世界で君が頑張ってなくても好きって

久しく日記を書いていなかった。新しい短期の仕事で色々とあった。これから先も分からないのだ。自分が生きていることが不思議な気持ちになる。幸福や不幸を感じられることに、ふと、感慨深く、他人の興味深い生活に触れているような感覚になる。

 しかしこれは自分の人生。何度も嫌な波が訪れるけれど、修正せねばと見たいものを見なければと思う。

雑記。たまってるなー

 

 成瀬巳喜男監督『娘・妻・母』また見る。還暦を迎える母親を、大人になり家庭を持つ子供達が祝う。しかしお金の問題で、家族に亀裂が走る。出演者、高峰秀子 原節子 草笛光子 森雅之 宝田明 仲代達矢等々本当に豪華。都合の良いお金の無心、母親の押し付け合い、所詮は皆他人。それぞれの生活が

あるのは分かるけれど、見ていて胸が痛い。ただ、家族だって他人、というテーマと同じように、血が繋がっていてもいなくても親愛があるというのを、娘妻母役の三人が示してくれている。利己的でお金に困る描写が多いのだが、脚本に説得力がある上にメリハリがあり納得させてしまう監督は見事。

成瀬巳喜男は本当に庶民、人々の悩みや生活を描くのが上手いなあ。グチグチして嫌になるシーンも、彼の映画ならさらりと見られるのは、構図の美しさ、テンポの良さ、基本抑えた演技(描写)だけど、見せるところはきちんと見せるといった職人芸があってこそか。オッサンになって彼の凄さにさらに気づく

話の流れで『ナニワ金融道』(教頭先生の回)でぼろ泣きした、と言ったらドン引きされる。FF6のロックを最初は全然好きじゃなかったが、お調子者のふりをして、死んだ恋人を蘇らせようと保管しているエピソードを知り胸キュン。ナニワもロックの同人誌もないので、朝田先生のとても素敵な本で脳を浄化す

どんな理由があるにしろ、死体を(できればきちんとした状態で)保管しているって、ポイント高いよな。何のポイントかは、わたくしめには分かりませんが。

死者蘇生系のエピソードって、大抵悲しい結末を迎えるんだけど、たまに例外もある。大好きな人は蘇らないって物語に慣れていると、死なないことに、永遠の生命愛情に俺の脳がバグる。あ、今シューマン聞いてるんですが、死者蘇生の話題にとても相性が良いですね(?)

科学者が愛した人のクローンを100人作る。全員にランダムで武器を与えて殺し合いをさせて、最後に残った一人に、ネタばらし。科学者は自分を殺してくれと頼む(お金も貰える)
 どんな決断を下したのかは分からない、最後の一人のクローン君をケアするセラピーシミュレーションゲームがやりたい。

『名画を見上げる 美しき天井画 天井装飾の世界』読む。その名の通りの一冊、大型本で全体と細部の写真が載っていて迫力満点。本書は、宗教(教会、モスク)文化(劇場、美術館、カジノ)権力(宮殿)政治(市庁舎、議事堂)という四つの章でまとめられている。美しい天井画や建築と共に

その成り立ちも解説されているのがありがたい。教会で人々が見上げる(聖人等の絵画の題材に見下ろされる)一方で、モスクでの装飾に具体的なモチーフが排除されている(偶像崇拝の禁止、神以外崇めるな)といった対比も面白い。一定の距離を保った場所にある作品というものの魅力を伝えてくれる一冊。

なんで子ヤギは歩く時に常にぴょんぴょんしてるんだろう? 昔テレビで、トトロのメイの動きが、ピンボールの玉の動きを逆再生してるみたいで不規則で魅力的と紹介していたと思う。不規則ぴょんぴょんはかわいい。アニメ詳しくないが、プロメアもとても良かった。動くのを見るだけでも楽しい。

眠れない日が続いている。日々が怖いと眠れないし落ち着かない。音楽をとても小さい音量で流しっぱにしているが、ネクロノミコンをもぐもぐする音声あったらとても良いと思う。朝起きたら人皮の聖書になっていたら怖いから、新宿で芍薬の花を買えば良かった。

夏だから毛皮が欲しい。動物園にいない方の麒麟の毛皮が欲しい。きらきらふわふわしてそうだ。麒麟の毛皮を着て安いビジネスホテルの硬いベッドの上で干からびたい。

昔片眼に模造宝石を入れられる人を書いたので、眼球摘出について調べていた。(昔は?)眼球と眼窩の筋繊維を鋏でぶちぶち切るらしくって、とても怖い。ゲームだと隻眼盲目キャラは強いのが多い。それもいいが、自分は身体を改造された、きらきら駄目人間が書きたかった。今ならもっと上手く書けるかな?

