サディスティック・ネロ・バンディッツの盗作

湿った気分で、どうにも気分が上がらずに、久しぶりに中勘助古井由吉を読んで、いたのです、が、どうものれない。良くできた、美しい、素敵な文章であっても、今の気分ではないんだ、から中原昌也の小説でお口直しをしていた。

 最初に彼の小説を読んだ時には否定的な感想しかでてこなかったんだけれど、なんだかんだで、俺、彼の小説には大体目を通していることに気づく、と同時に、その話の筋を殆ど忘れてしまったことにも、気づく。丁度『待望の短編集は忘却の彼方に』って本も出してるし。

 というか、彼自身が読者に残らない物を目指しているのかな、と思う。残らないというよりは、感情移入を徹底的に排して、「わけわかんねーだろ?ばーか」って呪詛をぶつけている、ようなと言った方が近いか。わざとPH○とかの自己啓発系の本から、ばかたにあきひろとかみっちゃん系のポジティブメッセージやら格言をそのまま貼り付けたりしているとも口にしていたし。クソみたいな、使い古された陳腐すぎる表現を、その効果を期待して使用するのだ。

 初期の作品には未だ出てきていないが、ここ数年の作品には文学界への恨みつらみも大量に書きなぐられている。しかも何度も作中に書きたくない書きたくないとぼやき、しかし金を稼ぐには書かなくてはならない(今更別の仕事を探すのは面倒とか、そりゃそうですね)と愚痴り、苦しむのを観察する読者や評論家に罵声を浴びせ、書く。とはいえ、対談の時の彼はかなり大人しく、人を不快にさせる発言を控えているような印象を受けた。『作業日誌』の日常でも、それなりに(俺から見たら超)社交的に見えたし。彼のどこがポーズでもいい、けれど、彼の本はいつも、ふと読みたくなって、退屈。

 おそらく中原昌也マルキ・ド・サドのような反転したモラリストなのだろう。偏執的な過剰さによる倦怠。サドの小説も中原の小説も、軽く読み飛ばしても大丈夫なつくりになっているし。イメージと実像が違いそう(と勝手に俺が思っている)所とか。

 高校の頃サドを読んでいた時には、そこそこ楽しめていたような気がする、が、その頃は何を読んでも楽しかったのだろう。サドの態度や逸話ではなく、小説を評価するのは難しいだろう。とはいえ、中原の小説はサドのよりも優れていると思う。それは短いから。俺のような飽き性な人間にはぴったりだ。

 二人のことを考えていたら大好きなガービッジのことを思い出した。サドがサード『ビューティフル・ガービッジ』で中原がファースト『ガービッジ』、みたいな。サドが美しい淫蕩を目指したならば、中原はゴミクズを目指す。でも、つくるならばゴミクズのほうが難しいと思う。読む人間は書かれたものに何かを見出してしまう。そして、ただの(そこそこ規則性を持った)文章の羅列は、退屈なコンセプチュアル・アートのように吐き気のするものになってしまう。『ガービッジ』を作るのは難しい(アーティストのガービッジではなく)。中原がこの先どうなるのか、楽しみで心配だ。仲良しの阿部和重も、この先何をするのだろう?

 かといってサドの世界も滑稽でしかない。サドを俗化すれば(ゆるくすれば)大量生産の感情移入装置の一つになる、し、そういった嗜好の薄い俺は、それを軽視していたのだが、ハンス・ベルメールの拷問を受ける人形が脳裏に浮かび、共に「西洋人は観念ではなくフォルムへの執着がうかがえる」と言ったことばも思い出し、これが誰の言葉かは忘れた、が澁澤っぽいから澁澤って、ことにする、その澁澤が書いた『サド復活』、を数年前に古本屋で驚くほど安く見つけた、にもかかわらず、その頃は(今も?)幻想に傷食気味で見送ってしまったのを今更悔やむ。

 肉体の責め苦は甘美か?俺はそうは思わない、けれど、しかるべき執行人がいるならばそれなりの効果を上げること位想像がつく。人間は多くのことに慣れてしまう。
 
 けれど、改めて自分が、サド的なメロドラマチックな可能性を軽視していることを自覚するのだ。中原のように金のことばかりに頭を悩ませている俺は、喋れる猫とか魔法を使う小説がかけない(彼が月収30万だか20万だか切る、とかいう愚痴を微笑ましく思える嫌な僕)、幻想に身を投げることが難しい。でも拷問位なら書けるのかもしれない。しかも肉体が苦しむのを書かなければ(書いたことないから)と思い、ホラー小説とか(面白いとかが)さっぱり分からないんだけれど、できるかな?

 とりあえず人体解剖図が欲しい。以前古本屋で見たときは、気分が悪くなったのだ、が、俺は慣れてくれるだろう(でも値段は高い)。それと出血とか臓器が出る時はどうやって(描写して)いるんだろう?紋切り型の借用よりも、実際見てみたい『殺傷した時の損傷Q&A』ってな本出せばごく一部にバカ売れだと思うんだけれど。医学や美術の為に解剖してたのに、文章で書きたいからばらしてよ、ってのだけ怒られそうな感じが強くする。時代を抜きにしたってね。

 幻想へのリハビリのヒントが拷問だなんて、滑稽にもほどがある、というか、犯罪者予備軍気味、のような気がしなくもないが(犯罪!ダメ!絶対!)、キーを打ちながら聞いているのはあべにゅうぷろじぇくとの電波きゅんきゅんなミニアルバムだから、大丈夫でしょう。