朧火は錯覚

見放題だっから、いつも見ているような数十年前の映画ではなくて、最新のここ数年に話題になった映画を見たのだが、そのほとんどがびっくりするほど何も残らない上にそれなりにクオリティが高く、もう、何も言えないとしか言いようがない状態だった。高額の製作費をかけて、万人が満足するような物を作ることは、つまり、そういうことで、そんなのは承知ではいたが、それでも何もかもに感動することがない(映像は綺麗だが)というのは、やはり寂しい物だ。

 でも、初期の、ファースト、ルパン三世のアニメを見たらやたらカッコよくてしびれた。俺が小さい頃見ていたのは、二期の再放送で、それも完成されたサスペンスありコメディありとして好きな作品だったが、一期のハードボイルドさには震えた。

 ルパンが悪役のような感じで出ていて、峰不二子はルパンをひたすら裏切るし、そして昔の画なのに、今まで見た不二子の画の中で一番色っぽい魔性の女っぷりを発揮していた。仲間といえば次元だけで、ゴエモンとのバトルも面白いし、ルパンは「犯罪者」だから、邪魔な物は徹底的にぶっ壊し、射殺する。不二子に裏切られても

「裏切りは女のアクセサリー」とかいうルパンのセリフも、ハードボイルドの世界の中なら様になっていてすごくいい。

 銭形が無事にルパンを逮捕したのに、いつまでたってもルパンが脱走せず、いらいらし始めて生気は抜け、とうとうルパンが無事脱走すると息を吹き返したようになるの回も好きだ。

 と、思っていたら、この初期のハードボイルド路線のルパンはとにかく視聴率が悪かったらしく、早々に路線変更を強いられて、このファーストルパンも半分くらいから、もう別物と言っていいような、コメディ色の強い物になっているし、不二子がショートカットでめっちゃ色っぽくないし、でもこの路線をさらにクオリティの高い物にしていった、ルパン一味の四人と銭形は毎回登場してドタバタ劇が沸き起こると言う、マンネリだが黄金パターンを成立されることによって、こんなにも愛されるシリーズになったというのは、二期を楽しんで子供の頃見ていた者としても、薄いルパンファンとしても複雑な心境だ。

 あの悪いルパン、裏切りと欲望とちょっとのかっこつけは、たしかに子供向けではないかもしれないが、久しぶりにかっこいいアニメを見たなあという気持ちになったのだ。

 カッコいい物。今ニューヨークでコムデギャルソンの展示が行われているという。彼女は自分をアーティストとは言わない。経営者だと、口にしてインタビューもあまり受けないし、余計なことは言わない。でも、常に新しい物に挑戦し続ける。新しい物に挑戦し続けると言うのはどれだけの信念とエネルギーがいることだろう。コムデギャルソンの服を着るということは、服に負けない自分が必要でもある(普段着にドレスダウンされたものも勿論あるが)。

 身体が動かなくて、寝たきり老人のような、夢遊病者のようなコールドスリープをうけていたかのような俺の身体は、酷いことになっていて、それに加えて馬鹿げた値段の服を買える身分でもなくなっていた(元からだけど)。

 でも、自分がちゃんとするには、ちゃんとしている人を見ることだと思う。自分一人きりでいると、つい、思考も固定されるし、ジャッジも知らず知らずのうちに甘くなる。こいつはすごいとか、こいつには勝てないとか、そう言う人に、実際に会えなくても、本等で本人の「ことば」、信念に触れることで、俺もバカやってるわけには行けないと思う。

 最近よく、俺はいつまで色んな意味で「保てるのか」と思う。そして、同時にまだ書きたいことがあることに多少の安ど感のような物を抱いている。小さな蝋燭の火。消えかけていたはずだったものを、俺はちゃんと見ることができている。

 自分でそこに息を吹きかけて消さないように、見捨てないように。弱々しい火ではあっても、それこそが俺の錯覚、輝き。