死ぬ気がないから「殺されてもいいんだ」って思いませんか?

モノブライトとかナンバガとかロッソとか、日本語ロックで元気を出そうか、と思ったけれど未だ体力が足りず、ヘロイ電子音をリピート。ロキシーミュージックのアヴァロンと桃井はるこのベストばっかり聞いてた。何かする時には上げすぎな音楽は合わないのだ。

 でも電車の中でミッシェル・ルグランの『ロシュフォールの恋人達』の恐ろしく能天気でハッピーなサントラを聞いていると、体力がどうこうなんていいわけを吹っ飛ばすパワーがあって、メロドラマ(何本も平行して小説を書くので)のアイデアが湧いてきてハッピーになった。だって「貴方は素敵だけど青い目じゃないから嫌」とか「貴方は素敵だけど、(ダムという名前の)私が結婚してマダム・ダムになるのは嫌」とかそんな馬鹿な歌詞!素敵!メロドラマチックだ(小島麻由美の甘い恋を聞いているときもメロドラマチックな気分になる)。

 ドラクエを予約した三日後に延期が発表されて、むかついて、いや、元々購入予定にあったDSのメガテンを買った。携帯機らしくサクサク進んでいい感じだ。ちょっと薄味だし、キャラデザインはいまいちだし、悪魔は金子画の使いまわしだし。でも楽しい。だって渋谷に(山手線内に)悪魔が出るんだもん。

 本気ではなくって、ぼんやりとこんな風な空想をしていられたのはいつの頃なのか、もう思い出せない、けれど、住んでいる場所に悪魔が出ていてくれたら嬉しいと思う人は案外多いような気がする。

 カナリ前、しゅーかつの時期に、とがし大先生が御存命で、俺、ハンターハンターにはまっていて、友達に「俺マジハンター試験受ける」とか言ったら、「お前絶対一次試験で死ぬよ」と笑われた。でも、死んでもいいからハンター試験があったら受けたいなと思ったんだ。

 こういった願望って戦争、革命願望と繋がるだろうか?人にもよるだろうが、俺にはない。一時的な高揚もやがて日常になるのは目に見えているし、自分の陶酔と義憤のために他者に迷惑をかけるのは不合理だと思うから。でも、もし俺の手にメロドラマとかゲームとか小説とかがなかったら、好きじゃなかったら、そういった争いという名の祝祭に魅了されていたかもしれない。皆で○○を好きになれば争いは起こらない、なんてどこかで聞いたフレーズにも確かに一理はある、と思うのだが、その言葉って生活に余裕がある人の発想だなとも思う。この先も悪魔だわーいわーいとか阿呆なこをを口走る為には生活が大切なんだなとしみじみ感じる。でも、生活のことを考える時間よりも、悪魔について考える時間が多い方が、俺は有意義な人生を送れるだろう。

 真白で、花弁の先だけ赤いカーネーションの花束を買った。ドレープに目を奪われる。辛い時こそ花々のことを考えましょう、ってのはメロドラマっぽい。早く髪が伸びて欲しい。そうしたら長い髪が俺の顔を隠してくれる、メロドラマチック、しかも、(大好きだった)初期のくるりの歌詞(青い空)にもある、ちょっと苦手な日本語ロック、だって俺の一部だ。