はなばなの名残

 久しぶりに花を買った。用事がないのに花を買った。クリスマス用の小さなブーケ。オレンジ色の薔薇、真っ赤なガーベラ、姫リンゴ、安っぽい金色のオーナメント。生活の中には花があるべきだ、と考えているはずなのだが、気が付くと何ヶ月も花の無い生活を送ってしまう。そこそこ値段のする造花は見栄えがよいらしいのだが、それすら購入できずにいる。花のことばかり考える生活だったならば、と夢想する。

 陰鬱な、或いは退屈な小説を読む合間に、頭を使わない読書として、フリーターやニートやホームレスに関する書籍を読み漁っていた。そして分かるのは現在の状況、それに対する関心が薄い人が読むべきものだ。半分当事者、といった感のある俺には憔悴の種でしかない。しかし読む。繁茂する、名前の無い、名前の知らない草をじっと見る。

 やまだないと 
 久しぶりにマンガを描く

 と帯には書いてあった。本当に彼女の新刊を読むのは久しぶりな気がする。しかも短編集ではなく、連載ものだ。

 ビアティチュード、という題のこの漫画は、あとがきによればトキワ荘をモデルにした作者の幸せな夢だという。南Q太の『夢の温度』もそうだが、普段は単発でドロリ、トロリ、といった漫画を描いている人が直球の少年少女漫画をたまに描くと、ハマル。作者がサービスをしながらも、描きたい物が素直に表現されていることを感じる。自分が今、一番読みたい少年少女漫画は、コレだ!なんて幸福な錯覚をしてしまう位だ。次はナナナンさん!お願いします!(ハルチンも面白かったけど)

 この漫画の主人公であるショータロー君がいい。アフロ(くせっ毛?)で真面目な18歳。将来を渇望されている「小さなテヅカ先生」のショータロー君は、田舎にいる病弱で美人のお姉ちゃんに色んな世界を見せてあげたい、と言って漫画を描く。ショータロー君の描くストーリーや女の子は可愛いと色んな人に褒められる。それを親友のクボヅカ君は「お姉ちゃんが理想の恋人でモデルだからだね」とからかうように言う。

 このクボヅカ君もいい。王子様のような美青年で、ショータロー君の漫画のアシスタントをする一方、自作の漫画を描きつつメッキ工場で働く、が、それを何故か辞め、ショータローの部屋に居候をして、自分の寝泊りする押入れには自作のヘンリー・ダーガー調の画を貼り付けている。お母さんがかなりブサイクで嫌な性格。駄目人間候補。

 対照的な二人だが、二人は文通の末の友情で結ばれており(一緒に生活しているのだ)、主人公のショータロー君がデビュー済みの新鋭だから、安心して読みすすめることが出来る。挫折や別れは未だ一巻では予感に留まっているのだ(この片鱗を「幸せな夢」であってもきちんとばらまいておくのはさすが)。

 徹夜して漫画を描く、きらきらした世界の為にかく、ショータロー君。一方今の俺といえば、一つ作品を仕上げ、その反動で腑抜け。そんでもって集中力が無いので徹夜なんてするわけがない。まあ、漫画は出来たネームを形にするのに、必然的にかなりの時間を取られる(一ページの「背景だけ」を描くのにしてもパースとって下書きしてペン入れしてトーン貼って数時間、とか)から、単純な対比は出来ないけど。

 世界が美しいことを疑いもせずにかく、というものの強さ。別に俺は自分が汚れた、なんて少しも思っていないが、自分が文章をまとまって書く理由はリハビリ、といった感が強く、いつから俺はショータローくんじゃなくなったのだろう、としばし考えてみたが見当は付かない。まあ、初めから違ったのかもしれないけど。いや、でも、俺にも花を美しいと感じる心がある。俺の中にもショータロー君みたいな気持ちがあることを無理に捨て置く必要はない。薄ら寒い実情に目を向けるよりも、逃避だったとしても、きらきらしたものについて考える、そうするべきだ、この漫画の二巻が出るのは一、二年後になるだろう、待っていられない、そうだ、俺は自分の為にビビアンガール・ビビアンボーイをこれからも書くのだ。