はははいはい

 荒唐無稽を許せる時は、あくまでそういった強引さを楽しめる時だ。楠本まきの『乾からびた胎児』だか、そういった題の本を以前読んだ。細かい設定や台詞に誤りはあるだろうが、大筋は間違っていないはずだ。以下最初の方のあらすじを書く。

 性格の悪い美形の音楽か文学系の業界人が、駐車していた車の所に行くと、美少年が車上荒しをしようとしている現場を目撃する。彼は美少年を家に連れ込む、美少年は言う「でもスカトロはやだ」業界人はそれを否定して微笑み言う「お前を、飼う」

 俺はその続きを知らない。
 
 作者のドリーム設定に付き合わされるのって、相性が合わないと目も当てられないことになる。「普通の職場、クラス」にゲイやビアンがいくらいてもいいけれど、訴求対象外の人間からすると、彼らが作者の欲望の代弁者然としているとたまらない。

「私のタイプは身長は179か181で次男で商社に勤めていてちょっとぬけてるけど男っぽくて料理が出来て子供が好きで一途で髪の毛は短めで明るい栗色でプチマッチョのボクサー体型で趣味はアウトドアで」ってのを聞いてるようなもんだ。

 書店での立ち読みではあるが、よしながふみの本、『西洋洋菓子』『愛がなくても』『きのう何食べた』を読む。画は結構好み、というか、いろんな人に好かれる、柔らかい絵柄だと感じた。ストーリーもさくさく進むので読み易い、のだが、引っかかる部分がちょこちょこ出てくるのだ。

 『魔性のゲイ』って、どうでしょう?何がどうでしょうなんだよ?はい、すみません。作中でも「ありえないだろ」、みたいなエクスキューズは少し入る、でもさ、俺は眼鏡の「小野さん」(だっけ?)をちっとも「魔性」とは感じなかった。そんな小野さんに「誘惑の雨ダンス」(知らない人にも読んで欲しい)をされても、少し引きながら、少しオモロー!、少し自分を納得させようと(そうだよね、小野さんモテルよね)していて弱った。

 「伝説の勇者」とかそういう設定って、少年漫画とかなら未だたまに出てくると思うけれど、ある程度の説得力がないと、それは「そういう設定だからね」と、読者を無理矢理説き伏せることになる。勇者なら数百の敵をなぎ倒したり、巨岩を粉砕したり、読者を納得させる描写のパターンは幾らでもあるし、なんとなく「その世界ではね」と納得しやすいものだと思う。

 しかし「魅力」を描写するのはとても難しいものだと思う。顔ひとつとっても、美形の定義はそれぞれ微妙に異なるし、漫画では際立った美形を描くことがしばしば困難だからでもある(全然もてない主人公が普通に見るとジャニーズ系の美形だったり、ちょっとコンプレックスがある主人公の女の子は単行本の表紙を飾れるような子だったりする。)。

 しかし難しいのは顔よりも、その人を魅力的に見せる雰囲気やたたずまい、といったところで、これにしても嗜好はばらけているのだから、「魔性の」という設定はかなり難しいものなのだ。よしながは魔性を軽く扱っている気がした。意外性としての演出みたいにして(え!この真面目そうなパティシエが実は!みたいな)。

 「愛がなくても喰っていけます」のゲイの友人に、「私が同性愛のことでお金儲けしてごめんね」とか、そんなことを言ったか思ったシーンも理解出来なかった。だって、そんなことを謝られても相手は困るだけじゃないのだろうか?これは自己愛に立脚した謝罪じゃないか、と思った。

 それでも、彼女の描く漫画はさらっと読めていいし、決してドリーム設定が過ぎるわけではないけれど、もしかして、作者がキャラ設定に「萌えて」いるから、俺が引いているのだろうか?よしながふみ最高!だと思っている人は、キャラへの萌え要素は強いのだろうか?好きとも嫌いとも言えない人が増えて、困るし楽しい。