恵比寿の今井キラ個展見に行く。フリルと花の組合せの作品が多くて、うっとりする。かわいい。スマホの画面で見ても素敵だけど、大きなサイズの原画の微妙な濃淡が、一枚の絵なのに雄弁な童話の世界の様にロマンチックで素晴らしい。本買いました。複製原画も欲しい。

 今井キラは生きてる中で今一番好きなイラストレーターかもくらい、魅力的で、見ていて幸せな気分になる。花、フリル、少女の秘められたひそやかな世界。

木下恵介監督『お嬢さん乾杯!』また見る。貧困から成り上がった壮年の佐野周二。嫌々行ったお見合いで元華族原節子に一目惚れ。身分違いのラブコメ木下恵介の演出は大げさなのが多くて苦手、と思いつつも、テンポも構図も良いし話も王道で分かりやすくてほんと上手い映画。没落華族役の原節子

が、はまり役過ぎる。この映画は1949年のなので、元華族という設定がマッチしていたはずだ。ショパンの幻想即興曲が流れるのだが、年代のせいか?レコード(ピアノ弾いた人)のせい?、演奏がかなり下手に聞こえた。
関係ないが喫茶店ルノアールショパンみたく当時はとてもモダンな象徴だったのかな

『モンス・デジデリオ画集』読む。題材にキリスト教、聖書の場面を用いるのに、主役は人(神、聖人)ではなくて建物であるかのような奇妙な画。しかも、倒壊する建築物の絵画だ。ボスに近しい細密的幻想悪夢も感じるが、それよりも彼の画は乾いている。人間も神も屹立、或いは倒壊する建築物の装飾なのか

ギーガーの自伝的エッセイ付きの画集『ネクロノミコン』見る。彼の作品をまとめてきちんと読んだのは初めて。作品も魅力的だが、彼の自伝的エッセイが興味深い。様々な病的なことや不安、トラブルが続いても、かく。それしかないんだって。本人は健康でいたい的なコメントしていた(メンタル病んだ

人が自分の作品を好むけど、そういう人らのよく分からないのに絡まれるのはこりごり!みたいにハッキリと言えるのは、制作者の健康の為に大切なことなのかも。健康って、何かを作るのにとても大切なのだ。何度もトラブルが起きても、他者や作品を大切にして楽しむことを忘れないようにと自戒。

『映画と演劇 ポスターデザインワークの50年 知られざる仕事師の全仕事』小笠原正勝 読む。本当に大好きな、昔の映画のポスターのあれもこれもそれも、一人の人が担当していたとは! 有名な映画があり過ぎて、見ていて本当に楽しい。映画の魅力を伝える為のポスターは、予告編の様な魅力大!

市川雷蔵主演映画『斬る』見る。剣3部作の一弾。天才剣士が辿る悲劇の人生。時代劇、チャンバラ映画苦手だ。でもこれは71分と短いし雷蔵だしと気軽に見たら、とても濃密な設定でテンポも速い作品だった。チョイ役の人達にも見せ場がある。前半後半での雷蔵の顔つきの違いを見られるのも楽しい。

市川崑監督『あの手この手』見る。恐妻家の大学教授。夫婦仲はギクシャク。家出した姪のじゃじゃ馬娘が転がり込んできて、静な家が引っかき回されるホームコメディ。1952年のモノクロ映画で、画質がかなりよくない。しかし市川崑が得意の登場人物のユーモラスで洒落た掛け合いが面白い。

ウィリアム・バロウズ/アレン・ギンズバーグ『麻薬書簡 再現版』また読む。この本(再現版ではない?)を初めて読んだのは十代の頃。十代男子の将来なりたい職業トップ3は、キリスト、カート・コバーン、ヤクザ(電⚪調べ)なのだが、望んだ職業に就ける人はわずかで、大抵殺人鬼として糊口を凌ぐ

若い頃は、アウトロー的な物に憧れを抱いていた。でも、色々あると、その夢も陰る。カッコイイアウトローなんてごく一部。アウトローやヤバイ奴の作品で凄いのもごく一部。でも、バロウズのは今でも好きだ。彼の出鱈目気まぐれに付き合わなくても、日記(形式)の文章だけで十分に良いのだ。

