いつもの風景


鍋でお湯を作っている最中に寝てしまって、気付いた時には煙と異臭、そして鍋が酷いことになった。グッバイ鍋。火の不始末で家が火事になったとか聞くけど、どういう風になるのだろう。ちょっとだけ見てみたいな。

 夏に今住んでいる家の契約更新があり、更新したくないので新しい家を探して、というか仕事と資金を、とか考えていると、色々な片づけていない問題に気づかされて、こりゃあ駄目だ、と思ったが、そう、パトロン(キャッシングの機会)に頼ればいいのだ、と思い直す。でも、そしたら仕事に就いていなければいけないので、借金のためにどこか名前だけでも所属しなきゃと思った。発想がコントですね。


 そろそろまともに動きださなければならないのだけれど、身動きがとれず、前向きな理由だけ挙げると三月末に送る文章をちゃんと書いている、ということで、今更時間がもっと欲しいと思う。やっぱこういうの楽しいなと思う、怠け者。

 田村マリオという漫画家が好きで、でもずっと本は出ないし、ホームページも更新なしなのだが、先日たまたま見たら更新していて、4年(精神的な)病気で休んでたけど最近薬変えたら回復期になっていてちょくちょく仕事したいです、みたいな内容が書かれていて、とてもうれしかった。

 その深刻な内容の報告を、ゆるい感じで発表していたのもそうだけれど、どんな風になっても、俺も続けていきたいなと思う。

 ゴスペル料理帳という本を読んだ。肉体的暴力には魂の力で対決しよう、という姿勢はとても素敵なことだと思う。黒人のソウル・フードの原点は白人が捨てた、食べようとしなかった食材だぞうで、はっきり言ってこれはどうかなと思うのがあって、中でもDirty rice って!(レバーのチャーハンだけど)
 
 他にもあんまりおいしそうじゃない、というか、アメリカーン!な感じのメニューが並んでいて、ちょっとギャップを感じていたのだが(俺がアメリカ生まれなら全然気にしないはずだ)、一番のギャップは、料理中とか食事の最中にゴスペルを歌おう、と親切にCDが付属してあるのだが、その歌詞が、怒りから解放されたいならイエスが流した血の力がある、とか、いや、ゴスペルの歌詞がどういうのか位知っているはずなのに、その時は、イエスがかわいそうだと思って涙がこみ上がってきた。

 この感情はキリストの教えを信じていない人間のもので、でも、イエスばかりにかわいそうな思いをさせるなんて、信じられない。歌を歌う彼らを非難している訳ではなく、むしろ好ましいのだけれど、感覚の大きな断絶を感じた、そう、キチガイか労働力になれと言われ続けるあの感覚と同じだ。どっちも厭なんだよだって俺人間ですから、とかいつまで言ってられるのか、

 なんて俺にも分からず、適当に消化する本の中に、文豪の作品を漫画化みたいなのがあり、川端康成の『少年』を漫画化しているのがあった。その漫画はどうでもいいのだが、川端が17歳の頃の自分の文章を50歳になった時に、おそらく全集に入れる為に引っ張り出して短い感想を与えているのが興味深かった。

 この小説自体は、というか川端の小説は高校の頃にほとんど読んでしまったので、後はとても好きな作家だから再読することもたまにしかないのだが、この小説の中で、清野という青年への愛情をさらけ出している部分は、もしかしたら川端の小説の中で一番爽やかで美しいもののように思え、多少痛々しいというか感傷的な気分になった。

 それはきっと、日記での発表であるのと、川端自身が同性愛とは言えないのに男を強く思っていたからだろうし、何より、断絶している認識があるからこそ最大限に自分を晒しているからのように思えた。

 ちょっと面白かったのが、当時同性愛なんて非難の的だったろうに、学校の課題でこれを提出したことだ。50になった自身でもそれについてつっこみは入れているが、

「お前の指を、手を、腕を、胸を、頬を、瞼を、舌を、歯を、脚を愛着した」

 とか書いて先生に見せることが出来る川端はさすがだと思う(寮内で上級生下級生でそういう関係があって、それは厭だとか言ってるくせにそういう風な真似をしたり)。

 なんて茶々を入れたが、あくまで抱き寄せるに留まり、ただ、執着と恐れを解剖していく様が描かれていて、やっぱりこの人の文章というか、他者/自分への眼差しは好きだ。彼の文章に触れると、気分が少年漫画の主人公みたいになれるから。

 とか言いながら、俺も学校に出した小説で今思うとなんだそれ、なものを提出していて、

 彫刻家崩れの男と友達になった少年が、男が自分の肋骨を砕き(薬を併用し)腹を裂いて自殺するときに、今わの際に居合わせてしまい、頼まれて心臓を取り出し、それを持ったまま興奮状態でどこにこれを隠せばいいのかと往来に飛び出し、大人につかまり「僕はおかしくなんてない彼もそうだおかしくなんてないおかしくなんてない」

 みたいな感じのあったな、と思い出した。一応男が少年に人間に火を与えた罰で、肝臓をハゲタカについばまれ続ける話をするとか、そういう伏線がちょこちょこあったのだけど、って、まあ、俺の趣味も変わっていないというか、いつまでも子どもなんて大人なんてなりたくないとか思っている、どうしようもない。

 当時は名称を知らなかったが、トランジ(腐乱死骸像)みたいなのが、キリストみたいに好きで、ああいう姿にこそ祝福を与えるべきだと思っている。灰は灰に、骸骨には花々を、そして救世主は、人々に残酷さを。


 ゴスペルなんて歌えないけれど、彼らやキリストやトランジ、そして書くことを続けている人を思うと、なんだかやっていけるような気がするし、将来なりたいなトランジ。