現実のドラマ、「メロ」ドラマ

ワーキング・プアに関する、雨宮処凛の最近の著書を幾つか読む。これらの本が優れていると思う所は、よくは分からないけれど社会へ漠たる不満を抱える著者が、他者の言葉を受けながら、この社会構造への反撃を開始しているしていく姿が、俺のような社会的知識に乏しい、「ワーキング・プア」に属される若者が、学んでいく姿に重ねられるからだと思う。これらの本は、「よく分からないけど不満だという」著者が成長していく過程が面白いし、有益だ。

 実際に一時期派遣をしていた身としては、用途不明の経費として毎回「250円」引かれているのが、違法なものだと知らされるのは「お」と思った(これらのお金はユニオンを作って訴訟を起こし、返還がされるそうだ)。

 彼女のように、表立って活動する人に俺は好感を持つ(行動して民衆に影響を与えない哲学者や社会学者は、本人がどう感じようと「学者」なんだなと思う)が、同時に違和感をも覚えるのだ。それは彼女が知的では無い、ということだ。

 それは彼女自身が口に出していることだが、(おそらく)ついさっき知った「素晴らしい知識」を旗印にして、突っ込んで行く姿に心からの共感を示すことは難しい。それは俺が「知的」だからだ。

 「知的」なんてものには誰だってなれる。一定以上の知識があり(この恣意的基準のあいまいさは、知的という軽薄な言葉の曖昧さと通じる)、毎日何らかの本を読むだけでいいのだ。「知的」と「聡明さ」はイコールではない。前述した学者に属される人々は全て、その能力に関わらず「知的」といっていいだろう。「知的」な人々は、現実とは遊離した、現実のような論理に夢中になれる(とはいえ、現実そのものである論理はもはや実践でしかない)。彼ら「知的」な人々は、絶えず「もはや」「まして」「もしや」と逡巡する、それは彼らの思考の発展を促すものだが、同時に行動の妨げにもなる。

 知的な人間はその知性の源泉である「逡巡」により、行動力を失う。その人が誠実であれば、その度合いは強まる「これが何の役に立つの?」なんて積極的に考えていたら、先へ進むのは困難だ。この点を補填するものとして、承認への渇望という解決策がある。実際、かつて右翼に傾倒し、北朝鮮イラクにまで行った著者は、誰かに必要とされたい、何かになりたいと言葉で「誰か、何か」に訴える。表舞台に立つ者は、そうは見えなくても大抵この欲望が大きな原動力となっているだろう。

 しかし、俺は承認のゲームに大した興味が無い。そして、社会に大した信頼をしていない。自分を含めなくても、若者の労働条件が改善されるべきだと、強く思う。しかし、資本主義のこの社会において、社会が俺達のようなフリーターの若者を人間と見なさずに「使い捨て」の「労働力」とすることは当然のことじゃないか、とも思う。派遣会社のセコイぼったくりだって、(疑問すら感じなかった俺のような)知識がほとんど無い若者をカモル手段としては中々秀逸だと思う(結果としては失敗みたいだけど)。

 だって、(日本の)社会って、大部分がそういうものなんじゃないの?程度の差はあるにせよ、他人をだまくらかしたり蹴落としたり、は社会の常態ではないか。彼らは被害者意識を持てない、自己責任という言葉の鎖から解き放たれることが難しい、そう雨宮の対談者は言う。「俺(達)」は飼い慣らされている。

 それが「知的」であったとしても、綺麗事を言われても反応は鈍い。政治には期待しないし、かといって運動も大して信じていない。マゾヒストでもニヒリストでもない「俺(達)」は、もう十分にこの世界での、マゾヒスティックなニヒリスティックな生活の楽しみを学んでしまった。

 飼い慣らされているということよりも、信頼の方がずっと重いのだ、大切なことなのだ、出し惜しみをしていることもあるだろうが、信頼を生み出すよりも、それぞれの理由から、生み出さずにこの常態でいることを、多くの「俺達」は選ぶのではないだろうか。

 信頼がなければ、行動なんて出来ない、活動の輪には加われない。活動の輪には加われない人々は、急に政治団体新興宗教に感化されたり、学問の道に依存するように帰依するだろう。かといって、文学を志す俺は、現代の文学にも大した信頼をおいていない。これからも低賃金で、マゾヒスティックでニヒリスティックな楽しみで生きていくのかな?今、それでやっていけているのならば十分過ぎる。俺の痩躯に貧弱な処世術は良く似合う。何より「メロドラマ」が好きな俺は、いつだって「親しい友人」の幸福や不幸を願っているんだから。

 一点付け加えることがある。それはメロドラマの幸福は不幸より優位に立つということだ。幸福は不幸の種を内包できるが、その逆は難しいから。それは続いていく可能性の問題だなのだ、メロドラマ好きは、可能性を信じているのだ。デリコもセカンドシングルで「夢を持っているなら平気じゃん」って歌ってるし、そうだろ?