にとうりゅう!みだれうち!

 前回の日記を書き終えてすぐ、自分でまた同じようなことをかいているなあと小さな自己嫌悪が生まれる。自分が、人を許すことに対してうまい距離感を保てないことに、どうしようもない気分になる。許しは安易な肯定にも繋がっていると俺は信じる。世の中好きな物ばっか、そして吐き気がするものばっかだろ?ゲロを許してどうするの?

 ってなことを思っていたとして、それは面と向っては言わないけれど、少しは仲がよくなった人には自分の思っていることを言ったりして、そして、俺だけが許さなくて、フェイドアウトしたりして。

 それでも、素直でいられないで一緒にいる人なんて悲しいだけじゃないか。

 直そう、としても直らないことが幾つかあって、自分で金を稼ぐしかないから、上手く折り合いを付けていかなければならない、から、俺はクラスチェンジをすることにしまして、と、いうことで(はないのですが)二週間前位に、超久しぶりにほこりかぶったスーファミ引っ張り出してきて、FF5プレイしました。前回の記録が未だ残っていて、セーブデータ(の電池)は未だ生きているなと一安心。てか、前回のクリア時にレベル39って(今回は40でした)、やけに低いような、でもまあみだれうち!とにとうりゅう!とれんぞくま!でどうにかなるか!てか、リアルでクリスタルのかけら探したいです。クラスチェンジして錬金術師になりたいです。でもFF5に錬金術師はないです。やはりエルミナージュを買えってことか。

 てか、ディシディア売れ売れらしいっすね。もう百万本いったんしたっけ?最初にその内容を聞いた時には、スクエニリメイク地獄変もついにここまできたか、と少し思うところがあったのですが、俺、気づけばFF、ネット専用の11以外の12まで全部クリアしてんのね、軽くFFファンなのね、「あーあーまたかよ」とか思いつつ、PSP買ったらきっとディシディアも買っちゃうね。

 スクエニへの風当たりがやけに強いように思う。俺もなんだかなあ、と思うことはあるけど、俺は単なる消費者なので基本的には、どの会社も儲かればいいじゃん、的な脳なしの緩い考え方をしてる。多分スクエニ(というかスクウェア)叩きが大きくなったのってFF7、8が発売された辺りからだったと思う。有名な業界人引き抜きとか、CM戦略に乗せて安易な大作続編を作ったとか、映画みたいなゲーム、とかが褒め言葉として通用していた、セガソニー任天堂が三つ巴で争っていた時期だ。未だその頃はゲームに(バブル期のような)希望があったと思う。どんどん技術が進歩して、新しい表現を許容して、画面は美しく、ゲーム機のスペックが上がることでできることが増えていった、そしてそれが頭打ちになって、開発費ばかりが膨大になって、ゲーム会社がポコポコ倒産したり傾いたりして。

 画像に重きを置いたスクエニのゲームって、ハリウッド映画に似て、多額の資金を投入して、それで回収する方式で、それが「イケメンが世界を救いまくり」を無限に生産することになる、それは市場が求めているからだ、数字が出るからだ。あんまりなリメイク、続編、大作ばかりで辟易する、それに苦言を呈する層はそこまで購買力があるのだろうか。もしそうならいろんなゲームが売れているように思う。スクエニについて思う時に、文句を言いたいような、擁護したいような、そんな気分になる。でも、俺はやっぱり「イケメンが世界救いまくり」でも大好きだ。スクエニの作品はゲームとしてよくできている。ストレスがかからないようなユーザーインターフェースやゲームバランスは折り紙つきだ。時間と金をかけて調整しているのだ。金が掛かっているだけのことはあるのだ。

 何ヶ月か前にDSのヘラクレスをやったのだが、これがまあ、酷かった。シナリオはヘラクレス3やFF7,10を担当した人だったと思う、ヘラクレス3はかなりお気に入りのゲームで、この発売は期待をしていたのだ。ヘラクレス3は十五年位昔のゲームで、これを今ベタ移植したらかなり不満点が出るのは予想できる。シナリオ(と思い出補正)に引っ張られて進めるタイプのゲームなのだ。だから今回のDS版にもそこまでシナリオ以外での期待はしていなかった、のだが、ここ数ヶ月で一番文句がでまくるような出来だった。

 まず通常の戦闘時間に死ぬほど時間が掛かる。ただの戦闘に三分近くかかる。全体攻撃をするためにはいちいちタッチペン(!)で決められた作業をしなければならない(しなければ戦闘が長引く)。しかもダメージの表示が一つずつ、おまけにターンごとにマナの計算、敵のNPの回復、ボスでもないから必要ないのに回復。何体か出てくる雑魚敵にいきなり体力の半分以上を奪われたりもする、でも、ラスボスはかなり弱い。

 いいアイデアがあったとしても、ユーザーがストレスになるものは切るべきだ。だって、ゲームって人が遊ぶ物じゃないの?

 フィールドもすごい。なんと、一度行った街には戻れない、しかもダンジョンやらがどれもこれも簡単、DSの2画面を上手く利用してミニマップを表示しているが、そんなの全く必要じゃない、全部「道」。船に乗ってもペガサスで空を飛んでも、全てオート。だから街にも愛着が湧かない、装備をそろえる為によるだけ、どうせ街中には人はいない(!)し、大丈夫だ。戦闘で時間が掛かりすぎるからシンプルにしたのか?RPGにお約束の街中で家でのアイテム入手もしようとすると仲間に怒られてしまう。人のものを取るといけない!(幸運度が下がるだっけ?)ってんなら、無断で人の家に入れるのも変だろ。

 アイテムに関しても、街で合成要素があるのにもかかわらず、アイテムの最大所有数が低く、おまけに金の入手がぎりぎりで、新しいアイテムを買う為に所持品を減らすために古いアイテムを売ると、合成ができない。

 好きなエピソード(字が読めない娘への父の手紙とか高慢ちきヘラクレスの正体とか)はある、にしても、ストーリーは残っていないし(あのアッサリエンディングは消化不良だとおもう)、もう一度遊びたいとは思えない。おぼろげな記憶で不適切な箇所があるかとは思うが、このゲームをやって俺は「残念だな」と思った。

 もし、このゲームが遊ばれることを前提として、ストレスを与えないことを前提として作られていたなら。ゲームは遊ばれるものだろ?

 純文とエンタメ小説の違いって、ざっくり言うと、読者に挑戦するか伝えるかってことだと思う。「玩具」のゲームだって、プレーヤーに挑戦するのも自由だ、けれど、ただそれが難解だったり高難易度というよりも様々な不誠実ならば、目も当てられないことになる。俺はゲームは人を楽しませる為にあると思う。

 スクエニのゲームにはそういった点での外れはとても少ないと思う。遊ぶ人のことを考えているだけでも、相当いいことではないだろうか?俺はゲームに関しては、だだ許しで生きていけそうな気がする。何だかんだでこれからもスクエニにもゲームにもついて行く。実生活での「ゆるす」のAPもたまったかな?(0.003位は)