昔、大江某の初期作品が好きだった。でも、ある時気づいた。彼の小説に出てくるヤバイ奴や犯罪者からは犯罪者の匂いがしない。これは小説の瑕疵になるかどうかは、好みの問題だ。犯罪小説家が犯罪者である必要はない。上手く騙せれば良いのだ。でもさ、バロウズはメチャクチャやって、それを描いてる

それが下品でユーモラスで楽しそうで的確で性欲に似た親愛たまーに切なくって、要するにポエジーが、自己中心的な厄介者の、アウトローの詩が見えるんだ。アウトローは自分の体験を大切にし過ぎる。どんな犯罪行為も人生だって、他人にとっては読み捨てられる娯楽だ。なら、バロウズみたいなのが良いな

おとぎ話を集めた本を読む。内容は良いが、アンデルセンの説明文に、容姿が醜く失恋を繰り返して貧困に苦しんで、って書かれてあってモヤモヤ。読んだのは最近の本だが、こういうの昔から書かれていた。アンデルセンの切ない童話は好きなのだが一々容姿が醜く失恋とか書くのは失礼過ぎて止めて欲しい

水の女 溟(くら)き水より』また読む。ラファエル前派や世紀末の画家が描いた、水の女達。彼女たちが持つ死や妖しさをコンパクトな画集で気軽に眺める事ができる。命を奪われる(死に行く)ことが、豊かなロマンテシズムに結びつけられるのは何故だろう。美しい死霊のような死体のような。あり得ない美

『幻獣とモンスター 神話と幻想世界の動物たち』読む。本書はアッシリア時代からの古い図版を集め、人々が神話のモンスターをどのように想像したのかを記す。メジャーなのが多くページも少ないが、図版がエッチングや古いであろう物ばかりでとても雰囲気が良い。馴染み深い幻獣の原型みたい。

最初にあるイェイツの引用もとても素敵だ。

「世界は不思議で魅力的なものに満ちている。研ぎ澄まされた感性をもつ者が訪れるまで、それらは静かに隠れているのだ」

高峰三枝子主演、清水宏監督『信子』見る。九州の田舎から東京の女学校に赴任してきた信子。訛りをひやかされながらも懸命に務めるが、問題児の学生の親は学校の有力な後援者で、誰も彼女を注意できないのだが……
1940年の映画なので、音と映像がとても悪く、日本映画なのにイヤホンに日本語字幕で

見る。内容はシンプルな人情物と言っていいかもしれないが、昔の女学校の言葉使いの丁寧さや画質は悪くてもテンポや構図が良く楽しく見られる。後半、問題児の女の子が先生に『私は悪い娘です』みたいな台詞を言うのだが、そういうの好きな人なら見て後悔しないはず。

『すぐわかる 画家別 幻想美術の見かた』また読む。有名どころから、この人の画集あるのかな?みたいな人まで幅広く網羅。幻想美術、というものに共通点が見られるとしても、厳密に定義するのは難しい。しかし、作者が見たものを見られる、というのは素晴らしいこと。誰かが作り上げた世界は美しい

清水宏監督『按摩と女』見る。戦前の映画。目の見えない按摩が温泉宿へ。そこで出会った女性は、何か妙な影があるようで……
大きな事件が起きるわけではなく、淡々と人々の生活を撮る。しかし、凡庸ではなく、風景も交流もさらりと見せる。井伏鱒二に近しい資質を感じた。温泉宿は人々の交流がある

けれど、そこに留まる人は少なく流動的だ。同監督の『簪』に近しい設定。東京から来た訳ありげな高峰三枝子、彼女を思う按摩。彼は目が見えないから、両者がふと同じ画面に映ると、緊張感のようないけないものを見てしまっているような、わずかな背徳感を覚えた。

ウィリアム・バロウズ『ゴースト』読む。絶滅していく霊的な存在へ哀切を込めて。マダガスカル島の聖なる存在ゴーストと海賊ミッション船長の冒険譚。本書の内容は訳者山形浩生の愛のあるあとがきを読むと良い。次々と現れて消えていく、自分の好きな事ばかり語るバロウズ。メガネザルはかわいい

