その位の人としての心はこぼさないように。

小説を書き終えた。これから校正や推敲が待っているので、まだまだ終わりではないのだが。でも、一応は終わらせた。でも、それが何になると言うのだろうか。書いているうちは勿論書きたいから書いているし、それなりに楽しんでいたり高揚したりする瞬間がある。

 でも、俺の作った物は泥の中にゆっくりと沈むだけだ。そして俺は作品を書き上げるといつも途方に暮れる。誰かにとっては価値がない物でも、俺に都は汚泥の中の硝子片のようなきらめきだから。それさえ、幻さえ見られないなら、俺は生きていることに不安定になり過ぎて、どうにか誤魔化し、寝続ける。死んでるのと変わらない。

 それには自由に外出できない等の、現在の状況も最悪で、一応、収束には向かっているが、こっから日銭稼ぎをすることを考えると、頭が痛い。最近はまた過眠が酷い。何かから逃れたいけれど逃れられない。解決したいことは、俺の手では不可能に近い。それでも、当然人生は続く。無理やり空元気を出してどうにかするのも限界ではないか、と二十代の終わり頃から思っていて、しかしそれを続けている。

 皆、悪魔になれずに息絶える。でも、誰かの作品を読むと、自分に感受性があるような気がしてくる。少しの間だけかもしれない。でも、それでいいのかな。俺には覚悟が足りないのかな。

 本を読むのって、かなり体力精神力を使う場合が多いと思う。だから体力も集中力もない怠け者の俺が、よくつづけているなあと思うことがあるが、何もない人にも、本を開けばほら、人間と怪物と天使と、たまゆらの共犯者。

 雑記。

 ボリス・ヴィアン『心臓抜き』再読。題名最高。過去を持たない精神病医の見る異常な世界、探求。
だが、それ系のは、ウニカ・チュルン、アンナ・カヴァンバロウズといった強者がいるので。
風景描写や会話の軽やかさや面白さを味わうのだ。

ジャン・ジュネ詩集再読。彼の小説を傲岸な詩集とするなら、この詩集は幻想的短編小説か散文のようだ。男を悪徳を死を犯罪を性器を肉慾を、天使や神や花々で飾り、惜しみない賛美や愛の雨を降らせる。
愚かで薄汚く、きらきらした臥所或いは墓標。大好きだ。

日曜日の朝に
the velvet undergroundnico
sunday morning聞くと、死んでるのか生きてるのか、地獄の入口にいるのか煉獄を散歩しているのか、ホンワカふわふわした気持ちになる。

二曲目の僕は待ち人はヴァネッサ・パラディがカヴァーしていて、下手くそで最高にキュート

めっちゃ久しぶりに、漫画読む。原作SHOOWA漫画奥嶋ひろまさ『同棲ヤンキー赤松セブン2巻』めっちゃ面白かった! 迫力あるケンカやヤバイ展開あるし、ぎこちなくってくすぐったい触れ合いも、直球エロもある。読み応えすごい。次の単行本も楽しみ!

カフカカフカ寓話集』読む。彼の名前で想起する、終わりが見えない有名な作品ではなく、一ページの作品から、短編まで様々な物を集めた、ボーナストラックのような作品集。題材には動物や神話がちらほら。陰鬱さというよりも、奇妙な世界の観察、描写をしているような作品が並ぶ。

ゴダールの『勝手にしやがれ』のパンフ見る。表紙だけで、高校の時に戻れる。悪い役のベルモンドと少年のように愛らしいジーン・セバーグのコンビは最高。インタヴューでゴダールは、この作品の成功について複雑な心境を語っているが、
ギャング映画にあっては、男は死なければならない。って流石!

 だるくて虚しい日々が変わることはないだろう。だから、錯覚できますように。手に取る硝子片、それだけできらきらしているんだって、その位の人としての心はこぼさないように。