やられてたまるか

新しくやってきた上司が、あまりにも酷い人間だった。ヒステリックで自己中で他人には厳しく自分の失敗には言い訳、しかも偽善者、と言う言葉がこんなにも似合う人間にあったのは何年ぶりだろう?しかし誰もそれを指摘できない。新しい上司が一番上の立場だから。

 けれど、それが(いくらバイトといえども)社会に勤める者としては当たり前の光景、理解出来ない人間に理不尽なことでぐちぐち責められる、それって普通、なのか?毎日の生活がおっくうで仕方がない。けれど、社会に出る、労働でお金を貰うということは、そういうこと、なのか?

 半年程前に発売された(俺としては、かなり新しい本を読んでるぜ!と一人テンション上がりました)安田誠の『外こもりのススメ』という本を読んだ。日本に疲れた当事二十歳前後の著者が世界を旅して、その後に株でかせいバンコクで十年「外こもっている」という生活、の指南書であり入門の手引きだ。俺には渡航経験がない、のもあるとは思うが、これがかなり面白かった、それに共感する面も多かった。

外こもりをする理由は人それぞれですが、共通点として日本の生活に疲れているということが挙げられます。一般に、外こもりは、表面的にはいい加減なように見えても、芯の部分は真面目で融通の利かない人が多く、それが日本での生き辛さに繋がっていると思います。そのため、周りの反応を窺いながら過ごす生活に疲れてしまい、時には迫害を受けているような気持ちにさえ陥るのです」

「実際、僕も会社勤めをしたときには、日本の陰湿な社会にはうんざりしていました。どこの会社でも似たようなものだと思いますが、弱いものいじめが大好きなくせに、自分たちは善良で差別もせず、かつ誠実な人間だと思い込んでいる人間のいかに多いことか。彼らの前で少しでも個性を見せたらすぐによってたかって攻撃が始まります」

 著者のこの言葉には強く共感した俺は、きっと「駄目な」人間なのだと思う。しかし駄目でも幼稚でも暮らしはかってに続いていくのだ、死なない限り。

 自分が吐き気を覚えていても、それを誤魔化して、卑屈になって生きることを美徳とする文化が蔓延している日本では、自殺者が多くて当然だと思う。勤労意欲のないフリーターが口にするなんて、馬鹿みたいな、幼稚なことだと思う、けれど、そんなのっておかしいだろって、強く思う。後ろ向きでも、解決作とか逃避は大切なことだ。自分で選んだ自殺ではなく、卑屈に殺されるのは痛ましい。

 そして著者に興味を持ってネットで調べてみたのだが、なんと、この本を出版してから約一ヵ月後にバンコクで殺されて一千万円の貯金を奪われたというのだ(安田誠はペンネ−ムだし、はっきりとした記事ではないが、ほぼ確実らしい)。しかもそれを行ったのは株仲間の知人らしい。著者はいつ自分が帰国する羽目になるかとこぼしていたが(バンコクでは月七万でそこそこリッチな暮らしをしていたらしい)、そんな身を守る嘘をついていても、嗅ぎつけた人間がいたのか、信頼した相手だったのか、そんな詮索をふと、してしまったが、少し、嫌な気分になった。勝手に小さな交友を抱いていたのだ。

 人として生きるにはきっと雇われては駄目だと思った。俺も株をやろうか、とも思った、けれど、素人が稼げるほど甘くないのは承知している。やっぱり、お店しかない。外こもりもいいと思う。好きなだけ時間が出来て、本を読んで(タイでならネット上の?)、小説を書ける。でも、日本で俺が暮らすなら、お店についてもっと真剣に考えるべきだと、強く思った。駄目人間はお店を、一人でも出来る仕事をするべきだ。それだったら、失敗も自分の責任だと思える。当然我慢できる。

 少しだけ、数日前よりも前向きになったことを自覚する、だから、著者のご冥福をお祈りします。卑屈に殺される人間は少ない方がいい。俺だって、殺されてたまるか。