世界の設定資料と君

先日(食わず嫌いをしていた)明太子を初めて口にしたのです。結構美味しかったのです。今まではプチプチつまってるのキモーイとか思ってたのに。どうやら大人の階段を一つ上ってしまったようです。「パパママごめんね 僕はヤンキー(ベンジー)」です。

 気がつけば少年漫画を殆ど読んでいない。「ハンター」はアレだから、今連載しているので読んでいるのは「ジャガー」と「リボーン」だけ。いつから俺は少年漫画を読まなくなったんだろう?いや、少年漫画というか、長期連載漫画だって読んでいない。好きだった「軍鶏」や「ベルセルク」だってもう全然読んでいない。

 「少年じゃない漫画」だって、ちょっと前まではアックスやエロティックスやコミックキュー(もう出てないけど)やフィールヤングとかの雑誌を読んでいたのに。これは現代の若者に深刻な漫画離れとかいう奴でしょうか?

 それと前後するように、というわけではないけれど、俺は五、六年位前からゲームの攻略本を買う量が大分増えてきた。ていうか、ある意味、俺ゲームをするよりも攻略本を読む方が面白くなってきてしまって、未プレイの攻略本を買ったりしてしまっている。攻略本の購入者は限られるから、中古ならかなり安く手に入ったりして、しかもあれが分厚いから場所をとったりするのだ。定期的に売ったり捨てたりして、また新しく買ったりしてる「アトリエシリーズ」とか「モンスターファーム」とか「FF」や「DQ」の攻略本、馬鹿?

 小学校の時の文集で、あまり知らない男の子が「電車の時刻表を見て旅行計画をたてるのが大好きです」とか書いているのを見て、俺は暗いなあとか思ったんだけれど、俺の攻略本を買うのもその「暗い」理由なんだ。いつまでも飽きない、密やかな旅行計画。

 たまたま近くの古本屋で安く売っていたから買った、D&Dのプレイヤーズ・ハンドブックの定価はなんと6090円!ゲーム(TRPGだけど)の攻略本、しかも遊ぶには他にも必要なのに(しかも一緒にTRPGをする人がいないしやったことない)。でも俺はこれの他のも欲しいです。複雑で豊富なデータが一杯なんだ。数字の群れを見て空想していたい。空想する現実に近いどこか。それは逃避でもあるけれど、きっと現実に近い世界と友人になる気があるならば、今いるこの場所ともどうにかすると上手くやっていけるはずだ。そう俺は思う。

 三次元の汚れた女よりも二次元の純愛に生きると宣言した、本田透の『電波男』を、宮台真司佐々木敦がかなり好意的に自著で評価していて何だか不思議な気分になった。彼の文章は真面目さ、軽快さはあったが、飛躍や破綻や被害妄想や自己愛で出来ている部分がとても多いのだ。でも、俺も共感とまではいかないものの、考える所はあった。

 それが「冒険もの」でも「ラブコメ」でも「成り上がり」でも「スポーツもの」でも「ミステリー」でも、きっと皆「自分の少年/少女マンガ」を持っていたはずなんだ。年をとると連載漫画から卒業したり、完全に娯楽として見る立場になったりするけれど、、それは一部の人にとっては現実の代用品ではなくて、必要不可欠なものだ。本田透も俺と同じようにそういったものが必要だと信じているのだと思う。多分宮台や佐々木も。

 一番は漫画だった時期が俺にはあった。世界が漫画で回っていた時間帯。今の俺にとって小説が一番興味がある事柄で、俺の一番は漫画ではないのか、てか三番四番目、とか、そんなものかと考えると、この馬鹿みたいな考えごとが(一番ってなんのこと?)少しだけ寂しく感じられる。

 世界の設定資料を見るのもいいけれど、そこでわーわー無防備に叫んでる人ってのはやっぱり魅力的なわけで、それが型の中にあるように、そこにいる少年少女が圧縮できそうな書割に感じられるのは、それが事実だとしても、それが俺にとっての現実だとしても、何だか認めたくないのだ。

 解決策はどうすればいい?漫画の問題は漫画で解決するしかない、漫画を読むしかないでしょう。青少年の漫画離れは深刻です。皆さんも積極的に漫画を読むようにしましょう。