 


 このゲームにはゲームの雰囲気を深めるように、ゲームのルールとは関係ないフレーバーテキストというのが書かれているのもある。

 俺が遊んでいた当時は特に、文学作品からの引用が多く、ぱっと思いだせるだけでも、シェイクスピア、ポオ、ジョン・キーツタゴールアラビアンナイト、中でも一番好きだったのが、

高潔のあかしという、敵を迎撃する際に一時的に強力な力を得るカードの、ホメロスイリアス」第18巻からの引用で、




やがてわたしも、死の前にひざまずくときがくるだろう。だがそれまでは、勝利の栄光を味わわせておくれ。

という台詞だった。また、このゲームオリジナルの台詞、


 


自分の体力をかなり消費して、二体の生物を破壊する「灰は灰に」というカード。






王も乞食も最後は同じ ――― 悪臭と、腐敗と、非難に囲まれて。

――― エイリーン・コララーン「遺産」






 王も乞食も最後は同じ、「灰は灰に」


 でも、それまでは、ひざまずくまでは、輝かしい幻を見ていたいなと思う。

 最近、またちょこちょこあり、虚しいと、楽しいと思っている。

 ブランド物の洋服もカードゲームも、一般的な見方は間逆かもしれないが、どちらもオレにとっては愛おしくも虚しい存在で、しかしそれらはオレに素晴らしい夢を見させてくれるのだ。オレの、誰かの人生やらを蝕んだりしながら。

 
 ふと、死を寄る辺なさを自らの情熱のなさを意識する時、同時にオレはその思考を可能としている自分の生命を実感する。冬の肌寒さ、チョコレートを口にするような喜び、些細なしかし無数の憎しみ、そしてそれらも忘れて、生活は続いていく。

 そのことをきっと幸福というのかなと思う。