人間は疫病で死ね。バロウズの書いている物語が幻想文学とは言い難いのは、思いついたもの、言いたいことを好き勝手に繋ぎ合わせている点だと思う。しかし、それでも読めるのは、彼の見る(ドラッグによる)ヴィジョン、その鮮明さ不条理な連なりが[時には]よく見えるからか。92ページしかないのも良い

ラーゲルクヴィスト『バラバ』読む。ゴルゴダの丘でイエスの代わりに助かった極悪人バラバ。人も神も信じない男の魂の遍歴。
1950年の作品で著者はキリスト教の教えを受けているとのことだが、必ずしもキリスト教(教徒)が良くは描かれていないと言うところが肝要なテーマのように感じられた

正直なところを言えば、信仰のある人間の文章にはどうしても理解できない物がある。俺にとっては、神は外部だと確信しているから。しかし、信仰の光により惑い、彷徨う極悪人の姿からは目が離せない。解決なんて無い。輝かしさも、ここにいない神だけの物。『教』にはない。明滅する、人生、目隠し。

ウィリアム・バロウズ『映画:ブレードランナー』読む。ややこしいのだが、有名な映画のブレードランナーとは、ほぼ無関係な内容らしい。

2014年のニューヨーク。人工爆発免疫低下、個人医療非合法化、アングラ医師たちへ非合法な医薬品を運ぶブレードランナー
バロウズなのにとても読みやすいのは

それなりに筋があるし、近未来的な設定にリアリティがあるからか。それと、この小説は脚本のような書き方もされているので、是非バロウズのこの本バージョンのブレードランナーを見たい。映画の『ブレードランナー』は見たことが無い。
アメリカの映画って、友達と一緒に見たいのだ。

絶交してしまったが、昔仲の良い友人が二人いて、たまたま一緒に映画を見た。俺のチョイスで『裸のランチ』を共に見た友人は、途中から寝たから覚えていないと言っていた。映画の途中で寝る人間が信じられないのだが、今思うと裸のランチを見ながら寝ている方が作者に失礼がないようにも思える。

もう一人の友人は、俺が見たことがないスパイダーマンが見たい!と言ったのに、超有名で皆見てるから、ということで『恋の門』を見た。その友人も途中で寝ていた。原作の泥臭いぶつかり合いがとても好きだったので、映画は好きになれなかった。俺は寝ないで最後まで見たけど。

アメリカの人気映画?的な存在?の、スターウォーズもマーベルのヒーロー物もハリー・ポッターダークナイト?も見たことがない。シリーズが多いし、俺はとても集中力がなくて面倒くさがり。友達となら少しずつ見られるような気がするのだが、生憎ハリー・ポッターを一から一緒に見てくれる人がいない

そういえば、二十代の頃、引っ越しをして、親に勝手にDVDを借りられて、怒られた。親曰く『こんなのを見ているからお前は暗いんだ!』
映画はアラン・レネ二十四時間の情事』。十代の頃は、父にキエルケゴールと澁澤龍彦の本をこんなの下らない物を読むなと言われた。母には中上健次と昼顔に苦い顔

でも、当時から友人も金も少ないから、百円の文庫本を片っ端から読んでいただけで、そんなに好きでもなかった。
アランレネは初期の作品は大好きだったが、少しずつ違和感を覚え、遺作は低予算で頑張ってるなあと性格の悪い、寂しい感想がわいた。

十代の頃からずっと、好きな物もほとんど変わらなくて似たような生活。中年のオッサンになっても変わらないのは、たまにぞっとする。死にたくなる位に、自分が生きているのが不思議でほんわかふわふわする位に。
珍しくずっと働いていて、明日は肉体労働。早めに寝ようと思っていたのにな。

上村松園の自伝的エッセイ『青眉抄』読む。十代で初めて彼女の絵を見た時、興味をひかない上手い絵だ、等と感じたように思う。でも、おっさんになり、山種美術館で本物の作品をしっかり見ると、ようやく彼女の作品の魅力に気がついた。このエッセイで、松園の激しさを持ち勝ち気な性格を知った。

遊女亀遊、という作品は、当時幕府の役人も恐れていた外国人が客に来て、大和魂を見せ自害した遊女が描かれている。行為の賛否はともかく、勇ましさは胸を打つものがある。また、自分を女で一つで育てた愛情深い母への思慕。豊かな感情や思いが、絵に現れていると言うのは短絡的だが、その絵は温かい

