バカパカか!

ふと気づくと、クローゼットの中には似たような服ばかり並んでいる。金が無い金が無い、とは言いつつも、食費を削ってきちんと洋服は買っていて、ボイコットの花柄シャツとケイタマルヤマのシザーバッグ(みたいなの)買ったぜ、とか書いても、というか、俺、ここ数年、買う洋服のほとんどが渋谷のラグタグ先生(ブランド物の古着屋)でして、年収が二百万(!)越えたら、ちゃんと新品買ってアパレル業界に還元したいと思います。あと十年は待っていて下さいアパレル様。

 洋服を作ろう、と、「何でも思うだけだがやりたい!」俺には珍しく、そんな気になったことはなくて、いや、嘘です、ありますね。でも、確実に自分が作る服よりも他の誰かの服のほうが良いと確信していますので、そんな思いは吹き飛んでしまうようなものなんす(ものづくりをする人は自分だけと強く思えなきゃ作れないだろう、というか俺はそうだ)。

 そんな無気力系フリーターの俺に、彫刻をやっている友人がフィギュア作るからアイデア画書いてよと言ってきた。

 実は以前にも同じ人物に同じことを言われたのだ。俺は冗談だと思っていたのだが、彼は割りとやる気らしい。てか俺画かけねーべ、とか言ったが、あくまでデザイン画なので、そんな精巧な物は求められていないのだ、ということを言われ納得する。しかも今年末(ええと、一月になったばかりですが?)にある何かの即売会で売る、というのを目標にするらしい。なんかよく分からないけど。萌え系じゃない、アメコミとかへんてこ系のがそこそこある即売会があるらしいのだ。よくわかんないけど。

 彼は俺の大好きなブライスやバービーや球体関節人形を「キモイ」と感じる一般的男子(なんか嫌な言葉だな、でもいいや)だが、へんてこフィギュアの嗜好は大分かぶっているのだ。キモイゾンビとか、キチガイミッキーとか。バウンティとかミルクボーイとかアンダーカバーとか、カッコイイフィギュア出してるけど、値段高くね?じゃあ!作ればいいじゃん!(作るのは俺じゃないぜ!いえーい!)。俺が奴に欲しいおもちゃを言えばいいんじゃん!

 (無責任な)アイデアとしては、チャック聖人シリーズ(キリストや武将が上半身裸で胸に大きなチャックがついてる)、矢ささりまくりシリーズ(宗教画に出てくる感じの人とか天使の頭に矢が刺さりまくってる。顔はスマイル!)、ディズニー磔刑シリーズ(ミッキーとかプーさんとかが拷問されてる)不細工動物シリーズ(アルパカとかアルパカとかアルパカとか。俺中学の時に地理の教科書に載ってたアルパカの画像を写真屋さんでシールにしたんだよ!ラブ!)。

 自分の欲しい物リストをあげるのって、たのしいっすね。

 で、俺は絵なんてさらさら書いてねーわけで、ちょっとはらくがきしよーかなーと思って近くにあった漫画を模写というかまねっこしてたん。昔はやまだないとの画描いてたなーとか思いつつ、萩尾望都の『トーマの心臓』。この頃の萩尾の画が一番好きで、その当時の萩尾の瞳の処理ってハイライトがあって、黒目はかかずに、でも中心は多めで、黒い線でぐるぐる描くっしょ?途中から黒目描いてハイライト処理という、まあ、普通の画になっちゃったけど(それでも好きだけど)、ね、このさあ、初期から洗練されてきて!っていう瞬間の画!しかも内容だって「少年の瞬間」って訳で、内容と画がマジ合いまくってさあ、ずっとこの画が見たかったんだけどなあ、って何の話でしたっけ?

 制作がただ楽しみに繋がる、なんてことを感じたのはどの位ぶりだろう?まあ、俺は実際には作らないし、実際この計画が進むかは疑問だけど。

 フィギュアでも絵画でも彫刻でも、高い値段をつけたりして悦に入る人間は本当に品性下劣だと思う。印刷やコピーのできる小説や漫画、映画や音楽は、豚人間の陶酔勝負から(一面では)逃れることができた。俺におもちゃづくりをしないか?と言った友人もまた、「アートワールド」に嫌悪を抱く一人だった。でも、いつまでも「業界」反感を抱き続けることができないのも、俺も彼も知っている。悪い面だけじゃない。芸術が生き延びていける大きな要素の一つは、彼ら(や俺にも確実にあるだろう)の虚栄心によるものだ。

 おもちゃは「たのしー」「かわいー」「かっこいー」の世界だ。俺にとっては洋服もそれに近い、が、おもちゃのほうがもっと無責任に「やべ、ほしー」とか思える(アパレル業界の大変そうな面を消費者の俺は考えないように)。おもちゃは法外な値段じゃない(勿論プレミアとかのはあるけど)。おもちゃはみんなが手にできるものだ(そうあるべきだ)。値段なんかに価値をおかずに、誰でも手に入れられることを誇りに思うべきだ。

 楽しんで楽しい物を作る、ということから随分隔たってきた気がする。しかし一年後にはおもちゃができているかもしれない。できていないなら、つくってみよう「ぼくのおもちゃ」