犬になったらトイの中へ

正論を言う、なんてことは大抵役に立たないというか、余計な面倒事を引き寄せるもので、倉橋ヨエコが「喧嘩するより 謝るほうがいいって ものぐさかな」
http://www.youtube.com/watch?v=FFFmTRdMItU

なんて歌っていたけれど、まあ、俺もそんな感じだけれど、それって、「夜は自己嫌悪で忙しい」みたいになってしまうわけで、やっぱよくない。


 小さいころ、親が腹立たしいことがあったら、歯を食いしばって腹に力を入れて自分の腹を殴れって教わったのだが(何時代の人なんだ?)、「むかつき」の矛先はどこかにむけねばならない。しかし「正当な」矛先なんてない。

 クラムボンが「恥じらいはなくさない でも恥ずかしいことばかり 

 恥をかけない大人には なりたくない 恥ずかしいもの」

http://www.youtube.com/watch?v=0CeOCmPUx60

 って歌ってた、そう、そのほうがずっといい。恥ずかしい思いをしたって、ちゃんと、自分の身体が自分のものでありますように、そういう生き方ができますように。


 連載漫画にすっかり疎くなってしまったけれど、先日完結した、うめの『大東京トイボックス』を読んだ。

 何度も日記に書いたが、すげー雑に説明をすると、おさななじみの、ゲーム業界でおちぶれヤンチャ三十代君とエリート君の共闘バトルマンガで、正直、この完結した10巻の前の8・9巻あたりでは、ちょっと展開が飛躍しているような、この先どうなるのか、悪い意味で不安があったのだが、最後はかなりきれいにまとまっていて、この漫画を書いてくれたうめ(二人の共著)さんに感謝した。出たばかりのマンガなので詳しい感想は控えるが、これまで読んできた人なら、きっと満足できるようなラストになっていると思う。

 作者さん、元気の出る漫画を、どうもありがとう。

 先日ジョジョのPS3の新作にまつわるあれやこれやについて、完全によそものでありながら言及してしまったけれど、大勢で、長期間にわたって何かで「金儲け」をしなければならない、というのは、本当に難しいなあ、とガキ臭い感想を抱く。

 クソゲーだと分かっていても、納期があり、給料はもらわないと生活ができないし、誰が「犯人」になってしまうのだろうか? 

 トップが責任をとる、なんてことがほとんどないんだ、ってことを現場で、メディア上で、俺らは目にしてきた。そのたびにがっかりした。末端から金を搾取するシステムを作り上げて、それはごく一部の人の既得権益を保持することにしかならない。そのごく一部の人は既得権益を保持することが最優先事項になり、「革新的な鉄板ネタ」に走る(これ自体は批判されるようなことでもないのだけれど、だって彼らは会社を組織を存続させる責務がある)。いくら叩かれても、自分の「取り分」が減らない限り気にしない。お金の為に働いているから? いや、多分、それもあるし、色々どうでもいいんだろう。どうでもいいからこそ、色々、げんなりするようなことができるんだろう、

 いろんなことですぐにキレる俺だけれど、それを表明することは案外少なくって、だって、相手と会話ができないと思うからこそ、ブチギレたり、げんなりしたりするから。表面上はこぎれいに分かれて、さようならって、そんな馬鹿な生活を何度も繰り返す内に、俺の身体に澱のように溜まっていく何か。

 人身事故が起こったとき、誰もがげんなりしてしまって、次の現場にどうやって行くかに腐心してしまう光景の中で、時折、はっとしてしまうことがある。俺だって、すごく困る。その状況とかにもよるが、遅刻は厳禁だ。余計な運賃がかかるのだって、厭だ。

 でも、何かの「イベント化」した死は悼むくせに、日々の緩慢な自死については、打ち捨てられ、うとまれていくのは、何だかいたたまれない。

 だからって、俺にはどうすることもできない。多くの人の死を背負うなんて誰にもできないし、だから、俺は俺のできることを、きちんとしなくちゃなと思う。


 『トイボックス』の後半ではゲーム制作における表現の規制についても切り込んでいた。イギリスだったと思うが、少し前のニュースで、子供の描いた裸(海水浴?)の絵を所持していた祖父母が「児童ポルノ」の罪状で逮捕されるというわけがわからないことがおきていて、日本でも「非実在少年」なんて話題になったけれど、本当に、笑えない。

 小さい子が誰かの慰み者になるということに対する嫌悪は、多くの人が抱く感情だと思う。しかしこういった法令で取り締まれるのか、犯罪が減少するのか、というのはかなり怪しく、だって、それを施行しようとする側があまりにも現代のアニメやマンガやゲームについて貧弱な理解しか抱いていないし、歩み寄ろうともしておらず、単に、不当逮捕のグレーゾーンが広がり、また、そういった欲望までも抑えるなんて無理なのだから、アンダーグラウンドにもぐり現状が悪化することも考えられる。

 この問題は表現の自由を、というよりも、不当な管理に対する反抗をしなければならない、ということかもしれない。黙っていれば搾取されるだけだってことだ。伝わらなくても、意味がなくても、徒労に終わっても、きちんと口に出さねばならないってことだ。

 やっぱなー、がんばっている人、そういう人の作品を見ると元気が出る。『監督不行届』という安野モヨコ庵野監督の新婚エッセイの、庵野監督の言葉を思い出す。

 彼は「自分の作品と違って、奥さんの作品は読んだ人に現実世界で生きる元気を与えてくれる」といったような発言をしていた。中を読めばお互いに尊敬し合っている夫婦なんだなあと感じたし、この発言は結構考えさせられた。

 俺は丁度そのころ(エヴァがテレビアニメで放送されていたころ)テレビでリアルタイムでみていて、友達の家でマンガも読んだ。だが、それだけで、エヴァが社会現象になったり、十年以上もこんなにも愛される作品になるとは思いもしなかった。俺にとっては、ちょっと面白いアニメのひとつでしかなかったから。

 でも、エヴァが大好きな感じの人の台詞は、何だかちょっと距離感があって、それが庵野監督が告げた「オタクは現実に帰れ/気持ち悪い」と通じるものがあるのかは分からないが、耽溺するのならば、相応の覚悟が必要なのかなとも思う。

 割と退廃的なもの(この呼称は好きじゃないがわかりやすいから)にひかれるけれど、それを好きだという人に苦手意識を覚えてしまうことがしばしばあるのは、退廃や耽美の世界では、傷つくことができないからだ。美しすぎる、カスタムできる、ビスクドール、球体間接人形を哀願するように、繭の中の小宇宙にひきもり、「世俗」に唾を吐いて生きているような印象を受けてしまう。

 俺は生活は好きでもないけれども、「世俗(という呼称をあえて使うとするなら)」だって、悪いものじゃないと思う。俺はビスクドールのように美しくはないけれど、その代わりに持っているものがあるし、世俗で低級極楽で生きることができるし、


 これからもちゃんと、物おじせずに、マジカルATMをもっと信頼して、色々感じていきたいなって思う俺の脳みそ犬並みだわーん! 柴犬になりたいわーん!