ウィリアム・バロウズ『内なるネコ』読む。偏屈作家のねこちゃん大好き本として内田百閒『ノラや』を連想した。でも、バロウズの方がずっと自己中心的で妄想や攻撃性偏見罵りが強い。そのせいか、好みの動物への温かな眼差しや素直な態度、描写に切なさを覚えた。皆、好きな物の前では哀れになるのか

ヴァレリー・シュール=エルメル『幻想版画 ゴヤからルドンまでの奇怪コレクション』読む。文学からインスピレーションを得た、幻想的で不気味な悪夢の数々。大きなサイズで見ごたえがある。挿絵というよりも作品を見て、見えてきた幻想の具現化、共有といった感じだろうか。他人の悪夢は楽しい。

ホウ・シャオシェン監督『冬冬(トントン)の夏休み』見る。母が入院して、幼い兄妹は夏を田舎で過ごすことになる。構図マジ小津リスペクトーって思うけど、見ているうちに気にならなくなる。ほのぼのとした話と思いきや、かなり生臭い話ややりきれない大人同士のいざこざも描写。映像は綺麗

だけれど、田舎の閉塞感や偏屈さもひょうげんしている。それでも、色々と解決への示唆もあるし、見終わって嫌な気持ちが残る訳でもない。人々の生活は清濁併せ持ち、少年の『夏休み』であっても、そう。監督のそのままの事実を見ようとする、たしかで温かな眼差しに救われる。

https://youtu.be/1d3003igO6Q
最近全く新しいアイドルソング聞いてなくて、sora tob sakanaの解散今更知ってショック。アルバム『deep blue』聞く。捨て曲無しの素晴らしいアルバム。特に、彼女らを知ったきっかけの『魔法の言葉』って曲が本当良い。つたないボーカルとエレクトロの優しい世界。解散悲しい

白洲正子『なんでもないもの』読む。骨董に関するエッセイをまとめた一冊。読んでいて楽しいのは、彼女が自分を素人と言い続けていること。偽物を掴むのも、手放したり高い物を買えなくても、彼女は骨董と生きている。使う、触る、買う、売る。見る。真偽鑑定とかコレクションの楽しさもあるだろう

しかし、彼女のように永遠にアマチュア(アマトゥール:熱愛者)、数奇者であると言う方が楽しそうだ。お茶に関する門外漢からの苦言は、俺も思うところがある。俺も勿論門外漢だし、道、と名がつくものに言及するのは幾ら言葉があっても足りない気がしてしまう。感覚的な好きと、敬意について思う

久しぶりに小説が書けた。ぎこちなく、一部はうまくいっているような、手探りで沼地を歩いているような。俺は単純なので、体調気分が良くないと思った物が書けないし、すぐに精神がぐらつき、影響される。好きな物を好きでいられますように。脳内環境作り大切。鳳凰麒麟とても欲しい。

定期的に物を売りながら、倉庫のような狭くてヤバイ家に住んでいるのだが、ハマースレイの食器がとても欲しくて困る。優雅で上品。余白とリアルな植物画控え目な金縁本当好き。琳派の鈴木其一位好き。似てる、いや似てない。買えない、1つ買ってしまって、貧乏人が揃えても仕方ないのに欲しすぎる。

奥村土牛の自伝的エッセイ『牛のあゆみ』読む。画風から勝手にすごく真面目でいい人なんだろうなあと思っていたが、想像以上謙虚で真面目な人だった。性格ひん曲がってる人の言葉が大好きだけど、謙虚な人の言葉はよみやすくすんなりと身に染みる。挟まっていたしおりがカワイイ。

 

 一月の間の雑記の一部だけれど、自分が思った、感じた物とは思えないような。日々、というか数分で気分が変わる俺はもう楽になりたいと思いながらも、とりあえずは前を向こうとしているらしい。

 最近、やっと新しい小説を書き始め、新たな悩みを覚えつつも、どこか心地良い。誰にも読まれないような、小説。でも、俺は出来はともかく、自分の書く小説が一番好きな小説だ。バイキングで好きな物をとって作ったパフェ。綺麗に盛り付けられるか、味と組み合わせは良いか、似たような悩みを繰り返す。

 色々あって疲れたんだ。でも、新しい問題は色々とある。ずっとおわらない。でも、たまにはお疲れ様俺って。

 世界でいちばん頑張っている君へ ってハルコの歌がとても好きで、春香さんのカヴァーもキャラにあっていてどちらも大好き。

 まあ、でもその曲は俺の柄ではないので、世界で君が頑張ってなくても好きって言いたい歌いたい。