君が好き でもきみの嘘も好き
トラ欲しい。トラ欲しい。動物園に行きたいのだが、寒くて、もう少しあたたかくなったら行こうと思う。トラほしいなー。ティガーも欲しいな。
哺乳類はめっちゃかわいいと思うのだが、哺乳類は主人の存在を認識してしまうから、ひとり暮らしではとても飼えない。実家で捨て猫をネコを拾って飼っていたのだが、帰宅すると足音で気づいて、玄関でにゃーにゃー言って待ってるんだよね。可愛すぎるんだよね。一人にさせておけないんだよね。
動物のわーい、ッて感じのはめっちゃテンションあがるのだが、にんげんのそれ、つまり、愛してくれよ、ってのは何だか引いてしまうことがしばしばで、でもそれは俺自身に愛情が欠けているからかもとたまに自戒して、ちょっとへこむ。
俺は好きなモノやら人やらがあるならば、愛されなくても平気なのだが、愛して欲しい人は常に多くの人からそれを求めていて、かなり価値観が違くて距離を感じる。
でも、愛されようとする人は、時に、けだもののように愛らしい。
銀座に映画を見に行く。ちょっといい服を着ていくのだが、今月買った服が一着もないという…何のために買った服なんだ!!
でも、ちょいいい服を着ると気分もいい感じになるし、そういうのいいなと思う
銀座エルメス ル・ステュディオ で、当然だが並んでいる人らは割りと普通の格好の人らで、でも身なりはきちんとしている人が多いし、年齢層も30代が多そうだった。 普通の映画館に比べたら小さなスクリーン、それに向かって並べられた臙脂色の椅子が可愛らしい。
かなり前にagnes bが協賛して、ヒルズでジャック・タチの『プレイタイム』を上映していた。先着でポストカードがもらえるということで結構早く行ったら誰もいなくて、え、と思った。まあ、いいけど。
大好きな映画は気軽に見るのもいいけど、やはり大きな画面で見られるというのはいいし、映画館という、映画のためだけの時間の場所というのはいいものだと思う。
エルメスも文化貢献としてこういう場を提供しているとのことで、そういうのってすごくいいなと思う。素晴らしい物で金を稼げるものもあるが、多くの物は金を稼ぐのに向いていない。内容が複雑に高等になるに従い客が減るのは当然だ。だから、金を情熱をどんどん「無駄遣い」するべきだと思う。それはブランドにとても相応しいと思うのだ。
高校生の頃にビデオで借りて見た『気狂い(気違い)ピエロ』。ゴダールの中でも一番有名でロマンチックな作品かもしれない。俺も夢中になって、彼の映画はかたっぱしから見た。どれもこれも好きでたまらないし、というか、世の中には素晴らしいものが死ぬほどあるという事実が、クソみたいなあれやこれやから俺を遠ざけてくれた。
人生はロマンチックの方がいい。でも、それにしても俺は色々まずい、とも思うが。
でもまあ、時折、いや、日々、夢の様な物を見ていたいなと思う。
スクリーンで見る映像はとても美しかった。何度も見ても何度でも美しい。好きな映画(監督)というのはそういうことだと思う。何度も、何度でも、そして、それも二時間の夢。
俺はヤバイ位の飽き性なので、途中で眠いとか早く終わらないかなーとか思っていたのだが、画面が白くなりスクリーンが電灯の光を取り戻す瞬間はとても好きだ。夢から覚めてしまう瞬間。しかし俺はまだそこにいて、その記憶の欠片も残っているのだ。
何が見えた?
永遠が
太陽と海が溶け合う
というラストのランボーの詩もとても好きで、この映画で知って、彼の詩集を買った。アルチュール・ランボー。アンファン・テリブル。その性格も、彼の残した詩も、とても好みだ。もっと蔑みを熱情を辱めを栄光を。そんな輝かしい明晰夢のような悪夢のような時間を、彼らは教えてくれる。
銀座はたまにしか来ないし、何だか馴染めないような気がする。大通りばかり着飾っていて、裏通りはかなり寂しい感じだ。ドンキもユニクロもできたけど。
でも、あの見上げるようなビルが並んでいる様子はやっぱりわくわくする。小さい頃、家にすこしお金があって親とたまに来ていて、銀ブラ、とかいう言葉を親が使うのを、子供心に恥ずかしく思ったのを覚えている。
でも、どこでもいいけれど、好きな街があるというのはいいことだと思う。
デパートもいいけれど、デパートはどこにだってあるし、銀座には鳩居堂があるのは嬉しい。ちょっとした手紙やらを買って、それだけでも心が少し誰かのことを考えることができるのだ。
チョコレートや洋服がなくても、きっと素敵な街。
で、俺は渋谷と新宿に寄って、またセールで、ふくを買って、この1月だけで十数点服を買ってしまい、(全部カードで!!)自分でもやばいなと思った。
でも、俺、服好きだったんだな、いや、好きだなと思えるのはそんなに悪い気分じゃない。顔見知りに服屋の店員さんに「見たら欲しくなるからもう来ないようにしないと」と告げると「見るだけでいいからきてくださいね」と言われて、困るが、少しうれしい。
それは、丁寧にもてなしてくれているのもそうだが、その人も服が好きなんだなって分かるから。好きなものを好きと言える生活をしていたいなと思う。
ことブランド物の服に関しては、値段がやはり大きなネックになるわけで、「買いたいものを買いたい時にきちんと買う」のが正しいあり方だ、と、正しさなんてないのにそうどこかで思ってしまっている。本とかならせいぜい高くて(一部を除き)数千円だしね。本、いくらでも買えるぜ!!やばいね!!
マジで。数百円とか図書館とかで、いくらでも、何時の時代の人にも出会うことができるなんて。
でも、本とかばかりだと、頭ばっか使ってる感じがしてしまう。その点、服はやはり人が着て完成するのだから、その点がとてもぞくぞくする。自分が着て完成するという喜びと羞恥。また、意識的な生き方をしているならば、だれにでもきっと似合うスタイルがあるというのが、とても素晴らしいことだと思う。
きちんと服を着こなせたなら、それは多分猛獣使い、いや、きっとけだもののように美しいのだろう。そして、その皮を脱ぐのだというのもいい。
けだもののように、と思うと何だか明日から、少しトラっぽいノリでいけるかなって。トラ欲しい。