ノイズに乗っかって、って

持っているIpodは30GBのやつ。今、7000曲位入っている。本当はもっと容量が多いのがいいんだけれど、俺が買った三、四年前にはこれでも結構性能の良い奴だった。今更新しい物を買う気にもなれず、定期的に聞かない曲は削除している。削除して、容量を気にしながら、曲を探している。

 自分が知らない、聞かない音楽は山ほどあって、俺はCDを購入するのもCDのジャケットを眺めるのも歌詞や対訳を読むのも好きなんだけれど、気ままな学生じゃなくなってからは、レンタルで済ませることが多くなった。

 部屋に積まれた数百枚のCDは、レゴブロックの要塞みたいで、愛着はあった、でも、引越しや金欠で少しずつ処分していった。今も、数えてはいないが、五、六百枚程度はあるはずだけど。

 家で音楽を流す時はパソコンに向っている時か、本を読んでいる時。一応、アルバイトをしているので、ただ音楽を流して、ぼんやりすることは、大分少なくなった。だから、耳に馴染んだ物とか、(ジャンルではなくあくまで俺にとっての)イージーリスニング的なものばかり聞くようになっていった。頭が揺さぶられるような物、を敬遠するようになった。街に出てもCDショップに向わなくなった。レコードプレイヤーは壊れたまま、ほったらかして、最初の引越しの時に処分した。今後購入する予定はない。

 いつのまにか、何で情熱が醒めてしまったのだろう、そう、物思いに耽る瞬間がある。きっと、俺だけじゃなくて、ある時期に差し掛かったら、誰にでもあることだろうけど。

 家の中で毛足の長い、薄汚れた、蜜色、だったブランケットを頭から被ってじっとして。そんな時には音楽が必要ではない。無音こそが最上の音楽だ。隔離されているかのような幸福な時間だ。

 それでも、少し、気分が回復した時に、やはり、音楽がなければ、と感じる、耳にしている。音楽の優れている所は、色々あるが、今思いついたのは、言葉で追いつかない所だ。他の分野もそうだろうが、特に音楽にはそれが強い、そして、饒舌にさせてしまう。コード一つ分からない俺だって、曲のアルバムの構成が素晴らしかったら、レヴューを書くのかって勢いで、頭の中で言葉が踊り出す。

 けど、やっぱり、セクシーとか悲しみとか、そんなのが俺にとっては、音楽への最上の賛辞だ。セクシーとか悲しみとか、そんな曲を流していると読書や執筆を妨げるけれど、セクシーや悲しみが意味を成さないかのように、エンドレス・リピートして、流れている間は、誘惑の中で耐えて、そうしたならば、素晴らしい惰性が慣れさせてくれるはずだ。多くのことは慣れてしまう、セクシーで悲しい。無音に飽きたら、耐えられなくなったら、セクシーや悲しみを一つ。あと、幸福の為のミュージックも。