シネマ内臓

眠ったりぼーっとしたりしていた。何かが変わることはない、いや、金だけが減っていく。また少し手持ちの物を売り払い、あまり手放したくなかったものなのでそこそこの金にはなる、が、これを生活費と計上するならばまことに頼りないもので、どうしようか、映画でも見ようか? な?


 ダグラス・サークの『翼に賭ける命』を見る。作品として突出しているわけではないのだけれど、やはり彼の映画はすごい。画面に広がりがある。漫画でいうと大友克洋の『童夢』や高野文子の諸作品みたいな感じ。静止状態の構図の美しさもさることながら、画面の中で人が動く、生きているように、動いているのだ。「動き」に関する視線誘導を、古典絵画のように緻密に計算しているように思える。それでいてルノワールの『ゲームの規則』をスマートにした感じの演出が全編で展開されている。こりゃすごい、と言うしかない。

 個人的には、ヘルツォークの『アギーレ・神の怒り』にもこういった荒削りではあるけれど動き、乱暴な動きが見られて好ましかったけれど、蓮實が彼を酷評して山田がやや好意的な意見を言っていたように記憶している。てか、俺山田が何かの映画を酷評しているのを見たことない(俺が映画ファンじゃないから?)。何かを酷評するというのは、悪口を言いたいだけの人を除けば何かの信念、譲れない美意識がなければなせないことなので、皆色々酷評すべきだと、思う。それが正直な態度だとして。だってさ、困るのはそれを口にした「貴方」だけなんだから。

 で、次に見たミヒャエル・ハネケの『セブンス・コンチネント』が不味かった。作品じゃなくて、俺の体調的に。オーストラリアに移住しようとした一家がそれが叶わず一家心中する、という単純な内容を淡々とフィルムに映した映画で、シーンのつなぎ目でブラックアウトして2秒位間隔を置いているのが印象的だった。淡々と、家族の生活を映していくのだが、仕事を止め、貯金も全て下ろした一家が、後半で、やはり淡々と家の中の一切を破壊する映像はかなり「きた」。

 丁度俺は映画を見ながら(落ち着きがないので)ノート(をほぼ見ずに)に細かい線を書いていたのだが、画面上では人の顔を映さないようにして、まるでミニマルミュージックのように、食器が家具が子供の描いた絵が家族の手に因って破られ壊されていって、その映像に完全に同調してしまって(以下略)特に洋式便器に紙幣をひたすら流し込み、それを腕で押し込み何度も繰り返す映像が(以下略)。

 その淡々としたカメラワーク、構成は秀作とまではいかないけれど、似たような形のモザイクをうまく組み合わせたような、出来の良さだった。


 でもやっぱもっと気軽に見たいよシネマ、俺をいじめないでくれよ(は?)、ってことでデレク・ジャーマンの『ザ・ガーデン』を見る。予想していたような、映画と言うよりも彼のプライヴェート・フィルム鑑賞で、ぼんやりした頭にはぴったりだ。何せまともな話の筋もないし登場人物の言葉すらほとんどない。雰囲気を楽しむ、と言えば聞こえがいいかもしれないけれど、「映画」として見るならば、及第点ぎりぎりかもしれない。

 でも、俺は彼の「映画」が結構好きで、面倒くさがりの俺が頭を使わずに見ることができる、という理由だけではなく、やはり「ガーデン」を映した、自然を映した中にははっとさせられるような綺麗な瞬間があり、映画好きの人には不評(のような気がする)けれど、友達のキュートな悪夢鑑賞だと思えばこんなにいいものはないと思う。だって、キュートな悪夢にすらならない「ゲージツ映画」なんて沢山あって、超寒いし。

 次にエルンスト・ルビッチの『陽気な中尉さん』を見る。ルビッチの映画ほど洗練されたコメディはない、と言っても名前負けしない素晴らしくユーモラスで豪華で洒落の利いたコメディで、勿論今作も面白く鑑賞中に笑みがこぼれたのだけれど、久しぶりに見る彼の映画にちょっと期待し過ぎていたのか、見終わると多少の物足りなさを感じた。でも、面白いよ。

 映画ばかり見ていられる間はいいのだけれど、俺は映画を愛しているわけでもないし、ましてや、シネマの世界の人間ではない。シネマはいつも俺を置いてくんだ(つーか、いつシネマが俺を連れて行ってくれるって言ったんだ?)。シネマの馬鹿野郎。ばーかばーか俺。

 PSPアーカイブスで『邪聖剣ネクロマンサー』というのを購入した。600円。PCエンジン初期のRPGらしく、画面もかなり古い感じだ。てか、クトゥルフ神話が一部関係しているらしく、そういった感じのゲーム。内臓みたいな敵を殺すと赤い血が出る。植物系の敵を殺しても赤い血が出る。そんなゲームだが何故か全年齢対応。

 昔のゲームだけあってかなり理不尽な難易度で、ウケタのが、最初に五人のうち二人を仲間にするのだけれど、その五人のうち一人以外がほとんど役に立たないと攻略サイトで紹介されていること。実際にプレイしてそれを実感する。ノーヒントでアイテムを使えとかどこかに行けとかそんなのばっかりで、攻略サイトと併用してやっとまともに遊べるような、そんなゲームだ。

 昔のゲームは誰かと積極的にコミュニケーションをして盛り上がりを見せていた、らしい。でも、ネット環境がなかったからこそ、インベーダーゲームやらゼビウスやらドルアーガの塔やら、理不尽な内容やら裏技やら裏設定やら、皆で「これはどうするんだろう」「これはどういう意味なんだろう」って探して、考えていったのだと思う。ゲームセンターとかでも、昔はそういったコミュニティがあったらしい。

 それと同じ経験は今するには難しいけれど、今には今の利点がある。とりあえず冒険者の皆! 俺と内臓(みたいな敵)殺しに行こうぜ行くんだ、なあ、行こうぜ殺しに。