馬鹿日記

下らないことに、日々心を囚われていた。人と労働を憎み続ける日々。一度考え出したらそればかりが気になる幼稚な俺。ジッドのように「現実の悪だけで満足できたなら!」という状態だ。浅ましいことばかり考えて何もできなくなる浅ましい俺。

 げいじゅつとげーむのことばかり考えていたいのに、何で?

 と、本気で思っている「かも」しれない自分が、我ながらおかしい、のだが、それも終りにしたくなる。

 そんな気分の時には何を読んでも頭に入らず、しかし活字を追うのは安心するから、嘉村磯太の小説を読む。期待していた自己卑下私小説、悪くはなかったし気分にはあっていたけれど、思ったほどではなかった、から、読もう読もうと思いつつ(その量が恐ろしく多いのが困る嬉しい)未読の車谷長吉に手を出そうか、と思ったけれど、彼の小説はともかく人柄は遠慮したいような、印象を受けたので、読めばそこそこ楽しいはず、なのだが、ただでさえ下痢が続いているのだから、文章を読んで下痢をする気にはなれない。

 ぐちぐちとぐちぐちとぐちぐちと、似たような焦燥や憎しみや悩みを、労働について、思いを巡らせていた。そんなに自分は労働や浅ましい感情が好きなのか、と思った。

 好きだ。一番ではないけれど。でも、二番手のほうが、無防備に愛せる時ってあるだろ?それは下らないメロドラマに身を落としている時だ。それは鑑賞するべきものだ。自らはまり込むものではない。どこかの漫画か小説の台詞にもあった「身体を売るなんて馬鹿のやることさ、頭のいいやつは身体を売らせるんだよ。金に綺麗も汚いもありゃあしないさ」そこそこ正しいことを言っている、とは思うが、俺がこの台詞を口にする日は来ないだろう。安っぽいメロドラマ、退屈な私小説、貴方の宿主は俺じゃない、友達になろう。

 以前も少し触れた『高円寺古本酒場ものがたり』を読んだ。読み終えて、俺も古本酒場やりたいなあ、と思った。十年ほど前に、著者は二百万程度で開業できたらしい(当初は酒場ではなかったようだが)。手作りの狭い店、初日の売り上げは600円、月の売り上げはたまにしか二十万を越えない(純利かどうかは分からない)。ああ、夢一杯、と思った俺は、馬鹿か?ついでに、仕事を辞めて高円寺に引っ越そう、と思った。馬鹿?

 馬鹿に違いないのだが、少し気分は良くなった。浅ましい感情に費やす時間が減った。中央線の賃貸物件を見ると、何故か高円寺だけ破格の値段の物件があった。ネットでみる物件は客寄せの「釣り物件」らしいのだが、それでも期待してしまう馬鹿な俺。高円寺高円寺高円寺のことばかり考える。

 すると、もう少し今住んでいる場所で持ちこたえられそうな気もしてきた、高円寺に越すのは資金が溜まった後でもいいのだ。来月のシフトの締め切りは、あと一週間、それまでに決めればいい。高円寺高円寺。おおきくなったら、錬金術師になりたい、なれなかったら、高円寺になりたい。