純君不潔!

k.m.pというのは、かねもーけプロジェクトという名前の女性二人のユニット名だ。二人で旅行本や絵本や雑貨を作る。コンセプトの一つは、好きなことで「かねもーけ」をすること。これだけ聞くと何だか羨ましいと思う人もそこそこいるのではないかと思うが、俺が彼女達の名前を最初に目にしたのは高校生の時、フロムエーでだった。

 そこでの彼女達はなんとなく不満で会社を辞め、バイトをしながらフリマをしたり本作りをしたりして、十年以上かかってようやく極貧から中貧になったらしい。

 彼女達の本にはそこそこ眼を通しているのだが、彼女達の良さは「ゆるさ」に尽きると思う。はっきりいってそのセンスや文章にすごい、とは思わないけれど、その「ゆるさ」がいい感じに生活に溶け込んでくる感じがして、元気がないときにも気軽に読めるし、読むと自分も「何か作りたいな」という気分にさせてくれるのだ。

 『2人で、おうちで、しごとです。』と題された、彼女達の本を昨日読了したのだが、さっきもう一度読み直した。女2人で「ゆるまじめ」な仕事生活紹介エッセイ漫画。多分(「制作」というより)「ものづくり」という言葉に反応する人ならば、リラックスタイムのお供になるだろう。

 同じく高校生の時に存在を知ってからずっと引っかかっているものがある。それは「同人誌」と言う物の存在で、俺はクオリティもコストパフォーマンスもいいから、書店で売っている漫画買えばいいのにと、大して知らないのに、ずっとそう思っていた。俺にとって同人誌とは高くて薄い本だった。

 でも「コミケが大盛況」、とか度々そんなのを目にすると、きっと面白い漫画があるのではないかな、とかずっと気になっていた。しかし俺には偏見があった。同人誌って要はほとんどがエロ本なんでしょ?というものだ。

 以前同人誌を持っている男の友人に尋ねた時にも、彼は「同人誌はほとんどエロ本だから人気なんだよ」と言った。

 俺がまんだらけの女性向けコーナーにいる時に(つっこみ不可)、そこそこ可愛い女子高生2人が店員を捕まえ、封がしてある同人誌のエロ内容について確認をとらせ、大きな声でキャーキャー言ってたりするのを目にしたこともある(正座で反省文百枚でござる)。

 エロが悪いのではない。ただ、盛り上がっているのがエロばっかりってのは、何だか嫌な気分になってしまう。だってそれって、性描写を完全に排した創作物しかない世界と同義だと思う。漫画が好き、というよりもエロが好きで集まってるのかな、と思うと、わざわざ高くて薄い本を手に取ろうとする意欲は失せた。
 
 しかしネットをやるようになって色々な人のブログを読んでみると、それはある一面での真実ではあるけれど、やはりそれだけではないということが分かる。当然ながら、好きなものを作りたいということで、かなりの労力を要して一冊の本を仕上げているということ。楽しみを誰かと共有すること。

 女性向けと男性向けではエロの比率も違うし。大袈裟かもしれないが、俺は萩尾望都の漫画をエロ本だから読まない、位の誤解をしていたらしいのだ。

 それと、同人誌が登場する、商業誌で連載された漫画も俺にそれを教えてくれた。『げんしけん』や『ドージンワーク』や『妄想少女オタク系』や『辣韮の皮』とか、あ、『こみっくパーティー』もちょっと読んだ(あくまで同人誌を読んだことの無い人間のセレクトです)。

 で、同人誌について多少の知識が付いてきた所で「コミティア」(あくまでオリジナルオンリーの同人誌即売会)や「文学フリマ」(読んで字のごとく)の存在も知ることになる。

 だが、未だに俺には売ってる作家のものが欲しいな、という考えが強い。同人誌を買おうとか思っても、ふと棚を覗けばエロ本っぽい物ばかり目に入る。これは書店に委託するのは部数がはける物が中心になるということらしい。マニアックな本や、書店に並ばない本を手に入れるには会場に向うしかないのだ。いつかは俺も即売会という所に足を運ぶのだろうか(今まで全ての即売会をコミケだと思ってました)

 k.m.pの2人や同人活動をしている人は、自分の好きなことをやって楽しもうとしているんだと思う。それは素敵なことだ。ふと自分の好きなこと、と考えると、はっきりと浮かぶものも、これといった気晴らしがないことに気づかされる。

 下手でもいい。自分で画でも描いて壁に飾ろうかなと思う。金子國義が油絵を始めた理由は「自分の好きな画を部屋に飾りたかった」からだそうだ。とてもいい理由だと思った。好きなことについて考える時間、できれば誰かと。